第九章 懺悔

第九章 懺悔(1)虚構の舞台

 場面は戻る。


 再び、宮殿の柱の陰に、リサとエグアリシアは座っていた。


 薄暗いこちらとは対照的に、明るいバルコニーでは、フォス・ウィンとヴェイルーガの婚礼が行われ、神々、天使、そして人々によって祝福されている。


 新たなディンスロヴァ――フォス・ウィン=ディンスロヴァの誕生と、その妻ヴェイルーガを、世界中が祝っているのだ。


 力なく、エグアリシアはリサに話しかける。


「リサ、この人間の世界というのは何なのでしょう?」


 リサは答えない。答えを持っていない。


 バルコニーではミオヴォーナも現れ、姉のヴェイルーガを抱きしめ、彼女を持ち上げて、その場でくるくる回ってみせる。


 下に集まった人々から笑い声が起きる。


 エグアリシアはリサに問いかける。


「リサ、愛とは何でしょう?」


 その言葉が、リサの心に重く突き刺さる。誰もが――ヴェイルーガやミオヴォーナまでもが、神々や人々ともに、バルコニーの陽光の下で笑っている。


 薄暗いこちら側にいるエグアリシアのことは、誰も顧みていない。


 そうだ。世界はまるで、愛されるべきものと、愛されないものをリストしているようだ。世界のどこかに、愛されるべきものの名前が刻まれていて、そこから抜け落ちた名前があるのかもしれない。


 エグアリシアも、リサも。



 リサは、静かに答える。


「……ずっとわからなかった」


 愛とは、自分には無縁のものだと思っていたからだ。自分は常に愛する側で、愛を与える側で、愛を消費される側で――愛を与えられる側だと思っていなかったからだ。


 愛されるに値する人間ではないと思っていたからだ。


 でも――。


 リサは思い出す。


「生まれて初めて、助けてもらったんだ。こんなわたしでも、助けてくれる人がいたんだよ」


 エグアリシアは首をかしげ、リサに問いかける。


「それが、愛ですか?」


「わからない。でも――」


 リサは傍らのエグアリシアを抱きしめる。そして、彼女に伝える。


「あなたはがんばった。がんばったんだよ、エグアリシア。わたしから、感謝と尊敬をあなたに」


 ああ、そうだ。忘れてはいけない。


 わたし自身にも、愛おしさを。



 エグアリシアは立ち上がり、陽光差すバルコニーのほうへ駆けていく。そして、大声で祝福する。


「おめでとう! フォス・ウィン! おめでとう! ヴェイルーガ!」


 神々や天使、ヴェイルーガやミオヴォーナは驚いた。エグアリシアのここまでの感情表現を見たことがなかったからだ。


 だが、嬉しそうにヴェイルーガを抱きしめたり、ミオヴォーナと踊ったりしているうちに、彼女に自我と感情が芽生えたということが、見ている者たちからも受け入れられた。


 そして、フォス・ウィンやヴェイルーガ、そして神々たちは口々に言う。


「ありがとう、エグアリシア!」


「本当にありがとう、エグアリシア!」


「君がいなければ、前ディンスロヴァは倒せなかった」


「平和をもたらしたのは君だ!」


「エグアリシア!」「エグアリシア!」「エグアリシア!」


 神々や天使たち、人々の歓声が、エグアリシアのものへと変わっていく。


 そして、エグアリシアは、今度は、ヴェイルーガのほうから抱きしめられる。


「本当にありがとう、エグアリシア。これからはわたしとミオヴォーナ、そしてあなたとで暮らしていきましょう」


 そこへ、ミオヴォーナも抱きついてくる。


「三姉妹か~! 急に妹ができるなんて、不思議! なんだか嬉しい!」


 そこへ皆が集まってきて、エグアリシアの胴上げを始める。


「エグアリシア!」「エグアリシア!」「エグアリシア!」


 もはや誰を祝うための結婚式だったのかわからないほどだ。この場にいるみんなが愛を口にし、祝福の言葉を述べている。


 エグアリシアよ、末永く幸せに。


+ +


 その夜になって、エグアリシアは宴会の続く宮殿から出た。

 

 荷物を背負っており、どこか遠くへ行くようだ。


 その様子を見に来たのはただひとり、リサだけだ。


「ありがとう、リサ」


「うん?」


「こういうこともって、夢を見せてくれたんでしょう?」


「……まあね」


「わたし、嬉しかった。こんなふうに、みんなに愛されることもあったんだろうね。こんな愛は、わたしが見たことも聞いたこともなかったけれど」


「うん」


「でも、ああ、とても暖かかったの。心が暖かかったの。わたしの心のありかが、どこだかわかるくらいに」


「エグアリシアが喜んでくれて、わたしも嬉しいよ」


「リサ!」


 エグアリシアはリサを抱きしめる。しかし、すぐに、彼女を手放す。


 目を伏せるエグアリシア。


「でもね、リサ。やっぱり、わたしがやってしまったことは消えないの。史実のわたしは、これから世界を滅ぼす。ここにいるみんなを殺してしまうの。そして、異界の神々が総出でようやく、わたしは死ぬの」


「エグアリシア……」


「リサ、わたしに死以外の安息を教えてくれてありがとう。わたしはここから出ていく。この夢の果てへ出ていくの。幸せな気持ちのまま」


「うん。そうだね。きっと、それがいい」


「ありがとう、リサ。それじゃあ」


 そう言い残して、エグアリシアは坂道を下っていく。彼女はこの虚構の舞台を下りるのだ。


 ここは幕間ですらない。幕が下りたあとの、妄想の世界に過ぎないのだから。こんなところに、本編の登場人物が長居していいわけがない。


 リサはエグアリシアの背を見送る。


 だが不意に、エグアリシアが立ち止まり、振り返る。そして、リサに最後のひと言を掛ける。


「リサ、これからはあなたの番。つらいと思うけど、がんばって」


 リサはうなずく。そしてまた、エグアリシアは歩き始める。


 そうだ。リサはこれから、謝らなければならない。


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