第二章 頽廃の下界(2)人間の最終処分場
そうして、リーザはラミザに連れられて、ホテルに入った。
ここの中のレストランは、追加料金を払えば快楽物質抜きの食事を出してくれるらしい。また、ふたりは今夜ここに泊まるのだという。
「だ、か、ら! 快楽物質抜き! 快楽物質抜きのメニューが欲しいって言ってるでしょ! お金はあるから、持って来て!」
ここでもまた、ラミザは店員に対して怒っている。リーザはぼんやりと、彼女は本当に怒ってばっかりで大変そうだなあと思う。
ふたりの前に運ばれてきたのは、焼いた肉だった。味付けが何でなされているかわからないが、フォークを挿し込むとすぐにほぐれる。
「ぜひ食べてちょうだい」
ラミザがそう言うので、リーザは大喜びで肉をほぐして、口に入れて噛みしめる。
「美味しい! こんな美味しいの初めて食べた!」
ラミザはリーザのそんな様子を、悲しそうな目で見たあと、質問を投げかける。
「リーザ、あなたは、普段、どういうものを食べていたの?」
「普段ですか? 固いパンの欠片みたいなのと、合成肉の端のほうですね。端のほうは安く手に入るんだそうなんです。乾燥するとかで」
「そう……。じゃあ、きょうからはいいもの食べなきゃね。わたしが付いているから、大丈夫」
「嬉しいです! ありがとうございます! ラミザさん!」
そのあとリーザは、クレープ状のパンも、揚げ鶏も食べた。食べる度に歓喜の声をあげた。
一方、ラミザはそんなリーザの様子を眺めて、複雑そうな顔をするのだった。
++++++++++
その夜、ラミザが眠ろうとしてベッドに入ると、リーザも同じベッドに入ってきた。それを、ラミザは押しのける。
「リーザ、違うのよ」
「違うんですか? わたしのことを、買われたのに?」
リーザの世界観においては、ラミザのほうが異質だ。買った、もしくは力ずくで奪っておきながら、美味しいものを食べさせて、あとは何もしない。
まったく意味がわからない。
ラミザはリーザをぐいと押し、彼女をもうひとつのベッドのほうに寝かせる。
「わたしはまず、あなたと対等になりたいの。だから、わたしの所有物のようにふるまうのはやめてちょうだい」
「……でも、最初、わたしはあなたのものだって」
「それは言葉の綾よ。いずれわかるから、明日からは普通の友達同士ね」
「友達同士、は、よくわからないですけど」
「明日話すわ。おやすみ、リーザ」
「はい、おやすみなさい。ラミザさん」
++++++++++
ホテルのレストランで朝食を済ませ、しばらく部屋でのんびりと過ごしたあと、ふたりはまた、街へと出た。
「さて、普通の女の子同士は、買い食いなどをするようなんだけど……」
ラミザはそう言ったきり、少し困ってしまったようだ。
普通の女の子としての選択肢が少ないあたり、ラミザもまた普通からほど遠い生い立ちなのだと、リーザは感じた。
たしかに、この『下界』には、買い食いができるような場所がない。食べ物や飲み物は無料で手に入るが、どれももれなく快楽物質入りだ。
ラミザはリーザの手を引く。
「ここはどこまでも狂っているわ。不安も悲しみも、快楽物質を食べていれば消えてなくなる。そういう価値観なのよ。身の回りにどんな不幸が起こっていても、感じなければ存在しないという理屈。感じないだけなのにね」
リーザは、それに対する答えを持たなかった。ラミザの言っていることはむずかしい。ずっと屋内で暮らしてきて、誰かの食べ残しを食べてきた彼女にとっては、初耳だったのだ。
ラミザは言葉を続ける。
「……でも、逃げられないものから逃げるためには、この『下界』ほど優れた場所はないわ。人間の人生には、立ち向かえないほど大きな障害がある。どうあがいても取り返しの付かない失敗だってある」
リーザには、やはりラミザが言っていることがわからない。取り返しの付かないことなんて、なにひとつ思いつかないのだ。……そこまで考えて、ようやく思いいたる。ああ、確かに、大きな失敗をして犬のエサになるのは嫌かもしれない。そのときには快楽物質がたくさんほしいかもしれない。
路地裏の倉庫の陰まで来ると、ラミザはリーザの手を放し、「ここで待ってて」と言った。そして、星芒具から黒い大剣を喚び出すと、それを使って倉庫の壁を破壊する。
それは、ヴェーラ軍の『下界』における倉庫だった。
大剣を星芒具の中に仕舞い、スタスタと倉庫の中に入っていくラミザ。一分も掛からないうちに彼女は帰ってくると、リーザの手を取ってまた走る。
別の路地裏まで逃げたときに、ラミザはリーザに軍用食の袋を開けた。これが先ほどの倉庫で盗んできたものだ。
袋からひとつ取ってリーザに手渡し、ラミザは溜息をつく。
「これは買い食いとはほど遠いけど、軍用食は快楽物質が入っていないから」
リーザはようやく、ラミザが「買い食い」を再現しようとがんばってくれたのだと理解する。そして、満面の笑みで、味のほとんどしない軍用食を頬張る。
「ラミザさん、外で食べるのって楽しいですね!」
ラミザはそんなリーザの様子を見て、微笑み、うつむき、それから悲しそうな顔をする。そして、顔を上げて言う。
「リーザ」
「は、はい」
「『天上』に行きましょう。あなたの分の許可申請も通してあるの。トランスポーターで上れるのよ、『天上』に」
部屋の中と外の区別も付かなかったリーザには、『天上』というのは更なる未知の世界だ。いったい、なにがあるのか見当も付かない。
しかし、ラミザの持ち物たるリーザにとって、もつべき感情は、例外なくただひとつだ。
「ラミザさんが連れて行ってくださるなら、わたし、とても嬉しいです!」
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