第三章 魔獣百鬼夜行(7)鍛え甲斐のある少年
翌朝。どうしても宿に帰って寝たいと主張したリサは、宿のベッドで目を覚ました。昨夜の騒動のせいで、睡眠時間が短いのは致し方ない。
まだ朝食には早い時間だというのに、ドアがノックされる。
「はい」
リサが寝間着のままドアを開けると、そこにいたのはフィズナーだった。彼は彼女の格好が薄着なのに気づくと、視線を逸らす。
「気の早いノール・ノルザニ伯爵が宿の一階に来てる。昨夜の礼だとさ。旦那は一足先に下りてる。時間稼ぎをしておくから、着替えてから来てくれ」
「わかった。ありがとう」
リサはノナを起こし、ふたりとも着替えて宿の一階――入口の近くまで行くと、そこにはノール・ノルザニ伯爵と警固騎士隊たちがいた。そして、ついでに窓の外からザルトが様子を覗いている。
まず、ノール・ノルザニ伯爵は頭を下げる。明るいところで見て初めて気づくが、彼は結構な老齢のようだ。思い返せば、昨夜も声はしわがれていたようにリサは思う。
「昨夜の件については、感謝申し上げたい。わしはジルノ・グム=ノール・ノルザニ。伯爵である。ついては、謝礼金を渡し、警固騎士隊に迎えたく」
しかし、リサは首を横に振る。
「いえ、わたしたちは首都デルンに向かう途中なんです。あ、わたしはリサ。きのうの神官騎士はベルディグロウ。あと残りはフィズナーとノナ」
そう言われて、ノール・ノルザニ伯爵ジルノは至極、残念そうな表情をする。
「あの強さ、ぜひ当家で迎えたかったのだが……。仕方あるまい。では、謝礼金だけでも――」
そこで、ベルディグロウが頭を下げる。
「いえ、こちらこそ、伯爵の魔獣闘技場の騎士竜を倒してしまった身。あれでは興行も成り立ちますまい。謝礼金はそれとの相殺ということではどうでしょうか」
「神官騎士殿、あの騒動を収めてくださったのは、三万帝国通貨では足りぬものです。お支払いせねば――」
ノール・ノルザニ伯爵ジルノがそう言ってさらに食い下がるので、リサは窓の外を指さす。
「じゃあ、ザルトを鍛え上げてもらえませんか。士官学校を目指していると聞きました。警固騎士隊の下働きで、稽古をつけてあげてください」
「リサ殿、それは――」
「お気持ちはなんとなく。でも、本人が音を上げるまで、徹底的に鍛えてみてください。伯爵のもとであれば、そこまでならできるはず」
リサにそう言われて、ノール・ノルザニ伯爵ジルノは難しそうな顔をしていたが、溜息とともに折れる。
「正直、あの少年を鍛えるのであれば、六万でも十万でも払ったほうが安いくらいですぞ。……まあ、仕方ありますまい」
それを聞き、リサは窓を開ける。そしてザルトに言う。
「ザルト、話はまとまったよ。ノール・ノルザニ伯爵がみっちり鍛えてくれるってさ。きみが音を上げない限りはって条件付きで」
ザルトは喜び勇んで窓から転げ込む。
「やった! やっぱり、俺の活躍を見込んでくれたってことだよな! やるじゃん俺!」
その様子を見て、ノール・ノルザニ伯爵ジルノもその配下の警固騎士隊たちも、一様に溜息をつく。
リサは一方的に面倒ごとを押しつけた格好だ。乾いた笑いでやり過ごすしかない。
だが、今回のえせ魔獣使いの事件は、ザルトにとってありえる最悪の未来だ。もちろん、本人はそんなことは気づいていない。だからこそ、リサは本人が納得するまで、徹底的に挑戦の機会を与えて欲しいと思ったのだ。
本人が音を上げて逃げ出すならそれまでだが、逆恨みで事件を起こしたりはしないだろう。都市警固兵やほかのものになるだろう。逆に、もし、いつか士官学校に受かるならそれはそれで儲けものだ。
ザルトは目を輝かせてリサに言う。
「で? 誰が俺の先生? リサの姉貴?」
いつのまにか姉貴になっていたらしい。昨夜の大立ち回りを見て、弟子入りするならリサがいいと思ったのだろう。しかし、それはできない。
「ザルト、鍛えてくれるのはノール・ノルザニ伯爵の警固騎士隊の人。わたしたちは旅の途中だから」
ザルトはあからさまに不機嫌になる。
「えー、俺、リサの姉貴がいい。だって伯爵の警固騎士隊、全然弱いじゃん」
これはノール・ノルザニ伯爵への大胆な挑戦状だ。伯爵やその警固騎士隊員たちは、みなにこやかであろうとしているが、腹の奥から怒気が伝わってくる。気づいていないのはザルトばかりだ。
ノール・ノルザニ伯爵ジルノは笑う。怒りを込めて。
「ほほう」
「伯爵閣下、これは鍛えがいがありますな」
警固騎士隊の隊員たちもやる気に満ちあふれてくれたようだ。
リサは自分でやっておきながら、とんでもない置き土産をしてしまったと反省した。「気づく」能力というのはなにものにおいても、上達の必須能力だ。ザルトはまず、そこからスタートだ。道程はあまりにも長い。
++++++++++
ノナが運転する自動車が、北へ向かって軽快に走る。
助手席に乗って窓を開けているリサは、心地よい風を受けて爽快な気持ちになる。爽快でないものをノール・ノルザニ伯爵領に置いて来た気はするが、それはもう、彼ら自身に任せることにする。
目指すはファーリアンダ侯爵領。フィズナーに手紙をくれた、侯爵令嬢エドセナのいるところだ。
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