第二章 大人として(2)子供の情熱、大人の情熱
「二〇〇二年の時点で、もう? しかも仮想敵はヴェーラ星系ですか? 無茶ですよ。わたしは先日まで、ヴェーラ軍の大尉でした。あの軍の強さは尋常じゃないです」
リサが知る限り、特に、八大佐官級将校のひとり、メセオナ中佐は異常値中の異常値だ。戦略立案および指揮能力の高さもさることながら、噂では、銀河連合を会議の場で撃破したと言われている。交渉技術だけで惑星いくつ奪ったか知れない、と。
しかし、優子は虚無的な乾いた笑いをこぼす。
「でも、彼らの目論見はうまく行っているのよ。ヴェーラ星系の息の掛かった日本の政治家はみんな贈収賄などの容疑で捕まって、余罪をあれこれ付けて塀の向こう。いまは政治家も官僚も、秋津洲政治塾の卒業生ばかり」
「妙見中将と澄河御影の準備は着々と進んでいるということですね。秋津洲財閥の影響力のもとで……」
「ここまでのことになるなんて想像もつかなかった。だけど、妙見中将たちが陰謀を企てていて、そのために逢川さんが犠牲になるのは、絶対におかしいと思ったのよ」
「……やっぱり、『総合治安部隊』は外れたというより、外されたんですね」
「まあ、ね。私がもっと従順なら出世してたと思う。だけど、私は耐えきれなくなってた。逢川さんみたいな若い子を飼い殺して、前線で戦わせて、あげく、魔界なんてところまで送るなんて……。私は反対した」
「……だから、魔界大戦に安喜さん――いえ、富留田さん、いなかったんですね」
「ええ。実際、魔界大戦の指揮官を仰せつかって、少佐に特例昇進する話もあった。でも、少佐として逢川さんの魔界出撃を停止しようとしたら、私は降格して異動になっちゃった。あの人たち、本当に、強い兵士に目がないのよ。私のほうがオマケだったってわけ」
リサは涙ぐむ。
「あのときも、わたしを守ろうとしていてくれたんですね。現実には、あの魔界大戦は、わたしを捕らえるためにヴェーラ軍が仕組んだ騒動だったんです。わたしは誘拐され、一年強、薬漬けで暗闇の中に――いえ、この話はやめておきましょう」
そう言ってから、リサはトモシビの頭を撫でる。そうだ。リサの二十歳の空白の一年間は、子供のいる前でするような話ではない。
「本当に、ごめんなさい。守ってあげられなくて、ごめんなさい……」
「いいえ。そんなことはないです。優子さんは、がんばってくださいました。あのとき、たしか二十四歳から二十六歳くらいでしょう? わたしはいま、二十二歳です。十八歳のわたしは『安喜少尉』を大人の側の人間だと思っていました。でも、いまのわたしからすれば、『小娘』の側だったんです」
優子は目元を拭う。
「本当に、あのときは守りたかったのよ。大人として。それができなくて、異動先ではずっと怒りと罪悪感に駆られていた。結婚も普通除隊も――ああ退職のことね、どっちも勢い。引っ越しも、逢川さんや四ツ葉高校を思い出してこちらに来ただけ。無軌道だったわ……」
リサは、テーブルの上に置かれた優子の手を握る。
「……つらかったですね。すみません。ありがとうございます」
「ああ、もう。勝手だけど、逢川さんが大人になってて安心したわよ。もう守るべき子供じゃない。私より先に子育てしてるんだもの。驚きよ」
「むかし、無茶苦茶言って済みませんでした。莫迦な子供で……きちんと大人の思いやりを受け取れなくて……」
「いいえ。私もまだまだ未熟な大人だったのよ。ちゃんとした大人になって、みんなを守れるようになりたい」
「ごめんなさい。やっぱりわたしは、特別厄介な子供だったと思います。失礼なこともたくさん言いました。本当に、思いやってくれていたのに……」
「逢川さん……」
「当時は、心配されるというのがどういうことか、わからなかったんです。わかるようになったのは最近のことです。それでも、たぶん、たくさんの心配や愛情を受け取り損なっている。自覚は、するようになりました」
リサはトモシビのほうへ視線をやる。愛するということと同時に、愛されるということを教えてくれているのは、トモシビだ。彼女は愛されるのがうまい。リサは日々、そこから学んでいる。
自分に視線が集まったので、トモシビが言う。
「トモね、わかんない」
「まだ、わかんなくていいんだよ」
リサはそう言った。トモシビは賢い子だ。いずれ、あらゆることを理解するだろう。世の汚いことも。だが、いまのまま、世の綺麗なものを見つけられる子でいて欲しい。彼女はそう願う。
リサとトモシビの親子を見て、優子が微笑む。
「トモシビちゃんかあ。いい名前ね。私もこの子に、そんないい名前を付けてあげたい。ねえ、逢川さんはどういう思いを名前に込めたの?」
リサは思い出す。トモシビは、太古の昔、ヴェイルーガたちが『泥の乙女』に付けたエグアリシアという名前の日本語訳だ。たしか、その意味は――。
「『世界の明るい未来を灯しますように』という願いです」
感動したのか、富留田優子は嘆息する。
「ますますいい名前だわ。……決めた、この子の名前はアカツキ。『いまは世界は闇の中だけれど、いつか日が昇りますように』って」
お腹をさする優子を見て、リサは自然と微笑む。
「いいですね。トモシビと、アカツキ。五歳は離れてしまうけど、仲良く育って欲しいですね」
優子は笑う。
「ええ、本当にそうであってほしい。ああ不思議。逢川さんと、大人同士、親同士の会話をする日が、こんなに早く来るなんて」
「本当ですね。少し前は、想像もしませんでした」
リサは、これが大人になることなのだと思った。自分以外の誰かの幸せを願うこと。それは、高校生のときのように、自分の犠牲で世界を守ろうと蛮勇をふるうこととはまったく違う。
子供の情熱が熱くギラギラと燃えているようなものならば、大人の温かさは、誰かに暖を分け与えるような、そんなぬくもりなのだ。
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