第七章 愛されぬ獣(2)手をつないでくれなかった

 右腕を失った『予言の神』が、憎悪を込めてミオヴォーナを睨み付ける。


「許さん……。許さんぞ」


 ミオヴォーナは即座に距離を取り、天弓を構え、引き絞り、放つ。


 『予言の神』の左肩が砕け散る。左腕は辛うじて付いているような状態だ。


 ミオヴォーナは理解した。『予言の神』に不死性はない。エグアリシアと違って、倒すことができる。


 しかし、次の矢は『予言の神』の左手に弾き飛ばされた。左肩を吹き飛ばしたはずで、無力そうに垂れ下がっていただけの左手に、だ。


 ミオヴォーナが何発矢を射かけようと、すべて『予言の神』に回避されてしまう。そこでようやく彼女は理解する。


 『予言の神』は右腕がなくても、未来を読むことくらいはできるのだ、と――。


 勝負にならなかった。ミオヴォーナとて、『未来視』で先読みができる。だが、本気になった『予言の神』はそのさらに先を読める。


 敵わない。


 気づけば、ミオヴォーナは『予言の神』の左手で頭を握られていた。そして、長身の『予言の神』の長い腕の分、吊り上げられる。


 ミオヴォーナの口から痛みに悶える声が漏れるが、『予言の神』は一向に手加減しない。


「俺の妃にしてやろうとしたのに! 軽率な行為を後悔しろ! 貴様は不死身のエグアリシアでもヴェイルーガでもない! ここが終焉だ!」


 『予言の神』はミオヴォーナの頭部を――魂を握りつぶす。彼女の魂は砕け散り、冥界に霧散した。


 冥界の女主人エリナーは面白げに笑う。


「ほう、愛する者をこの地で握りつぶすとは。ミオヴォーナはこれでまともに『死の門』をくぐることさえあたわぬ」


 肩で息をしている『予言の神』はエリナーを睨み付ける。


「さえずるな、冥界の番犬。六柱神にもならぬ半端者が。もとより俺に愛などない。すべての存在は俺よりはるかに格下ゆえに、俺の愛に値せぬ」


「だが、お前はかの者にしておったのだろう?」


「それはそうだ。俺の予言でわかる。あのような美しい魂は二度と生まれぬ。あれを取りこぼした、この悔しさたるや!」


 エリナーは嘲笑うように溜息をつく。


「ああ、お前のそれが、捻じ曲がった愛だと気づいておればよかったものを」


 『予言の神』は罵倒で応酬する。


「休みなく死人の列を見続けている貴様が、愛だなんだとやかましい」


「わらわに愛はあるとも。すべての生きるものは死ぬ。だが、ああ、死なせるに惜しい、この生命は惜しいと思うて日々見ておる。これは愛の仕事よの」


「ほざけ、汚れ役が」


「汚れと言ったか? 神聖なる死を前にして」


++++++++++


 ともかくも、そういった事情で、ミオヴォーナは『死の門』をくぐり損ねた。霧散した彼女の魂が修復されるまで、数万年の年月を要した。


 もっとも、現世うつしよの時の流れとは異なったけれども。


++++++++++


 リサは夢を見た。


 父がなにかの理由で亡くなったあと、姉のミクラは小学二年生にして、おてんばという言葉では済まされないほどの奔放さを発揮した。


 好きなものを食べ、嫌いなものは食べず。


 好きなように出掛け、帰って来ないこともしばしば。


 好きな部活を始めては、すぐに上達して飽きて辞めて。


 気に入った子とは遊ぶが、気に入らない子はすぐに殴った。


 やりたいことをやりたいようにやり、人からのお仕着せの『普通』など拒否していった。その結果として、次第に周囲も「ミクラちゃんだから仕方ないよね」と言い始めるようになった。


 対して、一歳年下のリサは臆病だった。


 なにをするのも怖い。なにを始めるにも準備が必要だった。


 普通の人は中学・高校・大学と進学するのだと知り、よく勉強をした。


 優等生は本を読むのだと知り、図書室の本をすべて読破した。


 それでも、なにをしてもミクラに敵わない。ミクラは輝いていた。いつも喧嘩をして怪我だらけだったが、生命力に溢れ、魅力的だった。


 

 小学校三年生のある日、リサの周りでいじめが起きた。彼女は、それを許せないと思った。だけど、周りの子たちはいじめを見て見ぬ振りをしている。


 おかしいと思った。こんなことが普通でいいはずがないと思った。


 ミクラならどうするだろう。


 そう考えたときには、近場の椅子を掴み、いじめっ子をそれで殴っていた。


 

 その日の夕方、リサは先生たちにこっぴどく叱られた。母親までも呼び出され、母親は何度も何度も、いじめっ子の親に頭を下げていた。


 リサは困惑した。わたしはいじめを止めたのに。どうしてわたしが悪者になっていているのだろう。どうしてお母さんまでもが、わたしを信じてくれないの、と。



 小学校からの帰り際、母親は泣きながらリサに言った。

 

「ミクラはともかく、リサまでそんなことをするなんて」


 これはとんでもない衝撃をリサに与えた。彼女はあくまでも、これまでは、周りがいうお利口の自分を演じていただけだ。今回は、自分の判断で正しいと思ったことをしただけだ。


 なのに――。ミクラがやってもよくて、リサがやってはいけないとはどういうことだろう。


「ねえお母さん。わたし、自分で考えて、正しいと思ったからやったんだよ。お姉ちゃんとわたしで、なにが違うの?」


 母親は目のあたりを拭う。


「そうね。リサはもう三年生。もうすぐ十歳だもの。勉強もするし本も読む。賢いものね。大人だものね。もうお母さんがとやかく言う必要はないんだわ。もうお母さんに関係のないこと」


 母親は、リサと手をつないでくれなかった。

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