第十章 あったかもしれない(6)はじめての喧嘩
巨大で、真っ赤な宇宙船五隻に覆われた空。
無差別な対地砲撃を受け、逃げまどうイルオール連邦兵士たち。
そのなかを、リサは歩いて行く。光の槍を持って。
緑の両眼は輝いていて、『未来視』の能力を起動してある。砲撃も、土砂も、血しぶきも、避けることはいまなら容易い。
ちょうど向かいから、人が歩いてくる。ラミザだ。
ラミザはリサと目が合うと、微笑む。
「いましがた、こちらの用事も終わったのよ。来てくれてありがとう」
「……下で待ってる。そう言ってたからね」
ふたりは向かい合って立つ。周囲はまるで地獄だった。空から降り注ぐ砲撃。巻き込まれて吹き飛ばされる兵士たち。
ラミザは腰の剣を抜く。満面の笑顔だ。
「さあ、遊びましょう、リサ。わたし、あなたと戦場で遊ぶのが一番大好きなの」
「そうか。それで……」
「最後に遊んだのは、もう半年以上前? ああ、日本での遊びはどれもこれも楽しかったわ。商店街も、プラネタリウムも、喫茶店も」
「うん」
「海獣タレア戦も、魔竜カルディアヴァニアス戦も。そして、あなたとの打ち合いも。なにもかも楽しくって」
「そうか。そうなんだ。ラミザは、そこが並列なんだね」
「素敵な体験をくれるのは、いつだってあなた」
一方的な殺戮が起こっている戦場の中心で、ラミザの仕草はどことなく愛くるしい。
「ラミザ」
「なあに、リサ?」
「わたしね、いま怒ってるんだ」
「?」
ラミザはきょとんとした。
「すごく怒ってるんだ。こんな事態になってしまったこと。ラミザがそんなことを言わなくちゃならなくなってしまったこと」
「それで? 怒ったら、なにをするの?」
「喧嘩をする」
「喧嘩? 素敵だわ」
「そうかな」
「だってわたし、誰とも喧嘩をしたことがないんだもの!」
きっとそうだろう。ラミザは普通学校でも、上級学校でも、皇城でも、軍隊でも、人に避けられてきた。
見た目ゆえに。生まれゆえに。そして能力の高さゆえに。
喧嘩なんて起きようがない。起きるのは
「じゃあ、これが最初の喧嘩だね」
「喧嘩になると、リサはどこまで強くなるのかしら? あの弓を出してくれるのかしら? 魔竜カルディアヴァニアスを倒したときみたいな、ものすごい力をぶつけてくれるのかしら。それとももっと――」
嬉しそうに語るラミザとは裏腹に、リサは光の槍を消す。そして、何の武器も出さない。
「ねえ、リサ、待って」
ラミザはそう言ったが、リサは待たない。なにも持たずに、ずんずんとラミザに近づいていく。
「リサ、待ってったら。あなた、なにも武器を持ってない」
ラミザの声は、不思議なことに、震えていた。普通は逆だろう。武器を持った相手が近づいてきたら恐れるはずだ。
だが、いま、ラミザは、リサが武器を持っていないことを恐れている。
「待って、待って、待って――」
叫ぶように言うラミザの頬を、リサは全力でひっぱたいたのだ。
ラミザはしばらく、呆然としていた。地面にぺたんと座り込み、目は開いているのになにも見ていない。
「これが、年頃の女の子の喧嘩だよ」
リサはそう言った。
ラミザはなにが起こったのか、まだわかっていないようだった。おそるおそる、自分の左頬を触り、そこがじんじんと痛むことを確かめる。
「どうして――」
「うん?」
「どうして、海獣や、魔竜や、魔族相手みたいに、本気でぶつかってくれないの?」
「本気だよ」
「嘘!」
「わたしの腕力では、本気で叩いたらそれくらい。誰にもぶつけたことがないくらい。本気の本気」
「……え?」
「ラミザ。わたしにとって、ラミザは大切なんだ。それを伝えたかった。伝わってないようだから、怒って喧嘩した」
「そう……なんだ」
「わたしにとって、ラミザは?」
「たいせつ……?」
