第三章 神のいけにえ

第三章 神のいけにえ(1)真実へ向かう

 気づくと、リサは草原の只中に立っていた。


 緑豊かな原始の大地。


 ここがアーケモスなのか、ヴェーラなのか、地球なのか、まるで見当が付かない。ただわかるのは、人の手がほとんど入っていない文明だということだけ。


 遠くを見れば、牛のような家畜のような生き物が点在している。けれど、柵のような人工物さえ見当たらない。


「本当に、こんなところにヴェイルーガ神がいるんだろうか」


 リサはひとりごちた。


 だが、いつまでも草原の真ん中に立ち尽くしていても仕方がない。リサは歩いてみることにした。少し行った先に森林がありそうだ。



 その森林には『入口』があった。とはいえ、ただ巨木が途中で折れ曲がり、門のようになっているだけだ。そしてちょうどその下には草がなく、人々が歩いて自然にできた道がある。


 リサはこの『道』を進んでみることにした。


 静謐せいひつ。まるで空気そのものがおしゃべりをやめ、黙っているかのようだ。なにか聖なるもののために。


 ただの人間が歩いてできた『道』にここまでのおごそかさがあるだろうか。


 リサは立ち止まる。人の姿があったのだ。


 ふたりとも、こちらに背を向け、奥にあるほこらの前でひざまずき、祈っていた。どちらも髪が長い。女だろうか。


 リサはそのふたりの祈りを邪魔せず、ただ眺めていた。


 ――じりっ……と時が流れる。

 


 そうしているうちに、片方の女が立ち上がり、振り返る。粗末な服を着ているものの、それは紛れもなく、先ほど神殿で横たわっていたヴェイルーガだった。


 明るい紅い髪の女。瞳の色まで紅色だ。


 ヴェイルーガがリサの存在に気づき、微笑む。


「ようこそ」


 リサは思わず彼女に問う。


「あなたは、女神ヴェイルーガでしょうか?」


 すると、ヴェイルーガは怪訝な顔をし、首を横に振る。


「いいえ、わたしは『人の子』だから」


 『人の子』――人間・ヴェイルーガ。ディンスロヴァの神話の中で最強と名高い神が、人間を名乗っている。


 これは一体、どういうことだろう。



 リサとヴェイルーガのやりとりを聞いたからだろうか、もうひとりの女が祈りを終えて立ち上がる。そして振り返る。


 リサは心臓が止まるかと思った。ここに心臓はないというのに。


 その女は、リサとそっくりな顔をしていたのだ。彼女は問うてくる。


「……旅人さん?」


「あの、わたし、リサといいます」


「リサ、わたしはミオヴォーナ。ヴェイルーガの妹。わたしたちは、このほこらで、ディンスロヴァの神様へお祈りを捧げていたの」


 リサは狼狽した。ヴェイルーガにミオヴォーナ。現実世界で秘密裏に語り継がれている兄妹――いや姉妹だ。


 リサの口から、次のような質問がこぼれ出る。


「あなたがたは、天使、ですか?」


 その質問に、ヴェイルーガもミオヴォーナも驚いた顔をして、それから笑った。


 ミオヴォーナが答える。


「わたしたちは、『人の子』だよ」


+ +


 それから、ヴェイルーガは、リサに提案をする。


「旅人、リサ。もし、今夜行く先がなければ、わたしたちの家に来てはどうだろう?」


「いいんですか? あの」


 リサの戸惑いに、ミオヴォーナが笑う。


「うちに来ないと、お腹が空くし、野宿になっちゃうよ」


 リサははっとした。森を出れば原野しかないのだ。おそらく家はどこかにあるだろうが、この文明レベルで宿泊施設があるとは思えない。


「……では、よろしくおねがいします」


 リサはお願いするしかなかった。それ以外の選択肢がないというのもあるが、この姉妹の様子を間近で見るというのは、必要なことのように感じた。


+ +

 

 リサはヴェイルーガとミオヴォーナの家に招かれると、彼女らの様子を見ていた。


 姉妹はどうやら料理を始めたらしい。


 肉を焼いて切ったもの、なにかの根菜を茹でたもの、それで作ったスープなどが出来上がっていく。


 火はかまどのようなところでおこしているが、レンガ造りなどではなく、どうやら粘土のようなものでできていそうだ。


 肉はかろうじて土器のようなものに載せられて運ばれてきたが、根菜のスープは木のテーブルの中心をくりぬいた凹みに流し込んでいた。どうやらこれをみんなですくって食べるらしい。麦のような穀類を溶いて焼いた、薄いパンのようなものも、もちろんテーブルに直に置かれる。


 どうやらそういう衛生観念のようだ。


 姉妹に倣って食事をとっていると、ミオヴォーナの声がする。だが、彼女の声のトーンが少しだけ違う。


「来てくれて嬉しいわ、リサ。わたしは、あなたに知って欲しかったの。これから起こる『払暁ふつぎょうの戦争』の顛末を」


 驚いてリサが顔を上げると、ミオヴォーナはパンをかじっていた。


「ええと、ミオヴォーナ、さん?」


 リサの問いに、ミオヴォーナはきょとんとする。


「え? どうしたの」


「いや、でも、いま……」


「わたし、なにか言ったかしら」


「ええと……」


 リサが困惑していると、次にヴェイルーガが言う。


「これはだ。わたしたちの物語を伝えたい。リサ、これからあなたには、つらい思いもさせるだろう。これから起こることはすべて定まったことであり、来訪者であるあなたには変えられないことなのだから」


 その言葉に驚いていると、ヴェイルーガは何ごともなかったかのように笑い、「スープは美味しいかな?」と訊いてくる。


 リサは理解した。彼女らはリサに真実を伝えようとしている。


 少しばかりの干渉と解説を行いながら、だ。


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