第三章 魔獣百鬼夜行(2)治安の問題

 幸い、今夜泊まる宿には、シャワーもあれば、電気もガスも通っていた。『身体が洗えて、気持ちよくパジャマで眠れる』ということは、リサにとってはとても大事なことなのだ。


 部屋の窓から外を見ると、夕暮れには少し早い。


 せっかくなので、リサは少し外の空気を吸ってこようと思った。車で宿を探したときに通りかかった小さなマーケット。手工芸品が主だったもので、そこまで目新しさはなかったが、ちょうどいい暇つぶしだと思ったのだ。


 同じく窓から外を見ていたフィズナーが言う。


「向かいにレストランがあるな。きょうの夕食はあそこがよさそうだ」


 すると、ベッドに腰掛けていたリサは立ち上がる。


「じゃあ、わたしは夕食の時間まで、少し散歩してこようかな。夕食、一時間後に店の前待ち合わせでいいでしょ?」


「ああ、それでいい。だが――」


 フィズナーが言いかけたところで、ベルディグロウのほうが早かった。


「だが、この街の治安はそこまでよくはない。気をつけるんだ」


「わかってるって。星芒具もついてるし」


 リサが左腕の籠手――星芒具を見せる。フィズナーとベルディグロウの男ふたりは微妙そうな顔をする。


 フィズナーは溜息をつく。


「まあ、お前の空冥術の強さは知ってるしな。だが、俺たち騎士――みたいなもんは、女のひとり歩きを心配もせずに送り出せねえの」


「まあ、フィズもグロウも紳士だもんね」


 そこで、ノナが手を挙げる。


「じゃ、じゃあ、わたしも一緒に行こうかな、なんて」


 やはり、フィズナーもベルディグロウも微妙そうな顔をする。リサにすら女のひとり歩きの忠告をしたところだ。それよりも戦力として劣るノナがいて安心できることでもない。


 だが、リサは胸をどんと叩いて胸を張るのだった。


「まっかせて! わたしがノナの安全を守るから」


「……だからさ、俺たちは……まあいい。気をつけて行ってこい」


「わかった。晩ご飯の時間には合流するからね」


 リサはそう言い残し、ノナを連れて、古めかしい宿を出たのだった。


 フィズナーとベルディグロウにしてみれば、やれやれといった感じだ。だが、一時間程度で何か起こるわけでもないと考え、リサの好きにさせることにした。


++++++++++


 リサはノナと共に歩いた。


 くだんの小さなマーケットまでやって来たが、客はまばらで、商店主もやる気なさげだ。


 らっしゃいらっしゃいと大声で客引きする日本の八百屋みたいなものに慣れすぎているからか、リサにはいまひとつ刺激が足りない。商店主ももう少し趣のある佇まいをしてくれればいいのだが、客にも商売にも興味なしといった雰囲気だ。


 リサには、彼らがなぜ店を出しているのかわからない。


 売っているものも、謎の木箱や謎の革製の入れ物だ。何に使えばいいのかよくわからない。革のカバンはまだわかる。だが、その程度だ。


 しかし、ノナの反応はやや違った。


「ここで売っているのは、下流階級の見よう見まねの粗悪品。売り手も期待はしていないものです。ここで日銭が上がればよし、くらいのものです」


「日本の陶芸家は、気に入らない作品は割ってしまったりするらしいけどね……」


「それは贅沢ですよ。上達への鍵は数をこなすこと。数をこなしているうちにうまくなっていく。その途上の粗悪品はここで売れればいいんです。買い手だって高いものは買えないわけですし」


 粗悪なものをつくっている間は、ここでやる気のない商店主に売って貰うわけだ。生活費だって材料費だってお金がかかるのだから。きちんと実用品がつくれるようになれば、大きな都市の商店に出荷すればいい。


「……なるほど。合理的か」


 リサがこのマーケットの構造に納得していたところ、少し離れたところから声が上がる。


「この、ドロボー!」


 この叫びには、リサは即時に反応した。


 慣れている。慣れすぎている。


 まず、声のしたほうを見る。すると、男がひとり、売り物らしきカバンを持って逃走している。あれが泥棒だろう。怒っている商店主も見える。こちらが被害者というわけだ。


「待ってて」


 そうノナに言い残し、リサは駆け出す。空冥術で強化した身体だ。瞬く間に追いつく。


 だが――。


 リサが追いつく一歩手前で、泥棒を蹴飛ばす少年の姿があった。泥棒はすっ転び、少年は吠える。


「逃がしゃしねえぞ、このコソ泥が!」


 すると、泥棒のほうは立ち上がると同時に、短剣を手に取る。


 危険な状況だ。だが、少年のほうも腰に提げた剣を抜く。彼は空冥術士で、増幅器エンハンサーが剣だ。だが、その剣の出来映えは粗悪で、平板な金属といった印象だ。


 フィズナーやベルディグロウの武器がいかによいものなのか、逆にわかってしまった状況だ。


 そうこうしているうちに、泥棒と少年剣士の斬り合いが始まる。だが、どちらもうまくはない。見ていて危なっかしい。特に少年剣士だ。相手よりも刃渡りの長い剣を持っているにも関わらず、攻防一体の空冥術剣技が活用できていない。


 泥棒の短剣が少年剣士の防御の隙を縫って突き掛かったところで、リサが飛び込む。


 まずは泥棒を蹴り飛ばす。空冥術で身体強化されているからこそだが、泥棒の体が宙に浮く。そこから、回転しつつ光の槍で後頭部を打ち据え、一撃でノックアウトしたのだった。


 リサがやれば一瞬だ。これにはさすがに少年剣士も声も出ない。


 次第に、付近の商店主たちが集まり、泥棒を拘束しはじめ、同時に、リサの手柄を称賛するのだった。


++++++++++

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