第十章 あったかもしれない(7)平和な世界で
リサはノナに呼ばれて、秋津洲物産のオーリア帝国現地法人へと足を運んだ。今回は事情も事情で、フィズナーもベルディグロウも一緒だ。
前回訪問したときとは違い、きちんと革張りのソファーがある会議室へと通された。ノナ曰く、この部屋の使用には犬飼現地法人社長の許可が必要だということだ。
犬飼現法社長も真田課長も、前回とは打って変わって大人しい。スーツのジャケットまで着ているのは以前と同じだが、二人とも前のボタンまで閉めている。
「逢川さん、いや、逢川様、ご婚約をお喜び申し上げたく――」
真田がそんなことを言い始めるので、リサはそれを止める。
「いえ、それは結構です。すぐに仕事の話に移りたいので」
「はい、それでは」
真田はノナに指示して、リサたち三人の前に書類を配らせる。ノナは相変わらずの小間使いだったが、犬飼や真田がリサに恐縮している姿を見られて、少しだけ嬉しそうにしている。
書類を指し示しながら、真田が言う。
「冗談みたいな話で驚くかも知れませんが、日本国防軍が魔界を攻めることを決めたそうです。いや、信じがたい話なんですが、魔界というのは、そういう惑星だそうで」
「ヨルドミスですね」
リサがひと言言うたびに、真田は恐縮する。
「はい、そうなんです。ご存知でしたか、いやさすがです。なんでも国防軍が宇宙船を買い付けていたとかいう話でして、日本とオーリア帝国の合同軍としてそのヨルドミスという星に攻撃するとか」
真田の言葉は余計な敬語がついているせいで聞きづらいが、内容は驚くべきものだった。あの国防軍がついに打って出るのだ。
これこそ、秋津洲財閥の澄河御影や、国防軍の妙見中佐が秘密裏に進めていたことだろう。
安喜少尉が危険の匂いを嗅ぎ取り、リサに除隊を勧めたのは、当たっていたといえる。ここまでくると、もはや宇宙を股にかけた殺戮マシンのできあがりだ。
「なんともまあ。これは、いまも『総合治安部隊』に所属していたらと思うとぞっとしますね」
リサがそう言うと、犬飼がもう一枚の資料を出す。軍隊に属する証明書のコピーだ。その資料には、高校生のときのリサの証明写真が付いているが、国防軍での履歴として、最後の行が『総合治安部隊 但しオーリア帝国出張中』となっていた。
きっと、安喜少尉はいろいろと頑張ってくれたのだろう。だが、最終的に、リサは除隊にはならなかった。『総合治安部隊』は逃がしてはくれないのだ。
ベルディグロウはリサに問う。
「どうする? リサ。私は信仰を持つ身だが、もはやあなた個人を尊重している。私はあなたの決定に従おう」
次に、フィズナーが言う。
「俺は一応、リサ姫殿下をお守りするよう、皇帝陛下から言いつかっている近衛騎士だ。だが、俺もリサの決定に従う。それこそ、『総合治安部隊』やオーリア皇帝を敵に回したっていいんだ」
それはきっと爽快だろう。もはやなんだかわからないが、日本もオーリア帝国も、魔界ヨルドミスに攻め込んでいる場合ではなくなるはずだ。
だが、ただ爽快なだけだろう。本当に見極めたいのはそこじゃない。
リサは考える。そして結論を出す。
++++++++++
「そうか、日本の国防軍へ戻るか」
皇帝クシェルメートはそう言った。もはや彼は玉座には座っておらず、玉座の間に来たリサと、対等に立って会話している。
通例通りならば、フィズナーとベルディグロウはひざまずくべきなのだろうが、皇帝の許可をもらって立ったままの会話にしている。
「では、余からも正式に命じよう。フィズナー・ベルキアル・オンよ、近衛騎士としてリサを守り通せ。ベルディグロウ・シハルト・エジェルミドよ、神官騎士としてリサを守り通せ」
「「はっ」」
リサにとって、そしてフィズナーやベルディグロウにとっても、都合よく話がまとまった。彼らはその肩書きとして、リサに随伴する正当性がある。
皇帝のそばに立つ参謀官として、ラミザが言う。
「では、日本軍に対しては、そのような親書を出しておきましょう。わが国の空冥術士二名を正式編入するようにと」
「ありがとう、ラミザ」
リサは感謝を表明した。ラミザは仕事モードなので事務的な対応を心がけているが、少しだけ頬が緩んでいる。
「それから、ひとつ。面白い話をしよう」
皇帝クシェルメートが高らかにそう言った。彼がそう言うとき、あまり面白かった試しはないような気はしたが、リサは聞くことにする。
「ラルディリース・グム=ジル・デュール公爵は生きていたぞ」
「なっ!」
フィズナーの驚きの声には、喜びの感情が混じっていた。当然だ。皇帝の婚約者でありながら、彼の恋人であった女性なのだから。
「イルオール連邦を統一した勢力、『新イルオール連邦』。その議長として、余に停戦交渉を申し込んできたのだ。傑作であろう」
「元姫殿下が、ですか? では、あの停戦は……」
「ああ。余はあれの能力を過小評価していた。だが、もうすでに、イルオール連邦すら離れたという噂もある」
「それはいったい、どこへ……」
「どこであろうな」
++++++++++
皇城を去るにあたって、リサたち三人を、ラミザが見送りに来る。
「リサ、わたしは皇帝陛下の命により、しばらくアーケモスに残ることになったの。でも、必ず、魔界ヨルドミスに追いついて合流するわ」
ラミザはすっかり落ち着いていた。少し前、戦場で見たような狂気は、どこにも感じられない。
リサはラミザの両手を取り、それから彼女を抱きしめる。
「ラミザ」
「リ、リサ!?」
「きっとわたしたち、戦時中じゃなくて、平和な世界で出会っていたら、別の接しかたで仲良くなってたと思うんだ。わたしはそう、信じてる」
ぎこちなく、ラミザも抱きしめ返す。
リサは確信していた。ラミザが必要だったのは、信仰ではない。神でもない。友達だったのだ。
リサとラミザは手を振って別れる。微笑みながら。
そうしてリサは、フィズナーとベルディグロウとともに、日本へと帰る旅路へと向かうのだった。
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