第五章 ともし火(3)間違いのはじまり
黄色い血が盛大に噴き出した。
黒いディンスロヴァは完全な手負いだ。左腕はすでに落とされており、胴も斜めに切り裂かれ、一部は貫通していて、その向こうが見えそうなくらいだ。
だが、黒いディンスロヴァはそこまでしても倒れない。これでもまだ死なない。その異常な強靱さこそが彼の最高神であるゆえんだ。そして、この残酷な仕打ちをどこまでも味わわなければならない理由だ。
最終決戦は、エグアリシアを中心に展開し、フォス・ウィンとディオロが支援をするはずだった。しかし、もはや彼らはなにをする必要もない。
ここは敵の本拠地、神界レイエルス。まだ黒いディンスロヴァの味方をしている神々も何人かおり、天使たちも数多く残っている。だが、彼らのうちいくらかはエグアリシアに屠られ、死んだ。
もうすでに、黒いディンスロヴァの取り巻きの神々、天使たちはなにもできない。ただただ、彼らの主君が殺されるのを黙って見ているしかない。
「こ、この『泥』風情が!」
ディンスロヴァはエグアリシアに向かって『破壊剣』の一撃を見舞った。
さすが、最高神の本気の一撃はすさまじく、空間ごと、遥か先までえぐり取る威力だ。轟音と振動が巻き起こる。
だが、エグアリシアはそんな一撃を、武器を持っていないほうの手――素手でいなした。
それは、武器を持っているほうの手を活用するためだ。
エグアリシアの終末剣が振り下ろされる。黒いディンスロヴァは頭を真っ二つにされ、胴体も縦に裂かれる。黄色い血液が滝のように溢れ出る。
すでに戦いは優勢を通り越し、虐殺となっていた。
味方も敵も狼狽しきっている。ただただ口を押さえて立ち尽くしているものも多い。
すぐに死ぬことができない黒いディンスロヴァが哀れですらある。
終末剣は恒星の炎を宿し、ディンスロヴァを灼きながら刻んでいく。
なにより恐怖すべきは、そこにエグアリシアの感情が一切含まれていないということだろう。
さすがのエグアリシアもこのあたりでトドメだと感じたのだろう。最後にひと言、黒いディンスロヴァに言葉を掛ける。
「わが名を意味する『ともし火』にて、
潰れた喉で、潰れた肺で、潰れた口で、黒いディンスロヴァは恨み言を吐く。
「この星辰界の創世の神を殺したこの余を、絶対者となったこの余を葬るのが、『ともし火』だと? 余を愚弄するにもほどが――」
燃えさかる恒星の炎とは対照的に、エグアリシアの言葉は冷たい。
「貴様は、わが愚弄に値せぬ」
そして一斬。
この世のものでは殺せないはずの黒いディンスロヴァを、エグアリシアはいとも簡単に葬り去ったのだ。
そこにいたすべての神々、天使、そしてヴェイルーガとミオヴォーナも、衝撃を覚えるほかはなかった。
それは、この場を追体験しているリサも同様だった。エグアリシアの強さは常軌を逸している。
ルール違反に次ぐルール違反。その果てに誕生した究極のルール違反。それがエグアリシアだ。彼女はあらゆるものを殺す攻撃力をもち、あらゆる攻撃が効かない身体を持っている。そして情緒が未発達で容赦を知らない。
フォス・ウィンやディオロには、まったく出番はなかった。ヴェイルーガやミオヴォーナでさえ、見ているだけでよかった。
彼らはもしもの場合に備えていたが、そんなもしもは起こりえなかったのだ。
黒いディンスロヴァを殺したため、『
黒いディンスロヴァの側にいた、すべての神々、すべての天使はその場で平伏した。彼女を新しいディンスロヴァと認めたのだ。
だが、それは、一過性のものだ。
エグアリシアの背後から、ヴェイルーガが近づく。
足音を聞き、エグアリシアは振り返る。
同じ顔をしたふたり。だが、黄色い血にまみれたエグアリシアが明るい笑顔なのに対して、ヴェイルーガの表情は渋いものだった。
不思議だった。エグアリシアの表情から、一瞬湧いた喜びが消える。
だが、リサにはわかってしまった。エグアリシアは任務を全うした。ヴェイルーガの命令に従い、彼女の代わりに。だから、労われたり、褒められたりすると思ったのだろう。
けれど、ヴェイルーガの言葉は極めて事務的だった。
「エグアリシアよ。ディンスロヴァの権能をフォス・ウィンに委譲せよ」
一瞬、間があった。
エグアリシアは真顔だった。一切の感情をどこかに置き忘れたように。
しかし、あるじの命令には従わなければならない。何ごともなかったかのように、エグアリシアはフォス・ウィンの前にひざまずき、いましがた黒いディンスロヴァから奪った権能をすべて、彼に委譲する。
こうすることで、すべての神々と天使はフォス・ウィンに平伏し直した。エグアリシア=ディンスロヴァの時代はごく短く、これから、フォス・ウィン=ディンスロヴァの時代が来るのだ。
ヴェイルーガも、ミオヴォーナも、ディオロも、自分たちの勝利を祝っていた。これで、人々を無闇に苦しめ、殺して回っていた悪のディンスロヴァの時代から解放されたのだ。
戦いは終わったのだ。喜ばないほうがおかしい。
ただひとり、エグアリシアだけは、その喜びの輪に入らなかった。いや、入れなかったのだ。彼女は褒められもせず、感謝されもしなかった。彼女自身が明確にそんな思いを抱いていたかどうかはわからない。
だが、リサは気づいていた。これは大きな間違いだと。
最強無比の『泥の乙女』エグアリシアの心を、最強無比ゆえに踏みにじっていることに誰も気づいていないこと。それがあとあと問題にならないはずはないと。
リサだけが、エグアリシアのことを哀れに思っていた。
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