第二章 大人として(3)人間との距離

 別の日。


 リサとトモシビが買い物から帰ると、郵便受けにハガキが入っていた。トモシビがそれを発見し、リサに渡したのだ。


「ままにだって」


 受け取ったリサが見ると、『四ツ葉高校五十五期同窓会飲み会のお知らせ』とあった。


「同窓会か……」


 リサのつぶやきに、トモシビは首をかしげる。


「どうそうかい?」


 開催日は八月某日。よく考えれば、現在の日本で一番寒い時期ではあるが、お盆の時期だった。順調にいっていれば、みんな大学四年生かそこらだろう。それなりに集まって、集まった者だけでも盛り上がろうという感じだろうか。


 しかし、自分が行っても盛り上がりはしないだろうと、リサは思う。


「そう、同窓会。昔の友達とたくさん会う会」


「おともだち!」


 トモシビは目を輝かせた。だが、リサはこの件に関して彼女の期待に応えられそうな気がしない。


「でも、いいの。ママはお休み。それより、トモシビと遊んでたい」


「だめ!」


 トモシビの主張はあまりにも強かった。家の扉に鍵を差し込もうとしていたリサは、驚いて振り返る。


「だめって……」


「おともだちだいじ! ゆうこさんもおともだち! だからだいじ!」


 トモシビは先日、リサが富留田優子(元・安喜少尉)と旧交を温めていたときに、優子に「ママのお友達」と自己紹介を受けたことを憶えているのだ。


「あー。でも、このお友達は違うから……」


「ちがうの? こわいおともだち?」


「別に怖くはないけど……」


 高校のお友達と軍隊のお友達、どちらがよりよいお友達というのも変だろう。違うとは言った。だが、本当に違うだろうか。


 トドメにトモシビが再主張する。


「おともだちには、あわなきゃ!」


 そう言われると、一理ある気もする。リサは屈み、視線の高さをトモシビに合わせる。


「じゃあ、ママはこの日、お友達に会ってくる。夕方から夜だから、トモシビは優子さんのところに預けるね。優子さんのところ大丈夫?」


「うん。トモね、ゆうこさんすき!」


 そこまで背中を押されたら、行ってみようという気持ちも湧いてくる。


 リサは家の扉を開け玄関を上がると、廊下に置いてある電話の受話器を持ち上げる。同窓会の日、富留田家にトモシビを預けられるかどうか、優子に確認し、お願いするのだ。


++++++++++


 同窓会当日。午後六時。


 都内の大人数用個室のある居酒屋だった。リサはテーブルの奥の端のほうに座ったが、誰も向かいや隣に座ろうとしなかった。


 すべての人と距離がある。


 男子も女子も、誰もが自分に近づかない。


 リサは席ひとつ空けて隣に座っている女子に尋ねる。


「鏡華は――澄河鏡華は来てませんか? 生徒会長だった――」


 敬語なのには意味がある。リサは相手を憶えていないからだ。おそらく別のクラスだったのだろう。しかし、相手は大きく身体をのけぞらせ、叫ぶように言う。


「しっ、知らない!」


 相手はそのまま逃げだし、十分経っても二十分経っても帰ってこなくなった。ふと遠くを見やると、別の席に移動している。逃げてしまったのだ。


 リサはちびちびとカシスオレンジを飲みながら、ひとり、周りの会話を聞く。それしかやることがないのだ。


 ―― 誰あの美人?  ―― 逢川だってよ。


 ―― え? あの風紀委員長? ―― 結構地味な子だったよね。


 ―― ほとんどパツキンじゃん笑える。


 ―― 声かけてこいよお前。 ―― 嫌だよ、宇宙人ボコったんだろ。


 ―― 宇宙戦艦より強いって話だぜ。 ―― マジそれ、男死ぬじゃん。


 ―― やめろ押すなよ、こえーよあいつ。


 ―― 誰だよ、逢川にハガキ出したやつ。全員殺す気か。


 リサは「こんなものか」と思い、カシスオレンジをあおる。たしかに、トモシビと話したとき、「怖いお友達」はいないと答えた。


 だが、本当はもうひとつ考えるべきだったのだ。「お友達がリサを怖がらないかどうか」だ。


 それにしても、リサは自分自身にも呆れる。クラスが違う人が多いのかもしれないが、みんなの顔と名前が思い出せない。まるで、知らない飲み会に参加しているようだ。……本当にそうであればいいのだが。


 七時過ぎ。もういいだろうと思い、リサは立ち上がる。


 それだけで、周囲の視線が自分に集まったことに、リサは気がついた。急に動いたことで、彼ら彼女らは怯えているのだ。


 周りはみんな小動物のようだと、リサは思った。怖がらせないように、これから取る行動を説明しておくことにする。


「ごめんなさい。子供が待っているので、帰ります」


 リサはコートを脇に抱え、狭い店内を、ほかの人々の背後を歩いて出ようとする。そのたびに、周囲の人間が騒ぐ。


 ああ、もう自分は同級生にとってさえ、「恐ろしいなにか」になってしまったのだと、リサは確信する。


 同窓会のテーブルを去るとき、お金を払わなければと思った。リサは財布を開けながら、近くにいた女性参加者に訊く。


「参加費、たしか五千円だっけ。幹事は誰?」


 だが、言葉による返事はなかった。ただ、彼女は向かいの女子を指さしただけだ。


 リサは幹事だと言われた女子に、五千円札を渡す。


「きょうはありがとう」


「そこに置いといて」


 手から手に受け取りたくないと言うことだろう。手渡しするとスーパーパワーで爆発するとでも思っているのだろうか。もしそうであれば、リサがまだ四ツ葉市内のスーパーマーケットを爆発させていない事実について説明してほしい。


 だが、もう何を話しても無駄なことはわかっていた。リサは五千円札をテーブルの上に置くと、コートを着込んで店の外へと出た。


 

 雪がちらついている。八月という真冬にしては、マイルドな天候だ。酒も大して飲んでいない。最寄りの駅まで気持ちよく歩けそうなのはいい。


 だが、そこでリサは、店から飛び出して来た男に呼び止められる。


「逢川!」


 寺沢豊継とよつぐだった。生徒会メンバーのひとり。生徒会副会長。いつも鏡華の起こす面倒ごとの火消しをしていた、かつてのリサの想い人だ。

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