第九章 イルオール連邦親征(3)わたしは間違えた
角笛が鳴り響く。
イルオール連邦兵士たちは、戦闘をやめ、崖の方へと走っていく。崖にはどうやら坂道のある場所があるようで、兵士たちはそこへ集まって、下りていく。
逃げ遅れたイルオール連邦兵士は、オーリア帝国兵士に殺されていく。
要塞の屋上にオーリア帝国の国旗が立てられ、味方の兵士たちは歓声に沸く。
馬に乗ってやって来た皇帝が宣言する。
「われわれの勝利である! われわれはヴィ・レー・シュト要塞を奪還した!」
ふたたび、雄叫びのような歓声が上がる。みな、武器を持ち上げ、皇帝を称えている。
皇帝はまた、こうも言う。
「一番槍を振るった、勇敢なるわが妻、リサの功績である、みな称えよ!」
違う……。
リサは、兵士たちの尊敬するような眼差しを受け、たじろぎ、後ずさりする。そして、かかとがイルオール連邦兵士の死体に当たって、それ以上下がれないことを知る。
リサ姫! 姫騎士様! 国母様! 勝利の希望! お妃様! 神の思し召しだ! などと口々にリサを称える声がする。
違う、違う、違う、違う! わたしは、わたしは、間違ったんだ!
リサは、顔を真っ青にしながら、歓声を浴びるしかなかった。
++++++++++
ヴィ・レー・シュト要塞を取り戻し、オーリア帝国の戦線はもとの国境線まで回復した。
あれから二日が経った。戦闘らしい戦闘は起こっていない。兵站もここまで伸び、要塞内の施設が使えるため、食事の質は上がった。だというのに、リサの舌は、また味を感じなくなっている。
リサは要塞の屋上に上がり、崖の下のイルオール連邦の領土を眺めた。果てしなく続く荒野。不毛の大地。これでは当然、貧困にあえぎ、肥沃なオーリア帝国の土地を求めるだろう。
イルオール連邦は現在内戦状態にあり、オーリア帝国と戦っているのはもっぱら、国境を接している旧メガン領と呼ばれる土地の兵士だそうだ。
旧なんとか領と呼ばれる領域は六つあり、その六つが元々はイルオール連邦としてまとまっていたらしい。けれども、中央政府の威光がなくなると、たちまち分裂し、六つの地域を六つの軍閥が支配したのだという。
崖の下に見えるのが、旧メガン領西端に位置する前線要塞。現在、旧メガン領軍閥の兵士はそこまで後退している。また、長きにわたる戦争のため、旧メガン領の中心都市は東側、つまり、この荒野のずっと先にあるのだという。
そして、西側の前線要塞と東側の中心都市との間に、魔族の要塞が位置しているという。『黒鳥の檻』の本部も、おそらくそこにあるという噂だった。
だからリサたちは、目前の前線要塞を突破し、その先にある魔族の要塞を落とさなければならない。理屈でいえばそうだ。
だというのに。
リサは気乗りしなかった。
よかれと思って敵陣に突っ込んだ結果、多くの死者を出した。勝ったとはいえ、想定が甘すぎた。
皇帝クシェルメートが屋上へと上がってくる。
警戒心のない笑顔。リサは、この人は本当に、自分のことを気に入ってくれているんだと思った。それゆえに、あとで婚約を
「まずは失地回復。これより、魔族やヴェーラ人との戦い始まる。長い付き合いになる。よろしく頼む」
「こ、こちらこそ……」
リサにはその回答が精一杯だった。そんなリサを見て、皇帝クシェルメートは顎に手を当て、微笑む。
「ふむ……。そなたはそういった動きやすい服も合っているが、もっと飾り立てるのもよさそうだな」
「いえ、からかうのはやめてください」
皇帝クシェルメートは色男のたぐいだ。一方、リサは自分に美貌がないと知っていた――いや、本人はそう思い込んでいた。
強く美しい――その言葉は、姉の逢川ミクラに譲ったものだ。
遠くから轟音がする。リサはそれをなにかのエンジン音の様だと思った。いや、それよりはやや高い音が多い。なんだろう。
「おお、来たか」
皇帝クシェルメートが見上げ、リサがそれに倣う。
上空には、五機の飛行機が飛んでいた。だが、日本人に馴染みのあるF/A-18ホーネットよりも遥かに大きい。あれは空飛ぶ船だ。
「あれは――!」
「案ずるな。味方だ。日本政府経由でヴェーラから買い付けた。
遅れて出発すると言っていたラミザは、こんなものを用意していたのだ。
飛翔艦五機は、オーリア帝国の旗の立つヴィ・レー・シュト要塞の上空を素通りすると、イルオール連邦の前線要塞の上を飛ぶ。そして、無数の爆弾をばら撒く。
その破壊力は尋常ではなく、要塞の壁であろうと直撃すれば貫通するほどだ。あれでは、どこへ逃げようが無駄だ。
飛翔艦群はそのまま飛行を続け、旧メガン領の中央にある魔族の要塞を爆撃し、さらには、その先にある東側の旧メガン領中心都市までもを爆撃している。
「陛下、なにも、民間人のいる領域までも攻撃する必要はないでしょう!?」
リサは隣に立つ皇帝クシェルメートへ掴み掛かる勢いで叫んだ。しかし、彼は難しい顔で答える。
「いや、敵の兵站はあの中心都市まで伸びている。本拠地はさらに奥の旧ネゲン領の正統教会本部だ。そことの兵站線を破壊することが、この戦争における定石的な攻めかただ」
「そんな……。それは、そうかもしれないですけど」
「案を出したのはラミザ参謀官だ。いやはや、わが妹ながら、敵への容赦が微塵も感じられなくて恐ろしい。まあ、許可したのは余だが」
眼下に広がる、爆撃の跡。抵抗さえできずに焼け死んだ敵兵たち。おそらく、中心都市のほうではもっとひどいことになっているだろう。そちらには民間人ばかりがいるのだから。
リサはそこで初めて、自分が何に加担しているのかに気づいた。
姉の逢川ミクラを追って来た? 魔族を追い出すために来た? 『黒鳥の檻』を倒すために来た? ――そんなものでは済まない。
「ああ、あ……。なんてことだ……」
これはそんな、生やさしいものではない。味方以外はすべて、ありとあらゆる命を絶やす行為。
第十代アーケモス大帝を目指す女の、大陸制圧戦だ。
++++++++++
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます