第六章 お仕着せの正義(2)超越者は語る

 リサはかつて、カッとなって、鏡華のことを利己主義と罵ったことを思い出した。彼女に、「正義に執着するから悪い人につけ込まれる」のだと言われた仕返しにだ。


 だけど、この夢の中の『鏡華』は違う。と看破している。


 リサ自身の無意識は、本当は気づいていたのだ。利己主義なのは自分自身なのだと。


 『鏡華』の姿をした何者かが言う。


「リサ、あなたは、目の前で行われている悲しみ、苦しみを見るのがなだけ。それを見るのにだけ。そして、目の前で喜んでいる人を見るのが好きなだけ」


「……それの何が悪いって言うの」


 リサにとって、それは精一杯の反論だった。だが、『鏡華』は一切怯まない。


「リサ、あなたはね、他人に興味がないの。人間に興味がないの。だって、相手を喜ばせるのが目的であって、その人が将来にわたって幸福になるかどうかなんて考えもしないのだもの」


 相手の


 その観点は欠如している。まったく確かなことだ。リサだってわかっていたのだ。彼女は悲しい顔をした人を見るのに耐えられない。だから、一生懸命、なんとかしようとする。だが、それは一時しのぎにすぎない。


「幸福なんてわからないよ。そうでしょう? そんな形のないもの」


「わからなくて当然よ。あなたはずっと、人の機嫌ばかり伺ってすごしてきたんだもの。少しばかり空冥術が使えるようになっても、変わらない」


「わたしには何の取り柄もなくて、特技もなくて……。空冥術はわたしの救いだったんだ!」


「その空冥術が導いた先が、この事態よね?」


「それは、わたしができることをやった結果で……」


「救えない子。自分ひとり幸福にできないの」


「だってわたしは、自分の人生で、幸福だったことなんてない! 劣等感と無価値感にさいなまれてきただけなんだから!」


 リサが叫ぶと、『鏡華』は立ち上がり、彼女を見下ろす。


「リサ、あなたは自分の存在を軽視する。そんなあなたが、本当に誰かの存在に親身になれるわけがない。……自己犠牲? 自分の台本の押し付けの間違いでしょう」


「あの眩しい、お姉ちゃんみたいになりたかっただけなんだ……」


「……そして、失敗した」


「もうやめてよ!」


 リサが叫ぶと、リサの声を持つ『鏡華』は去って行く。ただ、リサはその後ろ姿を眺めていることしかできない。ベッドの上から一歩も動けない。


 両頬は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。


++++++++++

 

 カツ、カツ、カツ、カツ――。


 リサは気がついた。自分が超越者の前に立っていることに。


 超越者は一冊の本を、手渡してくる。


 リサがそれを受け取ると、本が勝手に開き、風が吹き、ページがパラパラとめくれる。


 そこに描かれているのは、世界の全容だった。始まりも終わりもない、開かれたすべての世界の歴史だ。


 過去だけではない。現在も、そして未来までもが記されている。



 リサは少しだけ、過去のことを思い浮かべた。


 すると、めくれ続ける本から、その過去が映像――思い出のように浮かび上がる。


 引っ込み思案なリサに、快活なミクラ。どこへ行くにもミクラが先頭を走って、リサはそれについていく。


 何度置いて行かれそうになったことか。


 外で喧嘩ばかりして、生傷の絶えないミクラ。その傷を消毒したり、絆創膏を貼ったりするのがリサの仕事だった。


 どれだけ怪我をしても、一向に懲りることのないミクラ。街の不良が悪さをしているとみるや、すぐに喧嘩に駆けつける。隣町の不良の噂でもすっ飛んでいった。


 荒っぽいなあと、リサは思っていた。けれど、ミクラはいつも友達に囲まれていた。


 いいなあ、あんなふうになりたいなあと、何度思ったことだろう。


 そして、ミクラはいつしか進学し、そして失踪した。


 いまごろどこにいるのだろう。


 全然心配しない母のことが気がかりだった。母は何も見ていない。


 はじめは、ミクラへの絶大な信頼なのかと思った。けれど、それだけではなさそうで怖かった。


 本当は、ミクラのことを見ていないのではないかと、気づきたくなかった。


 そしてリサのことなど、ミクラのおまけくらいにしか思っていないのではないかと、気づきたくなかった。


 そして、ある日、リサは路地裏で壊れかけた星芒具を発見する。そして、拾い上げる。左右を見て、自分の腕に装着する。


 星芒具が起動した。これで何かができるかもしれないと、リサは思った。



 超越者は、リサにペンを渡そうとする。


 そうだ。この超越者に掛かれば、過去も、未来も、書き換えることができる。だけど――。


 リサは怖くなった。


 超越者の力を借りれば、不幸な過去も、ミクラとの別離も、現在の苦しみも、すべてなかったことにできる。そして、明るい未来だけを手にすることができる。


 だけど、それは、やってはいけない気がしたのだ。


 リサは恐怖と、少しばかりの勇気で、世界が書かれたその本を閉じる。それから、その本を超越者へと返す。


 超越者は語る。


「われらは出会った。われらは出会うであろう」


++++++++++


 リサは目を覚ました。


 相変わらず、ヴェーラ惑星世界『天上』のアパートにひとりだ。だが、今度こそ本当に起きられたらしい。


 リサは身体を起こし、額を押さえる。身体が重く、疲れが取れた感じがしない。


「いったい、わたしは、出会ったんだろう……」


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