第六章 愛と後悔

第六章 愛と後悔(1)愛をください

 宮殿の柱の陰に、リサとエグアリシアは座っていた。


 ここは、あの禍々しい塔――天をく塔マトライアの跡地に建てられた、人間界を統治するための神の宮殿だった。


 薄暗いこちらとは対照的に、明るいバルコニーでは、フォス・ウィンとヴェイルーガの婚礼が行われ、神々、天使、そして人々によって祝福されている。


 新たなディンスロヴァ――フォス・ウィン=ディンスロヴァの誕生と、その妻ヴェイルーガの婚姻を、世界中が祝っているのだ。


 力なく、エグアリシアはリサに話しかける。


「リサ、この人間の世界というのは何なのでしょう?」


 リサは答えない。答えを持っていない。


 バルコニーにはミオヴォーナも現れ、姉のヴェイルーガを抱きしめ、彼女を持ち上げて、その場でくるくる回ってみせる。


 下に集まった人々から笑い声が起きる。


 エグアリシアはリサに問いかける。


「リサ、愛とは何でしょう?」


 その言葉が、リサの心に重く突き刺さる。誰もが――ヴェイルーガやミオヴォーナまでもが、神々や人々ともに、バルコニーの陽光の下で笑っている。


 薄暗いこちら側にいるエグアリシアのことは、誰も顧みていない。


 リサは、静かに答える。


「……ずっとわからなかった」


 愛とは、自分には無縁のものだと思っていたからだ。自分は常に愛する側で、愛を与える側で、愛を消費される側で――。愛を与えられる側だと思っていなかったからだ。


 愛に値する人間ではないと思っていたからだ。


 リサには、それ以上の言葉が紡げない。


 薄暗い宮殿の隅はとても静かだ。リサとエグアリシアは、無言で肩を寄せ合っている。


 外からは、歓喜の声が聞こえる。


 フォス・ウィン様ばんざい! ヴェイルーガ様ばんざい! ミオヴォーナ様ばんざい! ……。


 愛は残酷だ。それが与えられるものと、与えられないものを明確に分けている。世界のどこかに、愛されるものの名が刻まれたリストでもあるのではないかと、リサは思った。


 なぜ、エグアリシアは愛されないのだろう。


+ +


 ある夜。宮殿内。エグアリシアの部屋。


 エグアリシアは暗い部屋の中、ともし火ひとつで、鏡を見つめて座っていた。彼女は両眼を見開き、両の手で顔を触っている。


 ただリサは、その部屋の隅で、彼女の様子を眺めている。これも必要なことなのだろう。過去になにがあったのかを知るためには。


 そこへ、ミオヴォーナがドアを開けて入ってくる。彼女は、不思議なことをしているエグアリシアを見て、声を掛ける。


「なにをしているの?」


「どうしてわたしは、ヴェイルーガではないのでしょう?」


 その問いは、ミオヴォーナにとってあまりにも想定外だった。エグアリシアがヴェイルーガと同じ容姿をしているのは、彼女にとって、ただヴェイルーガの身体の頑丈さを引き継いだ副作用でしかないからだ。


 ミオヴォーナは、エグアリシアに対して、姉のヴェイルーガに近しいなどと考えたこともなかった。ただ戦いに勝つために必要なことをしたまでで、見た目が同じだということすら気にも留めていなかったのだから。


「だって、あなたは――」


「どうしてわたしは、ヴェイルーガのように愛されることはないのでしょう?」


「え?」


 なぜって、あなたは『私たちのつくった兵器』だから――。ミオヴォーナはそう言いそうになった。だが、直観的に、それはいけない回答だと気づいた。


 ミオヴォーナがそう気づいたこということは、闇の中に立っているリサにも伝わった。そして、口をつぐんだことが正解だと思った。そうでなければいまごろ、ミオヴォーナは八つ裂きにされていただろう。


 エグアリシアは椅子から立ち上がり、ミオヴォーナの両肩を掴む。


「ミオ、わたしはヴェイルーガと同じなのです。あなたの血が流れる、ヴェイルーガなのです。ミオ、ミオ、ヴェイルーガにするように、わたしにも愛を頂けないでしょうか」


「エグアリシア……」


「ミオ、愛されるのが、わからないのです。こんなにも、愛されたいのに。愛をください、ミオ。代わりに、すべてを差し上げますから――」


 ミオヴォーナは怖くなり、エグアリシアの両手を振りほどいて、小走りに部屋を出て逃げていった。


 完全な拒絶。


 それを見て呆然とするエグアリシア。


 彼女はリサに問う。


「リサ、ミオはどうして走って行ったのでしょう? わたしは、なにか、間違ったのでしょうか?」


 リサには答えられない。行動を、判断を間違ったのは、エグアリシアなのか。それとも、ミオヴォーナなのか。わからない。


+ +


 その晩を境に、神の宮殿内では、毎晩、エグアリシアを『原初の泥』に戻すかどうかという議論が持たれるようになった。


 このままでは危険だ。


 このままでは危険だ。


 大筋、泥に戻す方向で話が展開されている。なかでも強硬派はフォス・ウィンとディオロだった。ヴェイルーガは中立派。ミオヴォーナは黙り込んでいることが多い。ほかの神々の意見は様々だが、序列が低いため意見が採り上げられることはない。


 そんな話を、エグアリシアはその部屋の隅でうずくまって聞いている。


 リサは、彼らはなんと無頓着なのだろうと思う。


 こんな話をエグアリシアの前でするなんて莫迦げている。もうとっくに、彼女は自我と感情を獲得しているのだから。


+ +

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