第二章 大人として

第二章 大人として(1)黒幕たちの闇

「ぐるぐるねこさん、にゃーにゃーにゃにゃー」


 トモシビはいつでもどこでも上機嫌だ。


 リサとトモシビは駅前の琴吹屋モールの一階にある、スーパーマーケット『セラヴィ』に来ていた。


 お気に入りのネコのぬいぐるみを抱いて歌っているトモシビを見て、ほかの客たちが笑っている。どこへ行こうが、トモシビはいつもこんな様子だ。


 リサはきょうの晩ご飯をカレーにしようと思っていた。にんじんやジャガイモは日持ちがする便利な食材だ。それに、カレーは定番の日本食だ。ルーツは複雑な食べ物だが、日本にいる限りは必ず食べるもの。

 

 早く慣れさせたい気持ちもありつつ、子供が喜ぶ定番料理でもあるので、まずはトモシビに食べさせてみたいと思ったのだ。


 リサはカレールーの箱を手に取る。四人分、甘口。カレーを作るのは初めてではないが、甘口でつくろうと思ったのは初めてだ。リサの舌には、中辛以上でないと物足りない。だが、子供の舌にはまずこれくらいだろう。



 そうしてふたりで歩いていると、リサは惣菜コーナーで見覚えのある人影を見る。


 安喜やすき少尉だった。


「あの、安喜……さん?」


 リサが言葉の最後を濁したのは、いくつか理由がある。ひとつめは、彼女が以前よりも少し髪を短くしていたこと。ふたつめは、軍服ではなかったこと。みっつめは、緩めの服を着ていて、お腹が大きかったことだ。


 だが、その人物はリサの懸念に反して、安喜優子その人だった。彼女は目を丸くして、声をあげる。


「えっ、逢川さん? 本当に? ずいぶん垢抜けて……って、これじゃ親戚のおばさんみたいね」


 苦笑いする安喜優子。だが、驚いたのはリサも同じだ。


「わたしも意外でした。安喜さん、こちらに引っ越してらっしゃったんですね。てっきり都内にいるのかと」


「積もる話もあるから、お時間ちょっといいかしら」


「ぜひ」


「とはいって、お腹が重いから、先に喫茶店で待っていていいかしら。この建物の並びに新しく三浦珈琲店というお店ができたの。広くていいところだから、そこで待ってるわ。いい?」


「わかりました」


++++++++++


 リサは三浦珈琲店に入って、少し新鮮な気分になった。ここは彼女が高校生のときによく使っていた、商店街内の喫茶ガーベラとはまるで違う。


 あちらは至るところで煙草を吸っているおじさんおばさんがいたが、こちらは分煙が完全になされていて、店内も明るく、席が広く、席間も広く、クリーンで快適な印象だ。


 リサが知っている喫茶店から価値観がアップデートされている。


 店内を見回すと、こちらに向かって手を振っている安喜優子をすぐに見つけることができた。買い物袋を提げたまま、トモシビを連れてそちらに向かう。


 安喜優子が取っていてくれた席は六人席だった。それは本人が希望したのか、お店側が気を利かせたのかはわからない。買い物袋でひとりぶん、お腹の大きい妊婦で一・五人分の座席を使用するから、片面三人掛けにするのは理にかなっている。


 ちなみに、リサの側も、買い物袋、リサ、トモシビで見事に三人分の席を占めてしまうのだ。


 リサはまず問う。


「何ヶ月なんですか?」


「八ヶ月ちょっとね。あと二ヶ月くらいで予定日かしらね。それと、その子は……逢川さんのお子さんという感じでは……よね?」


「ええ、この子は五歳ですから、わたしが高二で産んでないといけない計算になります。ですが、わたしはこの子の母なんです。トモシビ、自己紹介できる?」


 リサがそう言ってトモシビの肩を叩くと、トモシビのほうはきょとんとする。


「じこしょうかい?」


「お名前と何歳か、言えるかな?」


 リサがそう言うと、トモシビはソファーの上に立ち上がり、敢然と自己紹介をする。


「あいかわトモシビ、ごさいです!」


 名前と年齢を言っただけだというのに、まるで勇者のようだ。


 安喜優子は笑いながら小さく拍手して、自己紹介を返す。


「私は富留田ふるた優子。逢川さんの――いえ、ママのお友達だよ」


「おともだち」


「そう。お友達」


 そのやりとりで、リサは当然、安喜優子の苗字が変わっていることに気づく。お腹も大きいのだし、そのあたりは事情が一直線に繋がるはずだ。


 リサは頭を掻きながら言う。


「……話が前後しますが、ご結婚されたんですね。苗字ももう安喜さんじゃないはずでした。おめでとうございます」


 安喜改め、富留田優子は微笑む。


「ありがとう。結婚したのは一年半くらい前かな。三年前に『総合治安部隊』から外れて、別部署に異動になって不満を募らせてたときにね。同僚と結婚することになってね――」


「『総合治安部隊』から、外されたんですか?」


「上に盾を突きすぎちゃってね。妙見中将は自分が幹部になって、私が現場リーダーになることを計画してたの。だけど、むかしから『宇宙革命運動社』みたいな反社勢力を経由しながら、秋津洲財閥の資金提供を受けてた。闇だらけだったのよ」


「闇だらけ……そんな気はしていましたが」


 優子は首を横に振る。


「逢川さんが高校生のときには、もう始まっていたの。私たちは見事にはめられたのよ。当時、国防軍や政府の上層部はヴェーラ星系の言いなりになっていた。軍の一部の中間層と秋津洲財閥がこれを打開しようとしていた。だから彼らは、同じ状況にあるオーリア帝国と組んだ。ファゾス共和国から学者を招いた。そして、『総合治安部隊』を軍の中にそっと設置した。すべて、ヴェーラ星系に反旗をひるがえすためよ」

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