第十一章 汝の終焉を愛せ(7)この世の果て

 リサは気づけば、もうずっと手入れされていない宇宙ステーションのような場所にいた。機材が転がっているが、あまりにも広く、あまりにも天井が高い。


 機械だらけだというのに、異様に荘厳で、神殿めいている。


 手元には『可能性の右腕』はない。あれは冥界に置いて来てしまったのだろうか。


 ここはどこだろう。


 リサは目の前の広い階段を上って行く。



 その先に女がいた。女はこちらに背を向けていて、その向こうの窓の外、宇宙を見つめていた。


 星々がほとんどない、闇黒あんこくの宇宙を。


「ああ、ようやく来たのね。この世の終わりへ」


 女は振り返る。彼女は憂鬱そうな、硬い表情をしている。明るい栗色の髪と、緑色の瞳をもった女――。


 リサだった。彼女は両手で、人間の頭くらいの大きさの卵を抱えている。


「あなたが、そうか——」


「わたしはあなた。逢川リサ。すべての宇宙の最後の神——『この世の終わりの神』」


「その卵は?」


「これはわたしが、この世が閉じるときに生み出すもの。あなたが『アクジキ』や『星の悪魔』と呼ぶもの。すなわち、『ミンソレスオー』」


「……ソレス」


「ええ。ソレスは世界が閉じるときに生み出される。それがわたしの最後の仕事。この寂しくて寒い世界を賑やかにするために」


 リサにはなんとなくわかっていた。自分ならそういう選択をしていたかもしれないと。


 幸せを知らない、従来の自分であれば、命さえくれてやれば、それでどうとでもなるのだと考えたのかもしれないと。


「いまは、卵なんだね」


「そう。いまはこんな大きさだけど、やがて小さくなっていく。ソレスは時間を逆行するものだから。未来で生まれ、孵化し、成長し、過去で死ぬ」


 リサは言う。


「あなたは、んだね」


 この世の終わりのリサは答える。


「ええ。そう言うあなたは、もう子供じゃないのね」


「子供?」


 リサの問いに、この世の終わりのリサは微笑む。


「ええ。高校生のころのわたしたちは、何も守るものをもたなかった。だから、を守ろうとしていた」


「そうだね。だけど、親になったわたしは、わたしにとってのかけがえのないたったひとつ――トモシビのために命を、人生を懸けた」


「大人になって、守るべきものがはっきりしたのね、リサ」


「幸せというものを教えてもらったんだよ。それは、だった。世界を救うなんてのは、二の次だった」


「でも、世界の命運を肩から下ろしたあなたは、想像もつかない大きな事を成し遂げた」


 その通りだ。もうひとりのリサの言うとおりだ。この世は、本当におかしな仕組みで動いている。


「……あなたはどんな風に生きたの? もうひとりのリサ」


「ずっと生きた。五百億年ほど。神々の終わり、人類の終わり、そして生命の終わりを見た。そしていまは、星々が燃え尽きるのを見ているの」


 それは哀しいことだと、リサは思った。想像を絶する期間、たったひとりで世界が終わっていくのを眺めていたのだ。それ以上の魂の苦痛があるだろうか。


「なにを求めたの? もうひとりのリサ」


「わたしは、みんなに会いたかった。生まれてくるみんなに。ずっと愛されなかったわたしだから、ただみんなのぬくもりを近くで感じたかった。……みんな死んで、冷たくなってしまったけれど」


 リサは歩みを進め、卵を抱いたこの世の終わりのリサのすぐ近くに立つ。そして、抱きしめる。


「わたしも愛されなかった。愛がなにかわからなかった。でも、最近、愛されるようになったんだよ」


 ぬくもりが互いに交換されていく。


「ああ、うらやましい。わたしが、あなたであったなら……」


「もうひとりのリサ。別離や訣別は、けっして終わりではなかったんだよ。それは関係だったんだ」


「ええ」


「ラミザと友達になれたように。エグアリシアを救う機会が与えられたように」


「ええ、ええ」


 もうひとりのリサはうなずき、涙を浮かべている。


「まだ終わっていない。終わっていないんだよ、もうひとりのリサ。この世界には悲しみが満ちあふれている。だけど、人間はそこに善をあらしめることができる。いつか、きっと」


 リサの言葉に、もうひとりのリサは嘆息する。


「ああ、あなたは神を超えて、となった」


「一緒に生きよう、もうひとりのリサ。わたしは、あなたを愛しているから」


++++++++++


 リサは気づくと、暗闇の中にいた。身体が浮かんでいる感覚がある。


 仮面を被った黒いローブの男が目の前にいた。相変わらず、リサの五倍はあるかという大きさだ。


「リサ、きみはことになった」


「……なんで?」


「この舞台の裏側で、あろうことか『死の神』を殺した者がいてね。、この世から死というものがなくなった。よって、きみは息を吹き返す」


「じゃあなに? トモシビは? わたしがやったことは無駄だった?」


「いやいや、ドラマに無駄などありはしないよ。きみの物語は、原星辰界の神々にも好評なのさ。が多い」


 リサは顔を顰める。


「ファン、ね」


「『神の恩寵』とでも言い換えてくれよ」


 超越者の物言いに、リサはふと溜息をつく。


「『恩寵』ね。ドラマを盛り上げるためのアレコレを都合よく言ったものね」


「そこはまあ、僕らは時々、たまらず手出しをしたくなってしまうのさ。わかるだろう? ドラマは山あり谷ありだ」


「……わたしは結局、あなたたちの手のひらの上で踊らされていたの? 『時の神』」


「まさか。踊っていたのは僕たちのほうさ。それはもう。実に楽しかったがね」


 ふうんと言いながら、リサは『時の神』の仮面の向こう側を一瞥する。


「そう。いい趣味してるのね、あなたたち」


「きみたちには恩義を感じているのさ、これでも。僕ら『外来種』にずいぶんよくしてくれているからね」


「そう。それはよかったね。『異界の者』にとっては」


 『時の神』は笑う。


「邪険にしないでくれよ。僕らはただ、君たちのような輝きの周りで踊っているだけだ。その立場もいずれ、きみたちにするがね」


 いたずらをした子供のような語りかたをする超越者に対して、リサはきっぱりと言い切る。


「どうぞご随意に。どんな手出しがあったとしても、わたしたちは、わたしたちの暮らしを誇り高く生きていくだけなんだから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る