第七章 愛されぬ獣

第七章 愛されぬ獣(1)冥界巡りの記憶

 カツ、カツ、カツ、カツ――。 


 『やつ』の足音が近くに聞こえる。


 そんなことはありえない。ありえないならこれは夢だと思った。


 どこからか声がする――。


「あなたは自分のやりたいことではなく、誰かがあなたに望んでいると思った役割を演じた。つまらなくて当然よ」


 いったい、いつ、誰に言われた台詞だろう。


 思い出せない。


 思い……出せない……。


++++++++++


 『彼女』は気づくとそこにいた。


 周囲にいる人々はみな歩き回っているが、目的地を持っているようには見えない。どこへ行くのか、行かないのか、まるではっきりとしない。

 

 空はくらく、あかく、黒い雲が流れている。


「そなたのような者が、ここへ来るとはのう」


 声のしたほうを見上げると、石造りの壇上に髪の長い女が座っていた。紫がかった黒髪――いや、あれはこの禍々しい空の色を映しているのだろうか。


 女は壇上にいるが、着ている衣装の飾り布はすべて長く、それらがすべて壇の下まで続いている。何らかの文字がびっしり書かれているが、読むことはできない。読んではならぬと、魂が拒否しているようだ。


 女はまるで、そこから動くことなどないようだ。


「あなたは――」


 『彼女』は女のほうへ近づこうとしたが、強い威圧を覚えて、その場で立ち止まった。不用意に近づく相手ではないということを、自分の魂が訴えている。


「名乗るのであれば自分からせよ。生きていた者よ」


 『生きていた者』と言われてようやく『彼女』は理解する。ここは死後の世界――その手前だ。


「わたしの名は、ミオヴォーナ」


 『彼女』――ミオヴォーナはそう名乗った。


「わらわはエリナー。この冥界の女主人である。枝星辰界の神よ、神々の終末戦争がまたも起こったか」


「またも、とは――?」


 エリナーは笑う。


「ここでは、時間の流れが現世うつしよとは異なる。『時の神』の干渉を半分しか受けぬゆえにな。さればこそ、誰がどの順で死んだなどというのはここでは意味のないこと。神々の殺し合いは、お前の後にも前にも無数にあったということだ」


「な――」


「殺した者が殺された者より先に到着することもある。それがこの冥界。原星辰界、枝星辰界、すべての星辰界の死者はここを訪れる」


「では、わたしは死んだのですか?」


「ああ、お前は死んだ」


「わたしを殺した、エグアリシアは?」


「やつはお前より先に来た。だが、見よ」


 エリナーは彼女のいる石壇の横に巨大な黒い入口があるのを指さす。


「あれは?」


「あれが『死の門』だ。すべての生きた者はこの冥界を通り、やがて『死の門』をくぐる。それが完全な死だ。だが、あのエグアリシアとやら、どうしても『死の門』を通らなんだ」


「なぜ――」


「お前の姉、ヴェイルーガの権能を引き継いでいたのだろう? どれほどいたぶられても死なぬという、呪いのような権能を」


「まさか、本当に死すらも受け付けない――?」


「滑稽よの。あれは何をしても死ぬことはない。たとえ殺しても、完全な存在として生まれ変わる。記憶と罪を引き継いでな」


 エグアリシアにとっては、死すらも逃げ道ではない。もともと不死の存在として生み出された存在だ。世界の終わりまで旅を続けることになるのだろう。それは、なんと残酷なことだろう。


「彼女に、安らぎはないのですか……」


「あれには、死の安らぎはない。生の中に安らぎを見るしかない。もっとも、すでに死んだお前に、できることなどないのだがな」


 ミオヴォーナは後悔した。エグアリシアとの最後の対決で自ら死を選択してしまった。やるべきことはエグアリシアと戦うことではなかったのだ。彼女の魂を救うことだったのだ。


 気づいたときにはもう遅いというわけだ。



 そこへ、見知らぬ男がやって来る。異様に背が高く、手足の長い男。


 ミオヴォーナは一瞬で、それが敵だと悟った。


 男は笑う。ミオヴォーナには、その笑みが何重にも分割して見えた。快感、幸福、怒り、侮蔑、嘲笑、興奮――。


「きみがここに来るのを待っていたよ、ミオ」


「誰?」


「誰とはつれないな。きみの未来の夫、『予言の神』じゃあないか。きみに結納の品として『遠見』と『未来視』を与えた神だ」


「あの能力を――!?」


「能力は満足に使ってくれたようだね。……きみが俺の妻となる未来はもう確定している。喜びたまえよ、『この世の始まりの神』の息子であるこの俺、いずれ父親を殺して最高神になるこの俺がめとってやるというのだからな」


「そんなの知らない!」


 ミオヴォーナは『予言の神』に対して天弓を構えた。


 だが、ここで『あの音』がする。


 カツ、カツ、カツ、カツ――。 

 

 この音を聞いて、『予言の神』は激昂する。


「やかましいぞ『時の神』! 俺の父『この世の始まりの神』いや、『死の神』に負けて、姿を現せない臆病者のくせに! ここへ来て覗き趣味か! 存在感だけ示そうってのか!」


 『予言の神』を嘲笑うように鳴り響いていた時間の音はおとなしくなる。


 『予言の神』は気を取り直し、ミオヴォーナを口説きに掛かる。


「ああ、美しい魂、美しいミオヴォーナ。かつて俺たちの原星辰界から裏切った神がつくった枝星辰界の末裔とは思えない。そしてその神々しい力。原星辰六柱神に並んで遜色ない。そうとも、次なる最高神の妃にふさわしい」


 その言葉の後、ミオヴォーナは『予言の神』が右手を振り上げたのを見た。その瞬間『未来視』が発動する。


 ―― この男に、右腕を振るわせてはいけない。


 瞬時に天弓が槍の形をとり、ミオヴォーナはそれで『予言の神』の右腕を切り落とした。


「き、貴様アアアああアアアアアアッ!」 


 冥界に『予言の神』の叫びがこだまする。


 『可能性の右腕』――それは『予言の神』の最大の権能だ。その右腕を振るい、願うだけで、過去も未来も思いのままに書き換わる。それこそ、彼が父親である『死の神』を殺しうる唯一の武器だった。


 ミオヴォーナは『未来視』により、その右腕が振るわれた後の世界を垣間見た。それゆえ、その腕を振るわせてはいけないと理解したのだ。


 ぼとり、と。『可能性の右腕』が冥界の大地に落ちる。

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