第二章 頽廃の下界

第二章 頽廃の下界(1)快楽の都

 ここ、ヴェーラ惑星世界の『下界』は、とにかく雑多だ。様々な音が鳴り響いている。乗り物の音、話し声――ほとんど叫び声に近い、機械の音……。あとの大きな音はわからない。


 リーザは、街を維持するために、これほどたくさんの音を立ててものを動かさないといけないのかと思う。


 それは感心というより吸収だった。彼女は部屋の外のことをまるで知らない。


 リーザが訊いたところ、ラミザはあの大きな黒い剣は星芒具に仕舞うことができるとのことだ。いまはあの剣を担いでいない。たしかに、あれは腰に提げる剣に比べてあまりにも物騒だ。



 そんなラミザが急に立ち止まり、肩を震わせる。後ろから付いて歩いていたリーザは、その後ろ姿だけで、彼女が泣いているのだとわかった。


「あの、ラミザさん」


 慰めようと声を掛けるリーザに、ラミザは涙ながらに語る。


「本当にごめんなさい。あなたを見つけ出すまでに、一年もかかってしまったの……」


 だが、その言葉の真意は、リーザにはわからなかった。わからないが、人の顔を見れば感情は理解できる。ラミザは悲しいのだ。


 リーザは意味もわからないながら、そっと肩を貸した。ラミザはその肩にしがみつき、大いに泣いた。


 ラミザにとって、それは悔恨と贖罪の涙だった。しかし、この混沌とした頽廃の都では、それを気に掛けるような人間は皆無だった。誰もが、大泣きする彼女よりも派手に騒いでいるのだから。



 涙が止まって、ラミザはリーザの手を引いて歩く。ラミザは言う。


「ここヴェーラの『下界』では、素朴な遊びというものがまったくないのよ。食べ物すら快楽物質まみれで、一口食べると前後不覚になるわ。わたしがさっき渡したのは、『天上』で入手したもの――」


 そう言っているそばから、リーザは通りすがりの男から、紙袋に入った食べ物を渡され、それに目を輝かせる。肉を挟んだパンのようなものだ。こんな美味しそうなもの、いままで見たことがない。


 だが、ラミザは慌ててそれを奪い取り、地面に投げ捨てる。


「だから、やめなさい! こんなものを食べてはいけないと言っているのよ!」


 リーザにとってはご馳走に見えたのだが、新しい主人がそう言うのなら仕方がない。そんなふうに、彼女は理解した。



 しかし、それにしても、リーザにはわからない。この街では誰もかもが無料の食べ物に手を出し、意識をいる。誰も彼もが正気を失い、とにかく気持ちよくなっている。


 そんな薬物まみれの食べ物や飲み物は、街じゅういたるところにある。


 だというのに、ラミザは、この『下界』で唯一正気を保ち、しかも怒っていて、泣いていて、不幸そうだ。


 どちらが正しいのだろう。


 そんな折に、リーザに見知らぬ男から声が掛かる。


「おい、姉ちゃん。準備がいいじゃねえか。その外套の下、なんにも着てねえんだろ」


 そう言われるやいなや、リーザは建物の壁に手をつき、外套の裾を巻き上げようとする。


「えっと、わたしはこちらのラミザさんのものですので、お代金はこちらにお願いしますね」


「なんだよ、この『下界』で金取るのかよ。ま、いいか。いくら?」


 これは、ラミザにとってはあまりにも耐えがたい光景だった。リーザが諾々としているだけでも許しがたいのに、有料だからと言ってケチを付けるとは。


 ラミザは男の頭を掴み、壁に叩きつける。頭蓋骨が無事かどうかは保証できないような状態だった。こんな状態でも、周囲の人間は気にも留めない。ここでは、喧嘩で怪我をした人間にも、そのうち機械が助けに来る。問題はない。


「……これが代金代わりよ。リーザ、あなたも裾を上げないの」


 ラミザにそう言われ、リーザは裾を下ろす。リーザにとってみれば、せっかくの初仕事だったのだ。だが、その機会はなくなった。


 いったい、ラミザは何に怒っているんだろう? それが、リーザの感想だ。



 ラミザは再びリーザの手を握ると、足早に歩き始める。


「ここの食べ物はの。『下界』のホテルも、数は少ないけど、お金を積めばまともなものが食べられるところがあるから、行きましょう」


 リーザには、やはり、その真意がわからない。「わたし向き」とは一体なんだろう?


「あの、ラミザさん」


「なに?」


「たしかに、わたし、快楽物質を食べて自分が快楽に浸るよりも、人を気持ちよくさせるほうが好きです。そういうことですか?」


 リーザのその言葉を聞いて、ラミザは顔を顰める。


 どうやら違ったらしい。


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