終章 もしも出会いが違ったら(3)黄昏、天使の夜

 十七時。リサは西日の中、生徒会室に残って作業をしていた。


 各部の部費の要求整理だ。どうせ溢れることはわかっている。問題は、どこかひとつの部の高すぎる要求を撥ねのけるか、全体的に一律に下げるか、だ。みんなが納得するロジックを考えなくては。


 ドアがノックされ、声が掛かる。


「リサ先輩、まだいますか?」


 生徒会室のドアが開き、姿を見せたのは留学生のラミザだ。彼女はオーリア帝国出身だが、多くのオーリア帝国人と異なり、褐色の肌に紅玉の瞳をしている。そして、長く美しい銀髪。右頬の傷跡だけが玉に瑕だが、懐いてくれているし、宝石のように美しくかわいらしい。


 本人はどうやらその褐色の肌をよく思っていないようだ。だが、リサはその艶やかな肌が好きだ。……そう思ったことをそのまま口にしてしまうから、懐かれてしまったという見方は間違いではない。


 ラミザはどうやらやんごとない血筋であるようだ。本人は隠そうとしているが、貴族からの贈り物とか、政治家との会談とか、有力者とのパーティーなどの単語が本人や関係者の口からぽろっと出る。なにやら上流階級の雰囲気が漂っている。


 あまりつついてもどうかと思うので、リサはスルーしている。そんなラミザは十七歳の二年生で、リサのひとつ下だ。


 ラミザはリサに言う。


「日本の大学に進学したくて、図書室で勉強してたんですけど……。もう閉まっちゃう時間なので」


「あーそうか。もうこんな時間か。ごめんね、すぐに準備するから。続きはうちで一緒に勉強する?」


「はいっ!」


 ラミザの満面の笑み。


 すぐにリサはテキパキと資料をバインダーに挟んで棚に仕舞い、文具をカバンにまとめてしまう。


++++++++++


 十七時半。


 リサとラミザは帰宅の途上にあった。向かう先はリサの家。これから一緒におしゃべりをしながら勉強するのだ。


 リサは腕時計を確認しながらつぶやく。


「トモシビの延長保育の時間か。きょうはグロウが迎えに行ってくれるはずだから、そこはおまかせだね」


 隣を並んで歩くラミザが微笑む。


「わあ、わたしトモシビちゃん帰って来たら一緒に遊んじゃう。リサ先輩が晩ご飯つくってる間、遊んでていいですか?」


「……少しだけだよ。うちには勉強しに来るんだからね」


「はーい」


 返事だけはいいのだが、表情は先ほどと同じような笑顔だ。きっとこの分だと、トモシビが帰って来た瞬間、速攻で遊びが開始されるだろう。



 家に辿り着き、リサが郵便受けを開けると、一枚だけハガキが入っていた。国際郵便。オーリア帝国からのものだ。


「ああ、フィズ。ついに結婚するんだ。お相手は、ラルディリース公爵令嬢。あのふたり、見ててやきもきしたけど、ついに収まったね」


 ラミザが笑顔で同意する。


「フィズナー騎士隊長やラルディリース公女とは、わたしと一緒に行ったパーティーでお会いしたんでしたっけ? 確か高輪の『瑠璃館』というところで――」


「うん。様式が日本と違っててびっくりしちゃった。あのとき、たくさんのオーリア帝国貴族がラミザのところに集まってあいさつしてたっけ。人気者なんだね」


 ラミザは苦笑いをする。


「いやあ、あれは、わたしというより、わたしのお兄さまが本国で有名人なんです。わたしはそのオマケみたいなものですよ」


「お兄さんねえ。そのうち、ラミザのお家にもお邪魔したいな」


「それはぜひ! でもお兄さま、リサ先輩のこと好きになりそう。もしそうなったらわたしが悪い虫として退治しますから!」


「悪い虫って。お兄さんでしょ?」


「リサ先輩はわたしがもらうんです!」


 そんな会話をしているときに、リサは自分のスカートのポケットが振動したのを感じた。携帯電話の着信だ。


 リサは携帯電話を取り出すと、ふたをパカッと開ける。ショートメッセージ、新着一件。


「えーと、なになに。これ、お姉ちゃんからか」

 

