第五章 不適合社会

第五章 不適合社会(1)社会に帰るということ

 トモシビの幼稚園は、朝は送迎バスが来るが、帰りは親が迎えに行くことになっている。これは、親が仕事などで留守の家に子供を放置しないようにするための安全策だ。


 ある日、リサがトモシビを迎えに行くと、トモシビは園庭で悲しそうな顔をしていた。


 帰り道すがら話を聞くと、筆箱の中身をひっくり返されたらしい。なぜいきなりそんなことをされたのか解らず、ひとりで鉛筆や消しゴムを拾ったということだった。


 当然ながら、リサは、酷い子が同じクラスにいるようだと感じた。だが、リサ自身、その手の嫌がらせを受けた憶えはある。幼稚園ではよくあることだ。


 リサはぼんやりと、その頃から姉のミクラは相手に拳の反撃を食らわせていたなあと思ったが、トモシビにそれを推奨するのは違う気がした。


「じゃあ、きょうは元気つけるために、ドーナツ買って帰ろうか」


 リサにそう言われて、トモシビは少し嬉しそうになる。


「うん。ポイントたまる」


 トモシビの大好きなネコ柄の皿はすでに一枚もらっている。どうやら彼女は一枚では飽き足らないらしい。


 その日は晩ご飯後のデザートとして、トモシビはフレンチクルーラーを、リサはゴールデンチョコレートを買って帰った。


 この話はそれで終わるはずだった。


++++++++++


 しかし、事件は翌日も続いた。


 この日はリサのバイトの日だったので、彼女はバイト先からトモシビを迎えに行った。


 するとまた、トモシビは園庭で悲しそうにしている。


「くつした、かたっぽとられた」


 見てみると、確かに、トモシビは右足だけ素足で靴を履いている。


「取られたって、誰に?」


「じゅれくん」


 まずはそれだけ聞ければ充分だ。リサはトモシビの手を引き、トモシビの教室の入口に立つ。担任の先生はまだ残っている。幼稚園案内をしてくれた年配の教諭ではなく、若い教諭だ。


「すみません、納田のうだ先生。トモシビの母です」


「はい」


 納田先生はなにか作業をしているようだったが、教室の入口までやって来てくれた。


「トモシビが靴下を取られたと言っていまして。相手はじゅれくんという子だそうですが」


矢間元やまもと珠令じゅれくんがですか? おかしいですね。そういうことをする子じゃないんですが」


「直接お話をしてみることはできますか?」


「きょうは、くま組の子たちはみんな帰ってしまいましたから。明日訊いておきますね」


 それを聞いて、リサは内心、バイトで迎えが少し遅れたことを後悔した。


「わかりました。お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします」


 リサは頭を下げ、トモシビの手を引いて帰る。帰る先はバイト先の『ゆめ書店』だ。



 『ゆめ書店』へ向かう最中も、トモシビはずっと悲しそうだった。いや、むしろ、顔を真っ赤にして、ポロポロ泣き始めたのだった。


 トモシビは言った。


「せんせいは、うそつき」


 強い言葉がトモシビから発されたことに、リサは驚く。


「嘘つき?」


「くつしたとられるの、せんせいもみてた。おおきなこえで、いやだってちゃんといった。なのにしらないふりした……」


 トモシビの言うとおりなら、納田先生は嘘をついていることになる。珠令くんの蛮行を許したことになる。


 なにかがおかしい。


 なにかおかしなことが起こっている。


++++++++++


 翌日、バイトの日ではなかったので、リサは幼稚園の終業時間すぐに着くように迎えに行った。園庭にはまだまだたくさんの園児が残っている。


 だが、そんな園庭で、トモシビは泣いていた。


 リサはそんな娘の姿を見つけ次第、すぐに駆けつける。


「トモシビ、どうしたの?」


「ねここちゃんのえんぴつ、すてられた。まどから、すてられた。ずっとさがしてもみつからないの」


 ねここちゃんというのは、トモシビが大好きなテレビ番組のキャラクターだ。幼稚園に入ったお祝いに、リサが買って与えた文房具に、ねここちゃんの柄が入っている。どうやらそれを窓から捨てられたようだ。


「……誰にやられたの?」


「じゅれくん」


「どこにいるかわかる?」


「あのこ」


 トモシビが指を指した先に、男の子がいた。リサがそちらを向いたことで、気まずそうにしている。


 リサは即座にその男の子――珠令に近づき、屈んで視線の高さを合わせると、確認する。


「珠令くん? 矢間元珠令くんで合ってるかな?」


 だが、珠令らしき子は何も答えない。名前を聞かれてもただ黙っている。


「わたしね、トモシビのママなんだけど、珠令くんとお話ししたくてね。……悪いことをしたい子はいないと思うの。だから、わけを知りたくて」


 リサは珠令を真っ直ぐに見据える。すると彼は、魔法に掛かったかのように動けなくなる。


 光が当たって緑色に輝く両目。彼は吸い込まれそうになる。一種の魔法のような状態が発生する。子供ながらの敏感なセンサーに引っかかったのだろう。なにしろ、リサの両目は『遠見』と『未来視』という神の権能を秘めているのだから。


 珠令は口を開き始める。これもまるで、魔法に掛かったかのように。


「えっと、黒い服の人が――」


 しかし、それは珠令の母親に止められる。


 駆けつけた矢間元ママはヒステリックに騒ぎ立てる。


「うちの子になにをするんです! こんなに怖がらせて! あなたも大人なら――いえ、若い子供ママだからわからないかしら、そんなので子育ては務まらないのよ!」


 リサは立ち上がる。話し合いの相手は強制的に矢間元ママに切り替わった。こちらを相手にしなければならない。げに恐ろしきはモンスターペアレント。


「事実を確認していただけです。うちの子が鉛筆を捨てられたと泣いていましたので」


 しかし、矢間元ママは話にならない。


「そんなの、あんたの子育て失敗した娘が悪いに決まってるでしょう! よく見るとうちの子の頬が赤いわ! きっと殴ったんだわ! そうに違いない! 暴力反対! 暴力反対!」


 なんだろうこれは、本当に大人だろうか。リサは両肩がずんと重くなるのを感じる。これこそ、子供時代から苦手としてきた、理屈の通じない子供ではないのか。まさかそのまま大人になっている人がいるとは……。


 四ツ葉高校や『総合治安部隊』、果てはヴェーラ星辰軍では見なかったタイプだ。こういう人は、ああいう場所にはいない。いても居場所がない。


 リサは、これが日本社会に帰るということかと痛感する。


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