第十章 親として(2)忘れ去られた交渉

 リサの声はだんだんと冷たくなっていく。


「ふうん。知っていたとも。わたしの可愛いトモシビにあれだけ熱を出させて、つらい思いをさせた。その元凶がガリアッツであることも」


 フラムは開き直り、もはや隠そうともせず、大声で言い返す。


「だが、あれは危険な存在だ! 私たちは知っている。エグアリシアという神を! 無敵の防御と攻撃を兼ね備え、すべての神を屠り、異界の神総出でようやく止まった、神話以来最大の災厄を!」


「わたしはあの子をトモシビとして育てるつもり。エグアリシアは不幸な子だった。トモシビは幸せにしてみせる」


 だが、一向にフラムの激昂は止まらない。


だと!? 星辰界うちゅうの覇権を握る幸せに到達するではないか!」


「それは、あの子が決めること。大学へ行くかもしれない。会社勤めをするかもしれない。作家になるかもしれないし、歌手になるかもしれない。お店を開くかもしれない。無一文になって路頭に迷う自由だって、あの子の手にある。


「そんなことで! ガリアッツの絶対的地位を危険に晒せるものか! あれは十数年もすればエグアリシアとなり、全星辰界に敵うものはなくなる。星辰界の終焉が訪れるのだ!」


 リサはくっくっと笑う。


「星辰の覇者ガリアッツが、五歳の子供をそこまで怖れているとはね」


「あれを怖れるのは知恵ある者だ! 絶対防御のヴェイルーガ、無限の攻撃性能のミオヴォーナ。その両方の力を引き継いだ者など、存在していいはずがない!」


「では、わたしに、トモシビのことは諦めろと言うんですね?」


「そうだ」


 リサは首をかしげる。まるで、いまの話が聞こえなかったかのように。


「おかしいですね。もう一度訊きます。このわたしに、トモシビのことは諦めろと言うんですね?」


「そうだと言っているだろう!」


 リサは溜息をつく。そして額を押さえ、頭を軽く二、三度横に振る。


「冷静になって下さい、フラム代表。あなたも神の末裔であれば、わたしの力が見えるはずです。もう隠しませんので、ご覧になって下さい」


「いったい、なにを言って――」


 そうしてフラムはリサのほうを見て、絶句した。そして椅子から転げ落ちる。尻餅をつき、後ずさりさえする。


 先ほどまで、神の末裔と堂々と名乗っていた男のすることとは到底思えない。


 同じように、天使の末裔であるメリヤもリサのほうを見たが、彼女も絶句し、椅子から立ち上がって距離を取る。膝が、全身が震えている。


 リサは会議机に頬杖をつき、ひと言言う。


「それくらいの距離ではまるで無意味ですよ」


 この状況下で、神の権能を見ることができないグオルーとヴージンは、なにが起こったのかをフラムに問う。


「おい、フラム、一体なにが――」


 フラムの顎は震えている。


「そ、そそそ、そんな莫迦な。ミオヴォーナの攻撃性能に、天弓『ヴィ=ロイオ』の形代レプリカ。ヴェイルーガ並の防御力を誇る『神護の盾』。その上に、異界の神の権能である『遠見』と『未来視』まであるだと……?」


 ガリアッツ側の参加者は全員がざわめき、椅子から立ち上がる。メリヤにも、フラムと同じものが見えている。


 さすがにこれには、リサの側に座っているベルディグロウもノナも驚く。唯一、ザネリヤだけが落ち着いているのは、そのことをある程度把握していたからだ。


 ザネリヤは、リサの空冥術軍復帰後の戦闘データを見られる立場にいた。その中で、彼女の洞察力を以て把握できたことも、たくさんあったのだろう。


 リサはもう一度問う。


「トモシビが、エグアリシアのような強さになりそうだから、怖かったわけですよね? ところで、いまのわたしとエグアリシア。どちらが強いと思いますか?」


「……」


 フラムは答えない。尻餅の姿勢から四つん這いになったが、まだ立ち上がれずにいる。そんな彼に、リサはもう一度『神の選択』で命令する。


「答えよ、フラム」


「んが――ッ。逢川リサ……様のほうが、神話最強の神を超えています……」


 フラムの言葉は真実だった。それゆえ、ガリアッツ側の尊い血統の末裔たちはざわめく。


 リサは追い打ちのように冷たく言う。


「あと十数年で、トモシビはエグアリシアに追いつく。だから、さらうか殺すかするのだと。フラム、あなたはそう言いましたね。だけど事実はどうですか? エグアリシア以上の者が、いまこうしてあなたの目の前にいる。わたしを怒らせたら、十数年の猶予などないんですよ」


「ぐ――」


「だから交渉です。ガリアッツのみなさん。わたしはトモシビを平和に育てます。エグアリシアは孤独と悲しみから破壊神になりました。でも、わたしはトモシビを幸せの中で育てます。平穏無事であれば、彼女は戦うことを知らぬまま生きていくでしょう」


「そんなことを信じられるか! そんな危ないものを野放しにできるか!」


「わたしのほうがトモシビよりも危ないと言っても、まだわかりませんか? トモシビに危害を加えないなら、わたしはガリアッツの味方さえしましょう。これでどうです?」


 これにはさすがに、グオルーやヴージン、そしてメリヤがフラムを諫めに行った。もう負けているのだと。逢川リサの言うとおりにすべきだと。


 だが、フラムは負けを認めなかった。彼はこのガリアッツでさえ、頂点に君臨したアルブ地区の血族だ。ガリアッツの中のガリアッツ。星辰の覇者の中の覇者だ。ゆえに、誰かに従属することが許されない。


 フラムは左手に杖を召喚し、その杖を床に突く。それはスイッチだった。


「フラム殿! なんてことを!」「フラム様! それではいけません!」


 フラムは高笑いする。


「これが最後の起爆装置だ。『泥の乙女』の高熱は逢川リサを呼びつけるためのもの。あれをわれわれで飼う選択肢もあったからこそ生かしていた。だが、逢川リサのほうが危険とわかったいま、これであれの頭を吹き飛ばすのみ」


 リサは立ち上がる。


「その杖の取り消しはできないの? いますぐ取り消して!」


「取り消しはもはや不可能だ。四十時間以内にあれの頭蓋は吹き飛ぶ。まだ泥の子供だからできることだ。泥が十分定着していれば、できなかったはずだ」


「フラム!」


「どうだ、ガリアッツを滅ぼすか? 逢川リサ! 貴様の天弓なら二射足らずでこのガリアッツは滅ぶだろう。だが、貴様を日本に帰すということは、ガリアッツが日本の支配下に入るも同然ではないか! この俺は誰にも隷属しない!」


 リサは怒りと哀れみを湛えて、取り乱したフラムを見やる。


「ここまで話にならないとは、哀れだよ、フラム」


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