第十章 あったかもしれない(3)黄泉
リサは、横断歩道の前に立っていた。
信号は赤。目の前を、自動車が行き来する。
横や後ろにはたくさんの人がいて、信号の変わり目を待っている。そして、横断歩道の向かい側には、同じように待っている歩行者たちがいる。
信号は緑。リサは歩き出す。たくさんの人々が、横断歩道上を行き交う。
なんだか変だと、リサは思った。だが、何が変なのかわからない。
+ +
リサは自動ドアを通って、どこかの会社の受付の前に来ていた。
受付の上には、どこかの会社名が書いてある。
それで、リサは、受付の女性に話し掛けてみることにした。
「すみません。ここで人と会う約束があるのですが」
自分でそう言ったものの、誰と会う約束があったのか、一向に思い出せない。だが、一方で、受付の女性はリサを一瞥しただけだ。
「ここじゃアーケモス大陸人は通さないよ」
そう言われてはじめて、リサはいまの自分の格好を見た。ワンピース風の衣服にズボン。それに帯。汚れた軍靴。薄汚いボロボロの短い外套。そして砂まみれの砂除け帽子。
ただ歩くだけで、綺麗なオフィスビル内に砂と泥をまき散らしていることに、リサは気づく。
「あの、わたし、アーケモス人じゃあ……」
「すみません、わたしが代わりますね」
見知らぬ……はずの、スーツ姿の別の若い女性が、割り込んでくれる。どうやら、日本人と
「えっと、あの、お姉さんは」
そう言ったときに、急にシーンが切り替わる。
+ +
リサとスーツの女性は、ふたりで並んで、ビルの横手のベンチに座っていた。どうやら、困っているリサの話を聞いてくれているという状況らしい。
スーツの女性は、スーツの色が黒なら髪も黒。リサと違って真っ直ぐな髪を、うなじあたりで括っている。
「泥だらけのアーケモス大陸人が来たと聞いたんだけど、あなた、日本人ね」
「まあ、アーケモスの人に見えますよね。普通の日本人は、こんな泥だらけで平気で歩きませんから」
「普通の日本人は、ね」
リサはごわごわの頭を砂除け帽子の上から掻く。
「もう、普通の日本人には、戻れそうもないんです」
それを聞いて、スーツの女性は空を見上げる。
「意外とそうでもないのよ。外国に出て、一皮剥けたと思ったら、日本の同調圧力ってものが、すぐに型どおりにしてくれる」
「それはちょっと、こわいかな……」
「むかし結構、無茶したわたしが言うんだもの。髪も黒くして、ストレートにして……。だから、これは本当のお話」
「本当の――」
「だけど、旅をしている間に、日本のみんなに置いて行かれちゃった。みんなは財閥企業の部長とか、中央官庁の役人とかになってて」
「すごい人脈なんですね」
「で、わたし自身は、派遣の受付係」
「ああ、でも、その、受付って素敵だと思います」
スーツの女性は苦笑いをする。
「ありがと。でも、やっぱり、いい大学行ってないと駄目なのよね、日本って。行かないって決断したのは自分だけど、日本に帰ってきて暮らすなら、ねえ」
リサはどきりとする。自分もまた、大学受験を投げ出して、アーケモス大陸への旅を敢行した人間だ。日本に帰るなら――同じ運命が待っているかもしれない。
またシーンが切り替わる。
+ +
今度は、ふたりは国防軍の『総合治安部隊』の隊舎のロビーに並んで座っていた。なぜこの女性と、こんなところにいるのか理解が追いつかない。
スーツの女性が語る。
「『もし、この人と違った出会いかたをしていたら』って思うことあるでしょう?」
「あります」
「この世にはね、善い人も、悪い人もない。あるのは立場の違いだけ。それと、自分の立場をどう解釈しているかだけ。それだけなの。だから、わたしは、できるだけみんなに平等に接したい」
「わかります。だって――」
「違った出会いかたをしていたら、違った関係性が作れた相手だったのかもしれないもの」
そうだ。知っている。この人は――。
そのとき、隊舎じゅうに館内放送が流れる。
『敵性宇宙船の着陸が確認されました。総合治安部隊の実働隊員たちは、速やかに出撃のこと。繰り返します――』
さすがにこれはわかる。リサはそう思った。
自分の声だ。
「「行かなきゃ」」
リサとスーツの女性の声が重なる。
そしてまた、シーンが切り替わる。
+ +
街には巨大なサカナが落ちてきていて、ピチピチと跳ねている。跳ねるたびにビルを破壊していく。
ビルよりも大な竜が街を歩き回り、光線を吐き、電波塔や建物を切断する。
スーツの女性は光の槍を振り回し、巨大なサカナも、巨大な竜も斬り伏せていく。圧倒的な強さだ。
だというのに。
チュン、と胸を貫く光線銃。それからは瓦礫の中に潜んでいた異星人たちから光線銃の掃射を受け、踊るように翻弄されたあと、地面に倒れ込んだ。
ヘルメットを被り、光線銃で武装した異星人たちが、倒れているスーツの女性を取り囲んで銃口を向けている。少しでも動こうものなら、とどめを刺す勢いだ。
血の海になった地面。
「お姉さん!」
リサは泣きそうになりながら、走って近づく。不思議なことに、武装した異星人たちは、リサのことは無視している。
スーツの女性は痛みに顔を引きつらせながらも、苦笑いする。口からも血を垂れ流している。
「あっちゃあ……。ははは、身体を動かすのには、ちょっと自信あったんだけどなあ……」
それは、ちょっとどころではなかった。それはまさに、リサに匹敵するほどの力だったのだから。
ああ、そうだ、この人は――。
スーツの女性は、最期に言う。
「生きて、リサ。みんなを救うの。でもその前に、あなた自身を救うのよ」
ようやく、リサにはわかった。
彼女は、もうひとつの可能性の、わたしだ。
スーツの女性の瞳は、リサと同じ深い緑色。そして、彼女の声は、他ならぬリサの声だったのだ。
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