第五章 後遺症(4)不幸そうな顔の客
その夜。リサは自分のうめき声で目を覚ました。
うなされていたらしい。
リサは自分がきちんと寝間着に着替えて、ベッドで眠っていたことを確認する。侵入者などの気配や怪しい様子もなにもない。
部屋にはただひとり。ラミザはいまこの瞬間も『哲人委員会』の暗殺のために動き回っているのだろう。フィズナーとベルディグロウは、この惑星ヴェーラにおける協力者、ベルリス・リド・バルノン公爵のもとに帰った。リサの危機にはいつでもすぐに駆けつけると言い残して。
リサはベッドから起きだし、薄暗い部屋の中を歩く。ここに暮らし始めてしばらく経つので、暗くても歩けてしまうのだ。
台所へ行き、水をコップに入れる。そしてそれを、少しだけ飲む。
リサは、台所の明かりに照らされた居間に、姿見が置いてあるのに気づく。
そうだ。これは学校の制服を着るときなどに使っていたものだ。
リサは姿見の前に立って、自分自身を見る。そこには、疲れた顔をした、しかし、美しい女が立っていた。女は寝間着姿だが、いつ何があっても大丈夫なように、左腕に星芒具を装着したままだ。
リサはずっと、自分自身を美しいと思ったことはなかった。ところがどうだ。いま鏡に映っているのは、垢抜けた、誰もが振りかえって見そうな美女ではないか。
「どうして――」
リサは鏡にすがりつくようにして、膝をついて床に屈み込む。
あれだけ穢しに穢しに穢されて、弄びに弄びに弄ばれて、汚れ果てた女が、美しい外見を取り繕っているのだ。
これじゃあ、まるで、いまでも「客に選ばれるため」に、美しくあるように、身体が最適化してしまったようではないか。
憎い。
この身と心を徹底的に穢した連中が憎い。
いまだに、客を喜ばせようと美しさを選んだ自分の身体が憎い。
そして、自分のすべてを簡単に人に譲り渡して、いいことをしたと満足していたころの自分が憎い。
「いや、違う――」
違うのだ。
危険を顧みず、人を護るために窮地に陥ることを
娼婦リーザは、正義の味方リサと、根っこがまったく同じなのだ。
リーザは言っていた。
―― 自分の顔は鏡を見ないとわからないですけど、お客さんが楽しそうなのは、すぐ見てわかるので。
これはほかならぬ、リサの言葉だ。
リサは自分の幸せがわからないのだから。
その一方で、人が幸せそうにしているのは、見てわかる。ゆえに、自分を犠牲にしてでも、人を幸せにしようとしてきた。幸せな人を見て、自分も幸せだと錯覚しようとした。
「私は正義の執行者になりたかった。でも、それはなぜ?」
なぜ? それは姉の逢川ミクラが眩しかったからだ。
己の正義を貫き、己の自由のままに生きていたのが、うらやましかったからだ。元々、リサはずっと姉の陰に隠れて、大人しくすごしてきた。
歯車が狂ったのは姉の失踪からだ。
そのとき、リサは、姉の代わりに正義の執行者にならなければならないと考えた。
「いや、違う――」
そのとき、リサは、姉がいなくなったおかげで、姉のように自分もなれるのではないかと思ったのだ。
「ああ、わたしは――」
リサは正義を語りながら、正義を知らなかった。
なぜ、人のために命を危険に晒すことが許されるのか。
なぜ、人のために身体を差し出すことが許されるのか。
後者が駄目なことくらい、いまのリサにもわかる。だが、前者への批判は、ことごとく蹴散らしてきたのではないか。軍隊を抜けるべきだと主張する安喜少尉や、普通の高校生に戻るべきだという澄河鏡華を、『正義』の名の下に否定し続けてきたのは自分ではなかったのか。
「本当に、わたしは、自分のこととなると、鈍い……」
いま、リサは自分の感情が憎悪で溢れていることに気づいた。
正義ではない。憎悪だ。
なぜ正義のための戦うのは正当化されるのに、憎悪のために復讐するのは許されないのだろう。
なぜ、逢川リサは、自分自身の憎悪を解き放たないのだろう。あれだけ、自分の身体は差し出してきたのに。なぜ、自分の偏った道徳観を捨てきれないのだろう。
姉の逢川ミクラの言葉を思い出す。
―― いいかい、リサ。賢い人には、賢い人がしなければならない使命がある。強い人には、強い人がしなければならない使命がある。だから、賢くなりなさい。強くなりなさい。そして、自分に賢さと強さが与えられたことについて、その意味を考えなさい。
ミクラはいまもきっと、この言葉の通りの価値観で生きているのだろう。
だがこれは、リサにとっては、激励の言葉などではなく、呪いの言葉だったのだ。
「お姉ちゃん、わたし、賢くも強くもないんだよ……」
なぜ憎悪で武器を振るってはいけないのだろう。
なぜ憎悪で敵を殺してはいけないのだろう。
結果が同じなら、正義も憎悪も同じではないか。
しかしそれは、逢川ミクラの呪いが決して許さない。
リサは姿見に触れる。いま、鏡の中にいるのは、どろどろの感情で泣いている女だ。後悔と憎悪に、途方に暮れている女が目の前に映る。
「ああ、そうか。わたし、幸せじゃないんだ……」
泣き濡れた顔のまま、リサは無理矢理口角を上げようとする。しかし、鏡に映るのは、不格好な表情をする、どうしようもない女だった。
リサは鏡に映る自分に頬ずりする。そして目を閉じる。
「ねえ、リーザ。ここに不幸そうな顔をしたお客さんがいるよ。ねえ、あなたならどうするの? ねえ……」
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