第二章 旧き神の神殿(2)横たわる女神
道を歩き、案内をしながら、イツキは言う。
「私たちは、神の再来のために、この街を護り続けているのです。きょうの日が来て、誠にありがたいことです」
それはあまりにも恐ろしい言葉だった。リサの背に寒気が走る。
「あの。神の帰還の――えっと、わたしの来訪の、そのためだけに、この文明が存在しているということですか?」
「はい、そうですよ」
イツキのにこやかさに、リサは却って圧倒される。たったひとりの人間のためだけに存在する文明など、あるだろうか。
「ええと、ちなみに、いつから?」
「五万年ほど、われわれはこの文明を護り継いでおります。ああ、もちろん、外界ではその数十倍の時間が流れているということも知っております」
五万年……? 一体何世代になるのだろう。街は人々で賑わっている。この人々の誰もが神官だという。そして、神であるわたし――リサを案内できるのだという。この人数は一種の冗長性の担保だ。
もし神がやって来たときに、
だが、それにしてもこれは、やりすぎではないか。
「ここの暮らしは、その――」
リサが聞きづらそうにしていることを、イツキは
「非常に快適ですよ。ここに降り立てるのはあなただけ。われわれの人生には目的がありますから絶望もない。争いもなく、文化は豊かですし、外界の戦争とも無縁です。非常によいことです」
「そ、そうですか……」
イツキがそこまで言うのなら、リサが口を出すことはない。外に開かれているほうが幸せだと、誰が言えるだろうか。ここの人々は、ここで心豊かに暮らしているのだ。
リサは振り返る。本当に、街は穏やかだ。物々交換をしている大人や、球遊びをしている子供などが見える。誰もが、穏やかに暮らしている。
「ここは神のための文明であり、同時に、神が与えた楽園なんですよ」
イツキはそう言った。
++++++++++
しばらく歩いて、リサたちが辿り着いたのは神殿だった。
石の階段を上り、まだ先に進んでいく。本殿とも言えそうな建物の中に、木造のベッドのようなものがあった。
そこに、ひとりの女性が横たえられている。まるでご本尊だ。
イツキは言う。
「こちらです」
リサには一体、なにが「こちらです」なのかまったくわからない。
たしかに、この女性は、人間離れした美しさをもっている。髪は紅いが、目を閉じているので瞳の色はわからない。
どことなく、姉のミクラに似ている気はする。だが、リサから見て、ミクラはどう転んでもこんなに神々しくはない。
リサはイツキに問う。
「あの、わたしは、ここに祀られているのは、ヴェイルーガ=ディンスロヴァだと思って来たのですが……」
イツキは首を縦に振る。
「ええ、ですから、このかたが、ヴェイルーガ様で間違いありません」
「あの、でも。ヴェイルーガは男神なんじゃ……」
「このかたが、ヴェイルーガ様です。私たちは五万年間、そう語り継いできましたから」
リサは頭を掻く。
「ええと、確認します。ヴェイルーガ神の妻の女神レムヴェリアでも、妹の女神ミオヴォーナでもなく?」
「はい。そのかたは、ヴェイルーガ様、そのお人でございます」
リサは混乱した。惑星アーケモスや魔界ヨルドミス、そしてヴェーラ星系で語り継がれている旧き神の神話とは違う。どの神話でも、ヴェイルーガは男神だった。
いや待てと、リサはよく考え直す。レムヴェリアやミオヴォーナについては、明確に女神であるという伝承が残っていた。しかし、もしかすると、ヴェイルーガに関しては、性別の情報が抜け落ちていただけだという可能性もある。
リサはもう一度、横たわる女神を見る。
女神ヴェイルーガ。
彼女に会うために、ここに来たのではなかったのか。旧き神々になにが起こったのかを知るために。そして、自分自身のことを知るために。
そう考えれば、男神ヴェイルーガであろうと、女神ヴェイルーガであろうと、大差はない。
「イツキさん。わたし、ヴェイルーガに会いに来たんです。なにがあったのかを知るために」
イツキは微笑んだままうなずく。
「そうでしょう。私たちは、いずれあなたのようなかたがいらっしゃることを信じていた。さあ、ヴェイルーガ様の手をお取りになってください」
促されるまま、リサはヴェイルーガの左手を両手で包む。
まるで、死んでいるようには思えない。五万年の時が経過したようにも思えない。腐敗も損傷もなく、まるで生きているかのように完璧な状態だ。
だが、ぬくもりというには、少しだけ冷たい。
その瞬間だった。リサは両の足が立たなくなり、両膝をつく。
なにかのビジョンが流れ込んでくる。
緑。
まるで草原のようだ。
イツキの声が聞こえる。
――ヴェイルーガ様がお呼びなのです。ヴェイルーガ様がお伝えしたいことがあるのです。リサ様、しばしの間、ヴェイルーガ様の見られた世界を、同じように見てはみませんか。
ああ、そういうことか。リサは理解した。そして、意識をヴェイルーガに委ねる。そして、あえて自分から、深い世界に意識を落とした。
もっと深く、深く、深く、深く、遠く――。
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