第十一章 汝の終焉を愛せ(3)さかしまの世界

「『可能性の右腕』のことを知っている——?」


 リサは戦慄した。『可能性の右腕』がこの冥界のこの時間にあることは、リサとザネリヤしか知らなかったはずだ。


 『予言の神』と直接戦ったミオヴォーナの魂を継承しているリサが、そのことを知っているのは当然だ。そして、星辰界神話を紐解いていたゾニ家の末裔まつえいであるザネリヤが知っているのもおかしくはない。


 だが、なぜ、『星の悪魔』——『遡行時間の神』であるソレスが知っているのだろうか。


 答えは極めて単純だった。


「だって、わたしは時間の逆行を司っているもの。世界の終焉ひぐれに生まれて、黎明よあけで死ぬ。だから、わたしはいまより未来のことはすべて見てきた」


「『可能性の右腕』が使用されたことさえ、未来からなら見える——?」


「似てるけど、ちょっと違うかなあ。まあ、この時間の人間の言葉で説明するのは無理」


 ソレスが唇に手を当てて考え込むしぐさは、人間の少女そのものだった。


 だからこそ、リサは対応に困る。相手は『溯行時間の神』を名乗ってもいるのだから。脅威と判断すべきだろう。しかし……。


「あんたは——」


 リサが問いを投げかけようとしたところで、例の音が鳴り響く。


 カツ、カツ、カツ、カツ――。


「ああ、この音。知ってるでしょう?」


「……『時の神』の足音?」


 リサの回答を聞いて、ソレスは笑う。


「半分正解。『時の神』は時間生成器クロノジェネレーターのようなもの。その動き、その心臓の鼓動が時間を作り出す。彼の


「彼の生命そのものが、時間の流れだということ?」


 ソレスは瞳を輝かせる。


「そう! さすがママ! だからママは、わたしに『時の神』の心拍とを打つように施したの。時間が遡行するように。ああ、ママはすごいわ」


 リサには気掛かりなことがある。先程からずっと、ソレスが言っている『ママ』とは、まさか——。


「ママ、ママって。さっきから。それは、いったい——」


「あれ、言わなかったかしら? ……ああ、これはわたしの過去であり、あなたの未来で説明したんだったわ。逢川リサはわたしのママ。『この世の終わりの女神』」


 とんでもないことを言われた。


 とんでもないことを言われた、という意識だけが駆け回った。思考がついて行かない。


 ミオヴォーナがただ、言葉を反芻はんすうする。


「リサが、『この世の終わりの女神』……?」


 ラミザは黒い大剣を構えてリサの前に立つ。もちろん、リサのための弓矢の射線は残している。攻撃と防御を同時に成立させる位置取りだ。


「リサが、最後のディンスロヴァということ?」


 それを聞いて、ソレスは笑う。大笑いだ。お腹を抱えて笑っている。


「『われのほかに絶対者なしディンスロヴァ』? ママが? そんなつまらない小物と同じですって?」


 ミオヴォーナが「ディンスロヴァが小物……?」と呟いている。


 ソレスは腹の底から声を出す。それは人間のレベルに抑えられているはずなのに、聞いている者の鼓膜も内臓もビリビリと震える声だった。


「ディンスロヴァなんて、枝星辰界の創造主にすぎない。本流たる原星辰界をつくったのは『この世の始まりの神』。ママはその対となる存在になるのよ。そして、わたしはママがつくる新しい世界のひと柱! すごいでしょう! すごいでしょう!」


 ラミザがソレスに訊き返す。


「リサが『この世の終わりの女神』になるのなら、新しい世界というのはどういう意味?」


「……あなた、ママの天使だったんでしょう? ちゃんと聞いてた? ママは世界の終わりでの。わたしという新たな『遡行時間の神』を使って。世界の時間は逆転する。終わりから始まりに向かう世界を創造するの! だからママは創造主なの!」


 途方もない話だ。


 リサは未来に想いを馳せてみる。だが、まだわからない。いったい、何が自分をそうさせたのだろう。何がそんな決断をさせたのだろう。


 ふと、そこまで天井破りの陽気さだったソレスが、突如として暗い表情を見せる。


「だっていうのに。ママは過去みらいで死んじゃって、冥界なんかに来てた。ママは未来かこで、わたしを孵化ふかさせなきゃいけないのに! 未来かこで一瞬だけ、わたしと会えるはずなのに!」


 リサはここで理解した。問題はそんなに複雑なものではなかったのだ。


「ソレス……」


「わたしは絶対に認めない。わたしのママを奪う者は許さない。だから、『可能性の右腕』を使って、ママが冥界に来なかったことにする」


「ソレス、それは——」


「なに?」


 リサは弓を下ろす。ソレスが本当にリサの娘であるのなら、話し合いに賭けてみたいと思ったのだ。


「わたしがここへ来たのは、トモシビを救うため。トモシビはガリアッツに狙われてしまった。でも、ガリアッツさえ存在しなければ——」


「わたしは、のよ!」


 ソレスの怒号。リサの思考が一瞬停止する。


「は——?」


「星辰界の覇者を気取ったガリアッツ。彼らがいずれトモシビに——エグアリシアに気づき、殺しに掛かることは当然の流れだった。彼らは不敗、ゆえにだから。それを計算して、わたしは古代ガリアッツ文明をつくったの!」


「取り消して! 古代ガリアッツ文明をつくるのを! ソレスもわたしの娘だというのなら、トモシビもわたしの娘なんだから!」


「そんなの、ずっと前にだわ! 古代ガリアッツなんてとっくに完成してる。わたしは、新しい世界の神として、トモシビの存在など許せなかったのよ! あの破壊神は世界を滅ぼすのだから! わたしの世界を!」


 ソレスの両眼には怒りがたたえられていた。まさしく神の怒りだ。『遡行時間の神』——時間が遡行している新世界では『時の神』と呼んで差し支えない、上位存在の怒りだ。この冥界ですら、地響きと衝撃が起こるほどのものだ。


 リサは交渉の余地がないことを悟った。


 そして、トモシビを殺そうとした黒幕が、その妹であることも知った。

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