ラミザはそう言って、リサを見上げる。リサはつい、ぷっと笑ってしまう。
「無理矢理言わせてごめん。誰にでも平等に接したいわたしも本当。でも、大切。たったそれだけ。知ってもらいたくてここまで来たんだ。大事な友達だから」
そう言ってリサは屈み、ラミザを抱きしめる。するとまた、ラミザは子供のように泣くのだった。
強く、強く抱きしめ返される。
「ちょっと痛いよ、ラミザ」
リサは笑った。
空は晴れる。宇宙船は消え去っていた。
青空がふたりを照らす。
++++++++++
リサたちはまた、八日ほどかけて、首都デルンへと戻った。その間、リサはラミザとは会話をしていない。ラミザはラミザで、参謀官として忙しいのだ。
オーリア帝国とイルオール連邦の戦争は一旦終結した。魔族たちも魔界へ撤退していったという。問題はあらかた片付いたように見える。
数日間、リサは皇城に寝泊まりした。まるで、オーリア帝国にいる間の住居がここに定まってしまったかのようだ。
……皇帝と婚約関係を結んでいるのだから、それで間違ってはいないのだが。リサにはなにもかも豪華すぎて、違和感があった。
++++++++++
ある日、リサは玉座の間に呼ばれた。作法に則り、床に膝をついたが、それは婚約者にさせることではないとして、皇帝クシェルメートに立つように言われる。
「なんでしょうか、クシェルメート陛下」
「婚約の返事を訊きたいと思ってな。どうであろう。イルオール連邦での魔族退治は成し遂げたのであろう? であれば、色よい返事が聞けると思ったのだが――」
だが、そこで口を挟んだのは、側近として皇帝について来たラミザだった。彼女は澄まし顔で、しかし強い口調で制止する。
「陛下!」
「なんだ、ラミザ参謀官」
「畏れながら、陛下の魔界討伐戦は継続しております。魔界ヨルドミスを平定するまで、リサの目的は達成されないかと」
「しかし、リサ殿の目的は、あくまでイルオール連邦の魔族の討伐であったはず。魔族は魔界に帰ったのだ。目的は達したのでは?」
「いいえ。魔界の魔族も、いつまたこのアーケモスに現れるかわかりません。だからこその魔界討伐戦ではありませんか」
「しかし、まあ……。参謀官が言うのであれば、そうであろうな」
皇帝クシェルメートは玉座を立ち、部屋の中央に立つリサの横を通り、花園のようなバルコニーへ出る。そして、欄干に手をかけ、もたれ掛かる。
「なんとも、理想の妻とは、得るのが難しきことだ!」
どうやらこれは、ラミザが助け船を出してくれたとみてよさそうだ。リサは、イルオール連邦から帰ったらすぐに結婚させられる可能性を危惧していたが、それはうまく延期できたようだ。
さらにラミザは追撃する。
「陛下、このようなことをしているお暇があれば、魔界討伐の作戦会議に入るのがよろしいかと」
「少し時間をくれ。余は傷心だ」
「お戯れを……」
小言を言い続けるラミザに近寄り、リサは耳打ちする。それを聞いたラミザは一瞬ぎょっとしたが、意を決する。
ラミザははっきりと、次のように発音する。
「しっかりなさいませ、お兄さま」
ぷくくと笑うリサ。皇帝クシェルメートの反応はしばらくない。小声で、「こんなことがなにか意味あるの?」と訊くラミザ。
しばらく間を開けて、皇帝クシェルメートが振り返る。
「ラミザ参謀官。その呼び方は、その。しばらく勘弁してもらえないだろうか」
「はい」
「その……なんだ。慣れないので、照れくさいのだ」
皇帝クシェルメートは頬を掻く。彼はきちんと、ラミザのことを肉親だと思っていたのだ。
ラミザは驚いた顔をし、リサは嬉しそうな顔をする。
++++++++++
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