第四章 選民の天上(5)唯一の居場所
ある日の学校での授業内容は数列だった。
いつもどおりの教室の後ろの隅で、リーザは問題と格闘している。
「数列って、数字が並んでいるのかと思いました。でも、並ぶのは記号なんですね」
「この記号もまた
そんなふうに始まった授業だったが、いまでは、リーザは等差数列の和の公式を取り扱っている。
「ここがこうなるから、この問題の解は……」
もうそこまで適応したのかとラミザは感心した。だが、教壇に立つ教師はまだ等差数列についての概説を話しているところだった。公式など少しも登場していない。
対するリーザは、授業進度を置いていき、自分のペースで問題を解き進めている。
「リーザ? この公式はもう習っていたかしら?」
「公式? ああこれのことですか? さっき導出しました。これをもっておくと、他の問題が早く解けると気づいたので。……駄目でしたか?」
「いいえ。とてもいいわ。問題の共通点に気づいたのね」
ラミザはそうやって、リーザを褒めておく。ただ、彼女の心の中では、疑念が確信に近づきつつあった。
「全部解けました」
そんなふうに言うリーザ。授業はまだ、数列に関する前説が続いているところだ。
「……そろそろね」
ラミザがそう呟いたので、リーザは訝しげな顔をする。
「そろそろ? 次の単元に移るってことですか?」
「あ、いいえ。数学はこのまま。先生のペースに合わせてあげてちょうだい」
リーザにはやはり、ラミザの考えていることがわからないでいた。
++++++++++
その日の昼食は生徒用食堂で食べることにした。
ヴェーラ惑星世界は食に関して関心が薄いのか、セットメニューを選んでも、パンに揚げ肉、揚げ芋、蒸し野菜といった風になる。
リーザがラミザと並んで食べていると、二名の女子学生がやって来て、目の前の席に座った。リサたちと彼女らは向かい合う形になる。
「ここ、座ってもいい? リーザさん」
「わたしたち、あなたとお話がしてみたくて」
「あ、はい。よろしくお願いします」
リーザが促し、女子ふたりは目の前の席に座る。ふたりは、ネリネとミーアと自己紹介した。
ネリネはリーザに言う。
「リーザさんは数学が得意でらっしゃるのね。どこの惑星世界からいらっしゃったの?」
「数学は得意というか、あれしかできないというか」
「わたしたち、数学は大の苦手。だから、仲良くして欲しいの。リーザさんに数学を教えていただいて、わたしたちが別の科目を教えたらいいと思わない?」
「ええと、そうですね……」
リーザはそこで即答せず、隣に座るラミザをちらと見る。ラミザは首を縦に振る。それを見て、リーザは肯定していいのだと理解する。
「リーザさん?」
「はい。とてもいいと思います」
「じゃあ、ぜひ、仲良くしましょう」
「あ、ありがとうございます。では、お礼を差し上げますね」
リーザはそう言って、自分の皿から切った肉を一切れずつ、ネリネとミーアの皿に移した。
ネリネとミーアは困惑した。仲良くするために代償を支払われるなど、夢にも思わなかったからだ。
ネリネは困惑しながらも、お礼を言う。
「ええと、リーザさん、ありがとう。でも、ちょっとこれは……」
一方、ミーアは、リーザが寄越した肉を返す。
「リーザちゃん、わたしたくさん食べられないの。だからこれは返すね」
これで狼狽したのはリーザのほうだった。
「えっと、お肉は駄目でしたか? お芋も、お野菜もあります。どうぞお好きなものを……」
「リーザちゃん、そこまで行くと、親切じゃなくて押しつけだよ」
この言葉はリーザの心に突き刺さった。それも奥深く、深く。深奥の中心まで射貫くかのようだった。
「ああああああああ――」
リーザは急に声をあげた。そして、ネリネとミーアにすがるように頭を下げる。その勢いで、自分の分の食べ物をひっくり返し、テーブルや床にこぼす。
「申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません、犬に食べられるのだけは――」
リーザの恐慌状態を見て、ネリネとミーアは不気味に思って立ち上がる。そして後ずさりをして、少しだけ様子を見た。だが結局、どうにもならないと思い、ふたりとも逃げ去った。
周囲の生徒たちも、のたうち回って叫ぶリーザを見て、距離を取った。
ラミザは慌てて、リーザの背を撫で、彼女を落ち着けようとする。周囲の生徒たちや教師たちには、「大丈夫です。すぐに落ち着きますので」と言う。だが、リーザはずっと嗚咽を繰り返している。
ラミザはリーザの手を取り、もはや真っ直ぐ歩けない彼女を引き連れて、生徒用食堂を出たのだった。
++++++++++
その日の夜、リーザは疲れ切って、夕食も食べずに眠ってしまった。
夢の中で、彼女は草原にいた。そして、ラミザに膝枕をしてもらっている。
吹く風は穏やかで暖かい。どうやら木陰らしいそこには、ちらちらと木漏れ日が差す。
そんななかで、リーザは眠っている。
なんて素晴らしい場所なんだろう。
リーザは自分の髪を、ラミザが撫でるのを感じる。目を開けなくてもわかる。優しい触り方だ。
なんて心地のいい場所なんだろう。リーザはそう思った。ここがわたしの、世界で唯一の居場所なんだ――。
++++++++++
アパートでは、ラミザがリーザを膝枕していた。恐慌状態にあったリーザは、いまでは落ち着いて眠っている。
ラミザはそのまま通信機で話をする。
「ええ、ええ……。こちらもそろそろ。……そう。明日決行ね」
そう言って通信を切り、ラミザはリーザの額を撫でる。
「ごめんなさいね。リーザ」
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