第九章 発熱と目覚め(2)ままをつれていかないで
カツ、カツ、カツ、カツ――。
『やつ』の心音がする。『やつ』の足音がする。
『やつ』が近づいてくる音がする――。
トモシビが熱を出した。
リサはもちろん看病にあたる。医者を呼んだが、四十度近い高熱にもかかわらず原因がわからないとのことだった。
「きっと、宇宙に行ったからじゃないですかねえ」
医者がそんなことを言って逃げようとするので、リサは思わず怒鳴る。
「国防軍の誰も、こんな熱は出してないんですよ!」
とりあえず熱冷ましが処方されたが、そんなものは対症療法に過ぎないとわかっている。医者はただ逃げ帰った。
国防軍庁舎に宿泊していたノナが、電話を受けて慌ててリサの家に来る。
それからはリサとノナの交代制で、トモシビの氷嚢を取り替え、ときに水を飲ませ、細かく砕いた果実などを食べさせた。
熱は一向に引かない。
夜ごと、トモシビはうなされる。その度にリサは起きて、トモシビの額を撫でるのだ。熱い。不安になるほど熱い。
「かみさま、ままをつれていかないで。かみさま……」
そんなうわごとを、トモシビは言った。
++++++++++
「ずいぶんやつれたね」
リサのマンションの玄関で、ザネリヤがそう言った。
「そうかな」
そう答えるリサの声は弱々しい。自分でも解っているのだ。不安で眠れない。二十四時間うめき続ける娘の声を聞いていて、気持ちが落ち着く瞬間なんてない。
「トモシビは?」
「いま、ノナが看てくれてる。あんまり苦しそうだから、見せるのは……ちょっと」
「いいよ。リサに、少し話しておこうと思って来たんだ」
「なに?」
「ファゾス共和国のこと」
「それを、いま?」
「いまだからさ」
「なに?」
「この件には、ガリアッツが絡んでると思う」
「ガリアッツ……?」
リサは疲れ切った頭で思い出そうとする。確か、以前、ノナとそれに関する話をした憶えがある。だが、頭がぼうっとする。
ザネリヤが述べる。
「星辰同盟と版図を接する小さな国さ。惑星世界ひとつで形成されてる。ほかの陣営と違って、領土拡大の野心はない。だけど――」
「……思い出した。二万年前に突如として野心を失った宇宙の覇者。いまでいう星辰同盟も銀河連合も、その他の星々も手にしていたはずなのに、手放したという、あの惑星」
「トモシビは『泥の乙女』なんだろう? エグアリシアと同じに」
リサは、ザネリヤからエグアリシアの名が出てきたことに驚く。
「ザン、どうしてそのことを知って――?」
「ガリアッツは傑物揃いだ。それゆえに、星辰界の真理を知って気力を失った。数百万年前にエグアリシアという最強の神がいたことを知ってしまったからさ」
「だから、どうしてそのことを――!」
「ファゾスという言葉は、ガリアッツ惑星世界で五番目の文字だ。……そうだなあ、アルファベットでいえば、Eみたいなものか。つまり、ガリアッツで五番目の国家、くらいの意味なんだよ」
リサは驚愕する。
「じゃあ、ザンは、ファゾス人というより――」
「そう、ガリアッツ人だね。ファゾスは五番目に、ガリアッツ惑星世界に移植された国。そう『星の悪魔』によってね。この意味がわかるかい?」
「ガリアッツには、ほかにも『アクジキ』が移し替えた国がある……?」
「そうとも。ガリアッツの二十三の国家は、すべて、あの悪趣味な『星の悪魔』が他所から取って付けた国なんだよ」
『星の悪魔』。それは日本では『アクジキ』という名で通っている巨大な宇宙ナマズのことだ。日本は九五年に『それ』に食べられてこの惑星アーケモスに国ごと転移してきたのだ。
どうやら、ガリアッツは『星の悪魔』のお気に入りのようで、惑星表面が別の惑星からとってきた国の寄せ集めばかりでできているらしい。
「じゃあ、ザンの国も……?」
「そう。ファゾス共和国の本当の名は、ウェータ帝国。本来はアーケモス惑星世界にあった国家で、第三代アーケモス大帝を輩出した強国。その大帝の名こそ、ゾニ。アタシの先祖さ」
「ザンが、かつてのアーケモス大帝の子孫……」
「だけど、ウェータ帝国は『星の悪魔』に食われた。そして、ガリアッツの五番目の国家となったのさ。何千年とかけて、ガリアッツの国家数――地区数は二十三になった。いずれも偉大な国でね。アーケモス大帝すら目立たないくらいだ。それで、ゾニ一族は次第に、学者の家系になっていった」
「それで、ザンが学者に……」
「まあ、二十三も偉大な国家があれば、星辰界の覇権など簡単に取れた。まだどこの惑星世界も未発達だったものだし。敵わないのはもはや、神界レイエルスとディンスロヴァだけだと信じていた」
リサにとっては、それだけ勢いのあるガリアッツでさえ、神界だけは警戒していたというのは意外だった。確かに、そもそもあそこへは『鍵』がなければ入れない。この宇宙にある白い惑星は、神界レイエルスへの入口の門に過ぎない。
「それで、神界以外は全部征服したと……」
「概ねそう。だけど、そのうちに、数百万年前の神話を紐解いてしまった賢い愚か者が現れた。もともと原星辰界があったこと、ディンスロヴァはこの枝星辰界の創造主にすぎないこと。そして、最強の神エグアリシアは原星辰界の神すら超越していたこと……」
「そこまで、知ってるんだ……」
「そうとも。ガリアッツは単一の惑星で全星辰界の覇者になれると傲慢になっていた。だが、かつて個人で星辰界すべてを掌握し、原星辰界の神々総出でなければ
「ディンスロヴァよりも恐ろしい存在を知ってしまったわけだ」
「そう。そして最近、ガリアッツは星辰界の覇権が次々に塗り変わっていったことに気づいた。そして、リサ、あんたの存在に気づいた。それから芋づる式に、トモシビの存在にも気づいたというわけだ」
「わたしが、短期間でヴェーラ星辰軍を倒したから……?」
「ガリアッツはエグアリシアを怖れている。トモシビが大人になったら、きっとエグアリシアのような神になると思ったんだろう。アタシだって、その可能性はないとは言いきれない」
「だからって、あんな子供に――!」
「子供だからさ。まだ力が弱いから、『泥の乙女』を倒せると踏んで攻撃してきている。……あとわずか十年すれば、トモシビのほうがガリアッツを滅ぼせるかもしれないんだからね」
そう言われて、リサは肩を落とす。トモシビには、平穏で健康的で、自由な成長しか願っていないのに。なぜ、誰にも迷惑を掛けていない彼女を殺したいと願う者が存在するのだろう。
「どうしてこんなことに……」
「やりすぎちまったのさ。あんたも、アタシもね」
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