第五章 後遺症(3)魔界大戦 ②
だが、そこに低音を響かせながら近づいてくる巨大なものがあった。
白い星辰艦だ。
ゲルティシャはその登場を見て驚いた。
「天使の、星辰艦――」
白い星辰艦の横手のハッチが開き、誰かが下りてくる。それはヴェーラ人だった。『哲人委員会』のひとり――。
「ソイギニィ・ジャコイ――」
ゲルティシャがそう言うのを聞いて、ソイギニィは明らかに不服そうな顔をする。
「キミたち下賎な魔族に、呼び捨てにされるような名前はもっていないはずだが?」
「ソ、ソイギニィ・ジャコイ閣下……」
「よろしい。で、その娘が『旧き女神の二重存在』だねえ。殺すつもりだったのか? キミたち魔族は本当にモノの価値の解らないやつらだねえ」
リサはすでに気を失い、地面に転がったままピクリとも動かなかった。
慌てて、ゲルティシャは自己弁護を行う。
「いえいえ、とんでもない。もちろん、加減をして蹴っていたに決まっているじゃないですか。あの人間を脅して有利な交渉をするためですよ!」
ゲルティシャは残っている左手で、ベルディグロウを指さした。
「ふうん、アーケモス人ねえ。この取引現場を見られたとあっては、チト面倒だねえ」
「でしょう! でしょう!」
「まあ、それはあとの楽しみに取っておこう。仕事が大事だ。えーと、そこの血で汚れてないほうの魔族、『旧き女神の二重存在』を運び込むんだ。いますぐに」
ソイギニィ・ジャコイはそのように、ガリウスに命令した。
ガリウスは剣を鞘に収め、泥だらけで倒れて気絶しているリサを担ぎ上げた。そして、ハッチの階段を上って行き、リサを白い星辰艦に乗せた。
ソイギニィ・ジャコイは満面の笑みで、拍手をした。
「結構結構。では交渉といこう」
「へへ、よろしくお願いします」
隻腕になってしまったゲルティシャだが、そんなことは構わないのか、とにかくもソイギニィに媚び笑いをした。
ソイギニィはまず、ゲルティシャに交渉内容を確認する。
「キミたち魔侯爵の要求はふたつ。ひとつめは、われわれ『哲人委員会』が天使の軍勢とともに魔界から撤退すること。ふたつめは、君たちふたりをヴェーラの公爵位に取り立てることだ。間違いはないかね?」
「は、はい。その通りでございます!」
「まず、ふたつ目のほうだが、残念だ。これは通らなかったよ。やはり、爵位というのはそれほど簡単には手に入らない」
「……そ、そうですか」
「それから、ひとつめのほうだが、これもお許しが出なかった。天使のご要望は、魔族の殲滅だからね」
「は――?」
その瞬間、鈍い音がして、白い星辰艦のハッチから肉の塊が飛び出した。地面に落ちたそれは、ガリウスのなれの果てだった。
ハッチからは、白い人影が姿を見せた。白い肌に白い髪。白い裾広がりの服。薄い緑色の眼。頭の後ろには、大きな光の輪――何かしらの紋章が刻まれた光の陣を背負っている。
これが、天使だった。
「ヒッ、ヒィイィィイイイ!」
ゲルティシャが恐怖と絶望の悲鳴を上げる。
気がつけば、地面に降りたソイギニィの背後に、三体もの天使がすでに立っていた。そして、いずれも巨大な鉄の塊のような、歪な形状の武器を携え、ゲルティシャに向けて浮遊していた。
ソイギニィは面白そうに笑う。
「ああ、われら人間は、天使のおっしゃる通りになるしかないのだ。悪く思わんでくれよ」
天使たち三体は、よってたかって金属の塊でゲルティシャを殴り、殴り、殴り、そして元の姿がわからないくらいに叩き潰したのだった。
ベルディグロウは根源的な恐怖を感じていた。これは人間が戦ってはいけない相手だ。だが、彼は自分の大剣を拾い、天使たちに向かって構えた。
ソイギニィは驚いた。
「ほう、あの魔侯爵どもが恐怖で動くことさえできなかった天使に、人間が向かい合えるというのか」
「天使か。結構なことだ。だが、私は、リサを返してもらわねばならんのだ!」
「それは信仰かね? 『旧き女神の二重存在』を取り戻したいというのは」
ソイギニィの問いに、ベルディグロウはいまだかつてないほどの大声で返す。
「願望であり希望だ。ここでは信仰など関係ない!」
ソイギニィは大笑いした。
「威勢のいいことだ。だが、天使の『破壊剣』を前に無事でいられるものかな。その鉄の塊は、われら人間の祖先が真似て剣を作ったという、剣の元型。いわば破壊と殺戮の概念だ」
天使たち三体は浮揚しながらベルディグロウへと近づき、『破壊剣』を振り下ろした。彼はそれを自らの大剣で受け止めた。しかし、大剣は容易にへし折られた。
