第五部 可能性の右腕
序章 ねこのうた
日本、青京都、四ツ葉市。
リサは十八歳のときにこの国を出て、いま二十二歳で戻ってきている。彼女の髪色は明るい栗色。ストレート。地毛だが、明るさは出立前より増していて、誰もが染めていると思うだろう。
瞳の色は深い緑色。これはよく覗き込まない限り、気づく人はあまりいないだろう。リサはこれまで自分の容姿を気にしてこなかったが、これらの形質は何十万年も前に神界で単独戦った女神と同じものだ。
大泉ゆめ商店街。
四年前でも寂れ掛かっていたが、いまとなっては更に病状は進行している。平日昼間からシャッターを下ろしたままの店も増えたようだ。
ドーナツ屋チェーン店の二階で、リサは五歳ほどの少女と一緒にドーナツを食べていた。リサはコーヒーを、少女はソーダを飲み物として選んだ。
「ほっぺにチョコレートついたよ」
リサはそう言って、少女の頬を拭く。少女のほうはなされるがままだ。
日本は常冬の国だ。窓は閉め切っていて、外は雪が降っている。暖房が効きすぎているのか、ここは少し熱いくらいだ。
リサは隣の空いている椅子に、商店街で買った食材――肉や野菜を置いておいた。自炊するとなると、日々の買い物は必須だ。常冬の国だからすぐに傷みはしないだろう。……だが、こうも暖房が強いと大丈夫だろうかと、少し心配になる。
少し離れた席に、高校生の集団が見える。リサが四年前まで通っていた都立四ツ葉高校の学生服だ。彼らはリサたちふたりのことを話しているようだ。
「すごい美人がいるよ」「若いお母さんかな」「子供さんのほう似てる」
そんなふうに噂されることなど、四年前にはありえなかった。むしろ真面目、実直、質実剛健、文武両道、風紀の申し子。大人たちには可愛がられてきたが、見目麗しいという意味では決してなかった。
リサにとっては、そうなることを目指したわけでもないのが、複雑だった。
少女の名前はトモシビ。
ちょうど、五歳ころのリサとよく似ている。癖毛の栗色の髪。そして深い緑色の瞳。髪を肩の辺りで切ってしまっているのは、背中まで髪を長く伸ばしているリサと対照的だ。
トモシビは嬉しそうに、大好物のクルーラーを食べている。中身は生クリーム一杯だ。当然のごとく、口の周りが真っ白になる。
「まま、ポイントたまってうれしいね」
「そうだね、嬉しいねえ」
そう言いながら、リサはまた、トモシビの口の周りを拭く。もう少しでポイントが貯まりきり、トモシビが好きなネコ柄の皿がもらえる予定なのだ。
++++++++++
リサとトモシビは手をつないで帰る。寒い日なので、ふたりとも手袋をしている。ちゃんと、リサの肩には買い物袋を掛けてある。
ふたりは、電車の本数が減ってめっきり人通りがまばらになった大泉駅前を通り過ぎ、下り坂の歩道を歩いて行く。
トモシビはお気に入りのネコのぬいぐるみを抱いて、楽しそうに歌っている。
ぐるぐるねこさん、おこたにあつまって、
にゃーにゃーにゃにゃー
ぎゅうぎゅうねこさん、あったかねこさん
にゃーにゃーにゃにゃー
……
カツ、カツ、カツ、カツ――。
『やつ』の心音がする。『やつ』の足音がする。
リサはそれを、気づいていない素振りをする。やりすごすのだ。
「トモシビ、その歌、かわいいね」
「うん」
トモシビは家まで、ねこのうたを歌い続ける。
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