第四章 選民の天上(3)共に学校へ
ほんの数週間程度の話として、リーザは『天上』の学校に通うことになった。
普通学校。専門課程に分かれる前の学校だ。
リーザはそこで科目履修生となる。これは、ラミザが「すべての科目は無理」と判断したからだ。
幸い学校へは家から徒歩で行けるということで、リーザはラミザと並んで、学校までの道を歩く。
ラミザは言う。
「ベルリスが――いや、ヴェーラ人の協力者が言うには、政治学や歴史学はヴェーラ惑星世界の事情に特有すぎて、いまのリーザには合わないだろうって。一方で、数学は大丈夫だろうって」
リーザは首をかしげる。
「簡単ってことですか?」
「普遍性があるってこと。いまのリーザは星芒具を付けられない。翻訳機能が使えないから、ヴェーラ語の文字が読めない。そこの支援はわたしがする」
「ラミザさんも学校に行くんですか?」
「わたしは生徒じゃなくて、補助者だけどね」
「一緒にいてくださるのは嬉しいです」
ラミザはここしばらくリーザと過ごしてみて、気づいたことがある。リーザはごく簡単に「嬉しいです」と言う。当初は、嬉しさを感じる基準が低いのかと感じていた。
だが、どうも違うようだ。リーザは語彙が麻痺しているのだ。感情の大部分が損傷していて、使用不能になっている。だから、とりあえず「嬉しい」と言っておく。それが、ここで彼女が生き抜くために必要なことだったのだろう。
++++++++++
学校はまるで神殿のような壮麗な装飾がなされた建物だった。あまりの異質さに、リーザは面食らったが、人々がどんどん建物の中へと入っていく。
しかも、みな、リーザと同じ制服を着ている。ならば、まちがいなく、ここが学校なのだろう。
リーザはここに来るために、ラミザから制服を与えられていた。基本は首まで覆う襟――ヴェーラ人はこれを好むらしい。首回りは、艶のある布のタイで飾っている。袖は大きく折り返されていて、刺繍が入っている。
ちなみに、補助者たるラミザも、同じ制服を着ているが、外套を着て、フードで顔を隠している。これは、彼女の右頬の大きな傷跡を見せないためだ。
リーザとラミザが教室に入ると、教室内のすべての生徒に通知が入る。
『新しい生徒と補助者が来ました。生徒名、不明。補助者名、ラミザ・ヤン=シーヘル。履修者科目、数学』
これにより、生徒たちの間に少々ざわめきが立った。補助者の名前は開示されるが、肝心の生徒の名前が開示されないということがあるだろうか。
気になった生徒たちはリーザのほうを見た。リーザは目がいいらしく、教室の後ろの隅に着席したが、彼女の腕に星芒具が付いていないことは誰の目にも明らかだった。
謎はすぐに解けた。星芒具がないので、身分情報が明らかにされないのだ。
数学の授業が始まるとき、女性の教師が教室の片隅に座っている新しい生徒の存在に気がついた。そして、名前などの情報が他の生徒に共有されていないことも知った。
教師は部屋の隅のリーザとラミザに向け、声を張った。
「そこの隅の生徒! きょうからの参加者ですね。ベルリス・リド・バルノン公爵から話は聞いています。自己紹介をお願いします」
急に自分に視線が集中すると思っていなかったリーザは面食らったが、慌てて立ち上がり、自己紹介する。
「は、はじめまして。リーザです。よろしくお願いします」
教師は少しだけ訝る。
「リーザ……さん。お名前はそれだけですか? 氏族名や家族名などは?」
「えっと、リーザだけです。すみません」
「いえ、謝ることではありません。バルノン公爵からもそう伺っていますから。本人に確認したまでです。それで、隣の方」
次はラミザが自己紹介する。
「ラミザ・ヤン=シーヘルです。普通学校は卒業済みですが、リーザの補助のために来ています。よろしくお願いします」
それから、教師が生徒たちに向けて言う。
「リーザさんはこの数学講座のみの科目履修生です。星芒具アレルギーで困ることもあるでしょうが、生徒のみなさんで助け合うように」
教師が宣言するかのようにそう言うと、教室内では小さな拍手が起こった。
リーザは自分は一応、迎え入れられているのだとほっとした。
自己紹介はそこまでにして、あっという間に授業は進んでいく。
ラミザに渡されたノートとペンを駆使して、リーザはなんとか理解しようとするが、そもそも全然読めない。機材はいずれも電子機器だった。
先生の声は、先生が星芒具を付けているから意味がわかる。しかし、書かれた文字や記号というのは、自分が星芒具をつけていないと、自分の言語に置き換えられないのだ。
だが、そのための補助者だ。ラミザは、リーザがうんうん唸っている数式の意味を説明する。
「ここはコサイン。三角関数ね。ここで、別の記号を導入してイコールで置き換えて、座標系を変換しているわけね」
「ふむふむ」
「それから、最後の式のこれは積分記号。わかる? ここのグラフは直観的に理解できると思うけど」
「わかる……気がする。そうか、だったら……この面積相当になるわけで……」
リーザはラミザの補助を受けながら、ヴェーラ語で書かれた数式の意味を紐解いていく。頭の疲れる作業だったが、なんとかついて行ける難易度だ。
解き終わってから『正解』という表示が出て、リーザは安堵した。
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