だが、ベルディグロウは折れた大剣を使って応戦を続けた。空冥力の盾もまるで歯が立たない破壊力。かすりそうなだけで血しぶきをあげる身体。
あの武器はいったい何だ。
気づけば、ベルディグロウは崖の端に立っていた。
振り下ろされる『破壊剣』。
ベルディグロウはすんでの所で回避したが、身体中から血が噴き出した。
『破壊剣』は地面を叩き割り、崖がくずれ、ベルディグロウは落下する。崖の下には滝があり、滝壺があった。
「まあ、死んだだろう」
折れた大剣だけが、崖の上に残った。ソイギニィは天使たちとともに引き返し、白い星辰艦へと上って行った。
++++++++++
「そうだった。思い出してきた。あのとき、グロウに助けられたんだ」
「いや、助けきれなかった。『哲人委員会』ソイギニィ・ジャコイと、天使の軍団の前に敗北した。天使の軍団がリサをさらっていった」
「そういう、感じだったんだ。わたしはそのとき、気を失っていたから――」
「私は滝壺に落下し、動けるようになるまで、四ヶ月間、魔族民間人に介抱してもらった。悔しかった。味方の誰にも伝えられないということが……」
「グロウ……」
「リサ、すまない。助けられなくて」
「いや、わたしこそ。すごく軽率だった。なんども直そうとしているのに、なぜだか、私は自分自身の危機については――」
「鈍いよな」
そう言ったのはフィズナーだった。人に言われるのは癪だったが、今回ばかりは弁解の余地がない。
「はい……ごめんなさい」
「ここから先は俺が話そう。リサ、お前がヴェーラにさらわれたと判明したあと、魔界でなにが起こったと思う?」
フィズナーがそう問うてみたが、リサにはわかるはずもない。
「なにが……って、なに?」
「アーケモス・日本合同軍が魔界ヨルドミスと同盟を結んで、ヴェーラ軍に宣戦布告したんだよ」
「え? ……え?」
「オーリア帝国も、日本も、予定をかなり繰り上げてヴェーラ軍との戦争状態に突入したことになる。もっとも、発案者はラミザだけどな」
「ラミザが、全員を説得した……? でもたしか、ラミザはクシェルメート陛下の命令で、アーケモスに残っていたはずで……」
「まあ、魔界に行く前はそう言ってたな。だが、あの女がそういうやつだと思うか? 皇帝を操っているのはあっちのほうだぞ」
リサは思い返し、確かにその通りだと思う。表面上、ラミザは皇帝クシェルメートの参謀官だ。だがその実、ラミザは皇帝の妹で、決め事のかなりの部分は彼女が担っていた。
「じゃあ、自らの意志で、オーリア帝国に残っていたの?」
「あいつはいまや、アーケモス大陸をすべて平定した。第十代アーケモス大帝だ」
「アーケモス、大帝? いや、たしかに、それを目指していると言っていたけど、たったの半年で?」
「ああ。だから、半年後に魔界に現れたときは、皇帝クシェルメートさえも公式に臣下として従える大帝の身分だった。だから、あいつの命令ひとつで、アーケモス軍は魔界ヨルドミスと同盟を結んだ」
そうなると、リサには気がかりなことがある。アーケモス惑星世界には日本もあるのだ。それは一体どうなったのか。
「じゃ、じゃあ、日本は?」
「日本は無事だ。ラミザが言うには、日本はお前の国だから攻めなかった。ザネリヤのファゾス共和国も不干渉だから放置、ということだそうだ。だが、それ以外の国はラミザの配下にある」
「ラミザ……。すごい人だとは思っていたけど、そこまでとは……」
「それだけじゃない」
「このうえに、まだあるの?」
「ラミザの母は魔王アルボラの母と同じく、先代魔王サリイェンなんだと言っていた」
あまりに高貴すぎる血だ。オーリア前皇帝を父に持ち、魔界の前女王を母に持つ。そして本人はアーケモス大帝だ。
「あまりにもすごい……」
「しかも、ラミザは魔王アルボラから、魔界最強の破壊兵器、大魔剣『ヴェイルフェリル』を譲り受けた。アレを使って翼が顕現するのは魔王の証だそうだ。見ただろう、あの四枚の黒い翼を」
「じゃあ、ラミザは魔界ヨルドミスさえ治める正統性があるということなんだ。だっていうのに、いまは――」
いま、ラミザは単独行動をし、『哲人委員会』のメンバーを殺して回っている。これではまるで暗殺者だ。皇帝や大帝、魔界の女王の仕事とはまるで思えない。
フィズナーが笑う。
「そこは、ラミザ・ヤン=シーヘルという女の業だな」
「業って?」
「あいつにとって、お前が世界のすべてだってことさ」
++++++++++
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