第三章 選民の天上(2)感傷

 ラミザが事務所据え付けの機械の操作盤を星芒具で叩くと、認証が通り、料金が支払われる。


「さっき、リーザの服を買ったときにサイズ記録ができたから、おかげで身体に合う運動着を借りれたわ。手間が省けたわ」


 そう言いながら、ふたり分の運動着を機械から取り出すラミザを見て、リーザは驚愕する。


「あの、さきほど服を買っていただいたばかりなのに、もう着替えるんですか?」

 

 ラミザは口を尖らせる。


「だって、運動すると汗をかくのだもの。運動着を着ておかなくちゃ。それにこっちは借りもの。リーザの服は買ったもの」


「洗って返すときは、わたしが洗いますね」


「洗わなくていいからね」


「いいんですか……?」


 リーザは首をかしげた。彼女の世界の常識とは、ここはあまりにもかけ離れている。不思議な世界もあったものだ。


++++++++++


 リーザとラミザは更衣室で運動着に着替えてから、借り物のラケットとボールを持ってコートに入った。


 他のコートでは、人々が楽しそうにラリーをしている。


 リーザはコートの管理人から説明を受け、このゲームのことを学んだ。


 このゲームは、このヴェーラ惑星世界では、『ポルークウ』と呼ばれているらしい。ラケットには、長い柄があり、打つ面がその両端に付いている。基本的に、左右に面が来るように持つようだ。


 大事なのは、リーザのコートとラミザのコートの間にある、長方形の面を通るようにボールを打たなければならないということだ。面の高さはリーザの肩ほど。それより高く打ってはいけないのだ。


 そして、ボールはコート内を一回から二回バウンドさせていいが、それ以上やそれ以下ではいけないということだ。その時点で、相手の得点になる。また、取り損ねたボールが自分のコートの後ろまで飛んでいくと相手の得点になる。


 ルールは一応わかったものの、実際やってみると思っていたよりも難しい。


 ラミザから打つのを始めたが、まずリーザは、ボールに追いつけない。空振りをする。コート中央の長方形の上に打ち上げてしまう、と散々だった。


 リーザは笑いながら謝る。


「すみません、ラミザさん。わたしじゃゲームにならないみたいで」


「……いえ、問題ないわ。リーザ、あなた、運動不足なんじゃない?」


「たしかに、こんなに動いたのは久しぶり……? いえ、記憶にないです」


「そう」


 ラミザは再びサーブを開始する。リーザの動きに合わせて、球速は抑えてある。なので、リーザでも綺麗に打ち返せる。


 二度、三度とラリーが続く。


 ラミザは潮目が変わってきたことを感じた。リーザはきちんとボールの動きを読み、先回りして、適切な位置に移動してから、正確に打面を当てている。


「これは……」


 もちろん、これはラミザが勝ちにいっていないから可能なことだ。だが、ほんの少しの間で、リーザの動きは格段によくなっている。


 ここで、少し、ラミザは意地悪をする。リーザの守り切れる範囲より少し外側に、これまでよりも速い球を打ち込んだのだ。


 だが、リーザはそれに気づかなかった。打ち合いを続けられると勘違いしたのだ。走り、跳んだ。


 そして、転んだ。


 ボールはコート内で跳ね、コートの外へと飛んでいく。


「へへ、すみません。届くかと思ったんですけど……」


 転んだまま、リーザはラミザにそう言った。慌てて、ラミザはリーザに駆け寄る。


「大丈夫? どこも怪我してない?」


「いえ、全然平気です」


 リーザはラミザの差し出した手を取り立ち上がるが、くるぶしに痛みを覚えて屈み込む。


「痛――ッ!」


「足? 足ね? コート管理人を呼ぶわ」


「いえ、そんな、人様の手をわずらわせるわけには……」


 リサの遠慮を無視し、ラミザはコート管理人に手を振る。


「怪我人はおとなしく診察を受けるものよ」


 ラミザがそう言ったので、リーザは遠慮せずにコート管理人の診察を受けることとなった。


 コート管理人の診察器具により、骨に問題はないということがわかった。捻挫だった。



 ラミザはゲームを切り上げることを決め、リーザに肩を貸し、彼女を更衣室へと連れ帰った。ふたりはシャワーを浴び、ここへ来る前に着ていた服へと着替え直す。


 そのあとで、リーザの足首には湿布が貼られた。そのころには、もう肩を貸さなくても歩けるようになっていた。だが、それでもラミザはリーザの手を握って歩くことにした。


 いつ転ぶかわからないからだ。


 リーザはラミザに訊く。


「あの、ラミザさん、またどこかへ行くんですか?」


「きょうからしばらく暮らすアパートよ。契約は済んでる。そこが一番休めると思うから」


 ラミザは歩く速さに気を使いながら、リーザと一緒に歩いた。


 ラミザは心の中で思う。それにしても、最後の打球に対するリーザの動き。あれはまるで、空冥術による身体強化を前提としたような動きだった。


 リーザのほうは、ラミザがそんなことを考えているとは思いもせず、ただ顔に貼り付いた笑顔を向けるばかりだった。


++++++++++


 夕食時には、リーザとラミザのふたりでレストランに行った。


 この『天上』では、食べ物には快楽物質は入っていないのが普通だ。なので安心して食べられる。


 ……そう言ったのはラミザだが、リーザはいまだに、『下界』の快楽物質まみれの食べ物の怖さがピンときていない。無料で食べて生きられるなら、何も問題はないのではないかとさえ思う。

 

 向かい合って座るふたりの間に、魚を煮込んだスープ椀が運ばれてくる。これは、おのおの魚をほぐして取り皿に取り分けるものだ。


「どうぞ食べて」


 ラミザがそう言うまで、リーザは食べようとはしなかった。だが、その発言と共に、すぐに食べようとする。お腹が空いていたのだ。お腹が空いていたのに、何も言わなかったのだ。


 リーザはこれが何の魚なのかも、スープの味付けもまるでわからなかったが、噛むごとにしみ出すうまみに大喜びする。


「ラミザさん、これ、すごく美味しいです!」


「そう。よかった」


「わたし、お魚って食べるの初めてなんですけど、こんなのなんですね。知らなかった。こんなに美味しいなんて……」


 リーザがそんなふうに食べ物を称賛していると、ラミザは目頭を押さえていた。泣いているのだ。


「そう、本当によかった……」


「ラミザさん? どうしたんですか?」


「なんでもないのよ。少し、お酒を呑んで感傷的になってるだけ」


「でもそれ、お水じゃあ……」


「お酒なの」


 それから、ラミザは本格的に、肩を震わせて、声を押し殺して泣き始める。ここは『天上』なので、店員が状況確認に来たが、ラミザは「なんでもないから」と言って追い返すだけだった。


 リーザには、やはり、ラミザがどうして泣くのか、わからなかった。


++++++++++

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