第三章 神のいけにえ(2)落雷
外は暴風雨だ。いつから続いているのかわからない。
リサにとっては先ほどの食事からすぐにこの場面に移ったようなものだが、不思議なことに、この雨が長く続いていることは実感できた。
ヴェイルーガとミオヴォーナの姉妹の家に人が訪れては、騒いでいる。
「嵐で作物が荒れていく」
「家畜たちが謎の病で倒れていく」
ヴェイルーガたちは、もっぱら相談をされる側だったが、そんなものへ対応などできない。できるわけがない。現代日本でさえ、農業や畜産業が悪天候に打ち勝つのは難しいというのに。
ヴェイルーガたちの時代は、人類の文明の夜明けごろだ。そんなときに、人間たちのできることなど、あまりにも少ない。
何日も何日も雨が続き、日差しのない日々が過ぎた。
リサはその間、姉妹の家で雨戸の隙間から外を眺めたりしていたが、できることがあまりにもない。
次第に、姉妹の家に持ち込まれる噂話の中に『神の怒り』という言葉が頻出するようになる。
神の怒りが、天候を悪くし、家畜を奪っていくのだと。
そんないい加減な神がいるものかと、リサは思った。だが、それがこの場所での世界観なのだ。それを否定したところで、なにも変わらない。
ある日、ムラのオサのところで話し合いが持たれることになった。
ムラと言っても一軒一軒の間隔の広い、広大なムラだ。オサのところまで行くとなると、この雨の中を走っていくことになる。
傘などはないのか、ヴェイルーガもミオヴォーナも、雨の中を泥を跳ねて走る。ついて行く以外の選択肢がないリサも、そのあとを走る。
雨が冷たい。日が差さない。風が強い。まるで世界の終わりのようだ。
オサの家では、村人が集まって相談していた。村人の数は総勢三十人程度。広い牧草地や農地を持っている割に、人が少ない。リサはすぐに、この時代はまだ面積あたりの収量や人口支持力が少ないのだと思い至る。
相談が行われるといっても、建設的な話はなにも出なかった。雨を止める方法はない。家畜を救う方法はない。手立てがあまりにもない。自然と、話は神の怒りをどうやって静めようかという方向へと流れる。
「神がお怒りなのだ」
「怒りをどうして静めよう」
「供物はどうしたらよいのだろう」
人々の相談からは『なぜ神が怒るのか』という観点がまるごと抜け落ちていた。おそらく、彼らは神を相手に『なぜ』を問うことに慣れていないのだろう。
あるいは、『なぜ』を問うても仕方のない相手だと諦めているのか。
人々の意見を聞き、オサは言った。
「ならば、生け贄を出そう。生け贄を出し、怒りを静めていただこう」
「生け贄なんて駄目だ!」
思わず、リサは叫んだ。人々の視線が自分の方を向く。その視線は、すべて無感情だった。
オサが語る。
「旅人は知らぬだろうが、このムラでは数年おきに生け贄を出しておるんだ。次の順番は……。ヴェイルーガ、お前だったな」
指名され、ヴェイルーガは無言でうなずく。
リサはまたも叫ぶ。
「駄目だ! 駄目だ! 彼女を生け贄になんて! ……ミオ! なんとか言ってやって――」
リサはミオヴォーナのほうを見たが、彼女はうつむいたまま、なにも言わなかった。ただ、じっと耐えている様子だ。
深い無力感。リサは本当に、ここではなにもできないのだと知った。
+ +
雨の中、山道を歩いて行く行列。
先頭を歩くヴェイルーガは、生け贄とわかるように頭に麻布を巻き、そこから垂らした長い布で顔を隠している。みすぼらしいいつもの服の上に懸けられた袈裟は、死に装束だ。
ヴェイルーガは頭を上げないように、足下だけを見て歩きながら、隣を歩くリサに言う。
「生け贄の儀式は、いつものほこらではいけないんだ。この先にある山頂の石造りの神殿。そこでだけ、血を流すことができる」
だが、当然、リサはこんなことを許すわけにはいかない。
すぐ背後にいるミオヴォーナも頭を下げたまま歩いているが、彼女は悲しみに震えている。だが、許せないのは、そのあとをついて来るムラ人たちだ。生け贄を出して物事を丸く収めようとしている。
リサはヴェイルーガに言う。
「ヴェイルーガ、ここを逃げよう。わたしなら戦える。なにが相手でも全部倒してしまえばいい」
しかし、ヴェイルーガはかぶりを振る。
「気持ちはありがたいよ、リサ。でも、わたしはここへ来た。生命を捧げるために。それは、必要なことだったんだよ」
石造りの祭壇の前に辿り着くと、巫女として、ヴェイルーガとミオヴォーナの踊りが始まる。
ムラ人たちは祭壇の端に並び、踊りを邪魔しないようにする。それがまた、自分たちは生け贄でないと主張しているようで、リサには腹立たしい。
ヴェイルーガとミオヴォーナははじめ、背中合わせに立っていて、それから、合図もなしに同時に足を踏み出す。
交差する腕と腕。行き交う身体。
楽器の演奏などないというのに、足が地面を踏む音と、姉妹の動きによる視覚効果が、不思議なリズムを感じさせる。
リサはそれに魅了されてしまったが、そんな場合ではない。なんとかして、ヴェイルーガを助けなければならない。
一通りの舞踊の奉納が終わると、ミオヴォーナはリサの隣へと帰ってきた。
ヴェイルーガは石の祭壇に上がり、両膝をつき、そしてうなだれる。
それに呼応して、ムラ人たちも、ミオヴォーナも平伏する。立ち尽くしているのはリサだけだ。
降り続く雨。リサは、ミオヴォーナが平伏したまま涙しているのに気づいていた。
瞬間。
落雷があった――ように見えた。いや、一瞬閃く、ヴェイルーガの首を落とそうとする『破壊剣』。
あまりの轟音に、ムラ人たちは驚愕した。
だが、『破壊剣』が首筋に振り下ろされたというのに、ヴェイルーガの首はまだついていた。
『破壊剣』を振り下ろしたのは、黒髪に全身黒の衣を纏った絶対者だ。彼の瞳は黄金で、その顔には何かしらの赤い紋様が描かれている。
リサにはすぐに、この人物がディンスロヴァだとわかった。
一方、その『破壊剣』を自らの剣で受け止めた者がいた。そこにいたのは銀髪の剣士。彼もまた、神だった。
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