第三部 頽廃星辰京ヴェーラ
序章 星の夜の狂戦士
『彼女』は、もはや、最後に笑顔でなかったときがいつだったか、思い出せない。
部屋は明かりを消していて薄暗く、きしむ音ばかりが響く。身体と心に違和感がある。そんなことを毎日繰り返している。
壁一面が窓。その外に見える星空が美しい。
その星空を隠すように、動き続ける人影が彼女の視界を覆ってくる。
貼り付いた笑顔。
いつからこんなだっただろう。まるで思い出せない。自分がどこの生まれで、どこでどう育ったのかも。自分が何者で、何歳なのかも。
まるでわからない。
だけど、『彼女』は満足していた。ここでベッドに寝転がっているだけで、食べ物がもらえる。それ以上に嬉しいことなど、この世にあったとは思えない。
そんなときだった。『星の夜の狂戦士』が現れたのは。
『星の夜の狂戦士』は、全面窓の壁を蹴破って、この薄暗い部屋へと飛び込んできた。褐色の肌、銀髪、紅玉の瞳。美しい女だ。
『彼女』にとって、『星の夜の狂戦士』の何もかもが不思議だった。同じ女だというのに、こんな凜とした人は見たことがない。
そして、この人は、自分ならするような媚びを売らず、会話もせず、ひと言も話さないのだ。やはり不思議だ。
まず、『星の夜の狂戦士』は、たったふたつの動作でこの部屋を片付けた。
ひとつめは蹴り。それは、『彼女』に覆い被さる人影を引き剥がすためのもの。
ふたつめは巨大な剣での斬撃。それは、その人影の主を、確実に、惨たらしく死に至らしめるためのもの。
『星の夜の狂戦士』は、『彼女』の手を取り、ベッドから身を起こさせる。そして、一糸まとわぬその身体に、外套を羽織らせる。
そして、『星の夜の狂戦士』は『彼女』の手を引き、部屋から駆け出そうとした。赤い塊と液体に姿を変えてしまった、お客さんを置いて。
『彼女』は抵抗した。「わたしはここから出られない」そう言った。だが、『星の夜の狂戦士』はそれを否定した。
「あなたは、わたしのものだから」
そのひと言で、『彼女』は抵抗をやめた。「そういうこともあるのか」と思ったのだ。持ち主が変わるのは、そう珍しいことではない。
『星の夜の狂戦士』が部屋から出ると、ちょっとした騒ぎになった。悲鳴が上がり、その度に血しぶきが上がる。『彼女』は、「この人は予約を取らずに来たのだなあ」とだけ思った。
『星の夜の狂戦士』は娼館を破壊し尽くした。
客の男たちを殺し尽くした。女衒を殺し尽くした。
そして、店の関係者を殺し尽くした。
『彼女』はようやく思い出した。いま『星の夜の狂戦士』が抱いている感情は、不快感と呼ばれるものなのだと。
『星の夜の狂戦士』が通ったあとには、死体が転がっている。ただひとり、『彼女』だけが生きている。『彼女』はなぜ、自分は殺されないのだろうと不思議だった。
娼館の外へと逃げだし、追っ手が来ないくらい遠くまで一緒に走ると、『星の夜の狂戦士』は、『彼女』をじっと見つめた。
しばらくわからなかったが、『彼女』はその表情が、悔恨と呼ばれるものであることを思いだした。
『星の夜の狂戦士』は、自分の名前を名乗る。
「わたしは、ラミザ」
相手から名乗られれば、名乗り返すのが礼儀だと、『彼女』は娼館で叩き込まれていた。『彼女』も名乗り返す。
「わたしは、リーザといいます」
リーザは、色素の薄い茶髪に、緑色の瞳をした女だった。
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