第二章 大人として(4)着られなくなったシャツ
リサは立ち止まり、振り返る。
「寺沢君」
「俺は、お前に言いたいことがあるんだ!」
寺沢はそう叫んだ。就活中なのか、ワイシャツを着てネクタイをしている。真面目そうな黒縁のメガネによく似合うなあと、リサは思った。そして気づく。リサはいまだに、寺沢のことをを憎からず思っている。
それにしても、さすがは生徒会メンバーだ。ほかの同窓生にはあれだけ邪険にされ、好奇の目に晒されたが、生徒会だけは味方でいてくれる――。
「黒田が死んだ」
寺沢のその言葉に、リサは息を飲んだ。
外灯がちらつく。
寺沢は言葉を続ける。
「黒田は高校卒業後、大学を中退して国防軍に入って、宇宙船に乗ってどこかに行った。そのあと聞いたのは、その宇宙船が撃墜されたってことだ」
「そう……」
黒田
寺沢の叫びは続く。
「鏡華はまだ四年生なのに、親族に呼ばれたとかで秋津洲重工の執行役員として二足のわらじだ。結局、多忙が祟って精神病で療養中。大学にだって来れてない。付き合ってるはずの俺とも連絡が取れないんだ」
リサはただ、黙って寺沢の叫びを聞いている。
静と動。激情を露わにする寺沢を、静かに見据えるリサ。
「全部、お前たちが始めた戦争が原因なんだ。街がこんなに寂れて、同窓生だって半分以上、青京都を離れちまった。こんなことになったのは、お前たちのせいなんだよ!」
言いたかったことを全部言い切ったのか、寺沢は肩で息をしている。
リサは衝撃を受けた。だが、それだけだ。それは不幸には違いない。だが、これまで見聞きしてきたものとは、あまりにもスケールが違いすぎる。小さな話だった。
今度はリサが口を開く番だ。彼女はこれまで、振り向いた姿勢で話を聞いていたが、寺沢に対して真正面の姿勢に正す。
「それで、寺沢君はどうしたいの?」
寺沢は答えられない。根本的なところでは、彼もまたほかの同窓生と同じだった。いまのリサが恐ろしくて仕方がないのだ。
リサは言葉を続ける。
「生徒会のころのわたし。空冥術と出会う前のわたしは、寺沢君のことが好きだった。わたしは寺沢君に憧れてた。かっこよかったし、仕事きっちりしてたし。誰かさんのトラブルをうまく片付けてたし。……その誰かさんのことが好きだって、知ってたけど」
リサは寺沢に向かって、一歩、歩き出す。
ただそれだけで寺沢は転び、尻餅をついた。まるで肉食獣が一歩近づいたときのような反応だ。彼の顎は震えるばかりで、言葉を発せない。
リサは静かに告げる。
「寺沢君が望むなら、わたしは、あのころのわたしに戻って、なんでも言うことを聞いてあげたい。あのころのわたしなら、寺沢君の言うこと、きっとなんでもできたと思うから」
返事はない。
感情が寺沢の喉に詰まり、声を出すことを妨げている。
「あ……ああ……」
寺沢は泣き崩れた。
それが後悔の声だったのか、恐怖の声だったのか、なんだったのかは、リサにはわからない。
リサはしばらく寺沢の様子を見ていたが、もうそれ以上見ていられなくなった。彼女は駅に向かって歩き出す。
もう一度、呼び止めてもらいたい気持ちもあった。
いま言ったことは言いすぎだったと、言って欲しい気持ちもあった。
だが、どこまで歩いても寺沢の慟哭が聞こえるばかりだ。
こんなものには耐えられない。
寺沢だって、こんな無様は本望ではなかっただろう。だけど、それでも、ひとつ、確かに終わってしまったものがある。
リサの中に秘めていた、高校時代の、一方的な恋の思い出だ。
この日以降、あの淡い思い出を懐かしむことはなくなるのだろう。それを思うと、胸が痛い。
++++++++++
電車に乗ったリサは、ほとんど誰もいない車両の中で、全身の疲れをすべて座席に預ける。
この同窓会では思い知らされてしまった。
すべての人間関係は変わっていく。そのときのその人に最適な形で変わっていく。
そんなことはわかっていたけれども。
どんなお気に入りのシャツでも、自分の体型が変われば着られなくなるように、時間とともにフィットしなくなる人間関係があるとは知っていたけれども。
寺沢が生きている世界と、自分が生きている世界はまるで違うのだと、思い知らされた。
知りたくなかった。少なくとも、こんな形で知りたくはなかった。
リサには、あれだけ憧れた寺沢が、子供じみて見えてしまったのだ。
世界情勢に対する怒り、私生活がうまく行かない憤り、それを『圧倒的に強い誰か』にぶつけて、なんとかしろと叫ぶ。
それは子供のすることだ。
寺沢が『着られないくらい小さなシャツ』になってしまったことが悲しい。おそらく、二度と昔のような関係には戻らないのだろう。少なくとも彼が、リサのことを『責めても傷つかない相手』と思っている限りは。
「わたしだって、つらいよ……」
ガタゴト揺れる電車の中で、リサはそう、つぶやいたのだった。
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