 メッセージはごく短い。『奨学金取れたよ! いえい!』それだけだ。それだけだが、逢川家の家計を圧迫しないことがわかる。とてもありがたい情報だ。


 それに、この分だと、ひとり暮らしも楽しくやっているのだろうとわかる。


「お姉さん――ミクラさんって、洛城大の理学部でしたっけ」


「そうそう。将来は宇宙物理に進むって言ってた。なんでも、人の知らないところにどんどん知的冒険に行きたいんだとか」


 そうだ。姉のミクラは昔からそうだ。好奇心旺盛で、よく草むらなんかに走って行っては、見えない沼に落ちたりしていた。それでもまったくへこたれない。反省しない。とにかく猪突猛進がミクラだ。


 ラミザはリサに顔を近づけ、見上げるような姿勢で言う。


「それで、リサ先輩は法学部ですよね。どこの大学か決まりました?」


「うーん。いくつか候補はあるんだけどね。青京大、洛城大、商大……。国立は前期・後期の二回しかチャンスがないのがね。私立の三田塾大とか西北大も入れときたいところ。いまは最後の絞り込み」


「ふふ、わたし、リサ先輩と同じ大学に行きたいです。青京大でも洛城大でも!」


「いいの? じゃあ、わたしが第一志望に落ちたら?」


「はい。そのときは第二志望に行きます!」


「わたしが落ちまくって、第七志望くらいに行くことになっても?」


「はい。わたしはそこに行きます!」


 あまりにも屈託のない、ラミザの笑顔。それを見ているリサのほうが、なんだかおかしくて笑えてしまう。


 リサはカバンから家の鍵を取り出し、それをドアの鍵穴に挿し込む。


「はは、ラミザ。さては、わたしのこと大好きだな?」


「いつもそう言ってるじゃないですか!」


 ふたりはそんなことを言いながら、家のドアをスライドして開ける。そしてふたりとも家の中に入り、閉める。


 そうあれかし、という願いを聞いた気がする。



 日本、初夏。青空の遠くから、セミの鳴き声が聞こえ始めるころだ。


 黒い羽が一枚、ふわりと、家の入口の前に落ちた。


++++++++++


++++++++++


 夜、日本、青京都、四ツ葉市。


 八月の寒空の中を歩くリサは、目の前でふわりと舞い落ちる黒い羽を手ですくう。


 これは天使の羽だ。


 廃墟の屋上。ロングコートの裾を夜風がもてあそぶ。口元を覆ったマフラーがたなびく。


 頭上には丸い月。しばし、リサは神殿に眠る姉のことを思う。


 遠見で見える先には、高校生くらいの少女が立っている。彼女は廃墟の屋上の縁に立ち、遠くを見遣みやる。夜闇に溶けるような黒髪が、癖毛でうねっている。


 翻って、現在のリサは明るい栗色の、真っ直ぐの髪だ。年齢は、彼女よりも十七くらい上。


 黒髪の少女は、携帯電話機を片手に何やら話している。


「そう。でも、ママとだって電話してるんでしょ? え、これはわたしにだけ? ……もう、じゃあ、時間だから。何の時間って? ほら、夜でしょ。また明日」


 リサはビルの屋上から屋上に飛び移り、彼女のところへと向かう。


 近くに着地すると、彼女は振り返る。


「ママ」


 リサは微笑む。


「トモシビと仲良しだね、ソレス」


 ソレスと呼ばれた黒髪の少女は恥ずかしそうにはにかむ。


「あっちが懐いてくるんだもの」


「あっちはお姉ちゃんだよ」


「あ、トモねえは、サマースクールを楽しくやってるみたい。でも、出先でまでわたしと電話してちゃいけないわ」


「トモシビは、ソレスが大好きだからね」


 もう、とソレスはうなる。それから、彼女は先ほどまで見ていた空の先を指差す。


「あの向こうに神界の入口が開いたわ。あの天使はこの先にいる。『可能性の右腕』も、彼女が」


「だろうね」


「ママったら、解ってて泳がせたの?」


「……待たせたね。少しばかり、友達の素敵な世界を愛でていたくて」


 リサは左手を振るい、光の槍をつくりだす。ソレスも、黒い光の槍を手に取る。


 さあ、前に進む時間だ。完成していない関係を続けるために。そして、愛のために。

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