第九章 イルオール連邦親征

第九章 イルオール連邦親征(1)進軍開始

 皇帝クシェルメートによるイルオール連邦親征が開始された。


 延々と無限に続くかに思われる、馬の隊列。そして、歩兵の隊列。


 フィズナーの操る馬の後ろに乗せてもらったリサは、見送りに来てくれた人々、そのなかでもとくにノナに手を振った。


 リサの服装は、これからの戦闘に向けて新調してあった。黒いワンピース様の衣服を刺繍入りの帯で締めている。裾は一見スカートのようだが、その中にはズボンを履いている。靴も底の厚い軍靴になっている。


 そのうえ、砂よけの短めの外套を羽織り、左肩のあたりで結び目をつくって固定している。さらには長く広がる髪をうなじのあたりで括り、オウァバと呼ばれる砂除け帽子をかぶることにした。さらには、帽子から後方へ、日除けの布が垂れている。


 これから向かうのは砂漠と荒野の土地だ。海辺の街で購入した衣服では不自由があるだろうということで、総取っ替えとなった。


 リサの隣には、大剣を担いだベルディグロウもいる。彼もまた騎乗している。ここでは、エリート戦士はみんな馬に乗れるのだなあと、リサは感心する。


 皇帝クシェルメートが自ら馬に乗り先頭集団を率いており、そんな彼が他の武将たちに取り囲まれている。威風堂々。神聖なる使命を脈々と受け継ぐ、皇族の長としての蛮地征伐。……そのように人々に印象づけるのには成功しているようだ。


 ところで、参謀官のラミザは、数日遅れて出発予定だという。他の参謀部員はすでに随伴しているところを見ると、やはり彼女は何か特別なのだろう。



 首都デルンから、前線基地のあるヴィ・レー・シュト地域まではおよそ八日の行程となるという。しかし、途中は整備された街道や都市が多く、学術都市フグティ・ウグフやガーテル公爵領、そしてボロネ自治領などを通過していくらしい。


 馬での長旅は疲れるものだろうが、ときどき下りて休めて、しかも毎日シャワーを浴びてベッドで眠れるというのは、リサにとってはありがたかった。


「ほら、お前も肉食え肉」


 食事のとき、フィズナーはよくそうやって、リサに多めに肉をよそってくれたりした。しかし、リサはきちんと出されたものは食べるし、満腹だ。


「ちゃんと食べてるし、しかもこれ、大人の男基準の量でしょ。毎回多いんだけど……」


「そうは言うが、お前さ、腕も脚も細いんだよ。あれだけ動いてるのに筋肉つかねえの? なんか折れそうでヒヤヒヤするんだよ」


「空冥術が使える限りは、わたしの場合はあんまり筋肉関係ないかも。……そういえば、兵士の人たち、男の人が多いみたいだけど、空冥術に男女差ってなかったよね」


「うんまあ、そうなんだけどな。前線は死ぬやつも多いから、空冥術が使えて戦闘ができる女は、どこかの貴族家の護衛に収まることが多いかもな」


「その貴族家で見初められて奥様になっちゃったり?」


「……そういうのを目当てにしているやつもまあいる。士官学校出でも、すぐ退役して軍を抜けるものも多い。なんというか、戦地は悲惨だし、出世欲が溢れてないと割に合わないところもあるな」


「戦争の戦いと、護衛の戦いは違う?」


「天と地ほど違う。護衛はコソ泥や刺客を無力化すればいい。だが、戦争の場合は基本は皆殺しだ。拷問したり、いたぶったり、簡単に殺さない場合もある。死体をボロボロに辱めて晒す場合もな」


 リサは水を飲む。肉を食べているときに聞くべき話ではなかった。満腹を超えているのもあって、胃のあたりが気持ち悪い。


「最悪だ……」


「そう。戦争は最悪の仕事だ。だが、相手と武力で争っている限りは、それは終わらない。そして、ずっと戦っていると感覚が麻痺してくるのさ」


「麻痺?」


「そう。相手が命ある存在だということを、忘れていくんだ」


「そんな……」


 それは、あまりにも悲惨だ。殺された側も、殺した側も、平和で穏やかな暮らしには戻れない。それが戦争なのだ。


 ……なのだとしたら。


++++++++++


 約八日の行程を経て、皇帝クシェルメートの親征軍はヴィ・レー・シュト地域へと到達した。


 といっても、オーリア帝国軍のヴィ・レー・シュト要塞はすでに押さえられており、屋上には見たことのない旗が立っている。


 リサは『遠見』の能力を使って、要塞の周辺を見る。哨戒に当たっている兵士の肌はみな黒い。イルオール連邦人だ。おそらく、要塞内には無数の兵士がいるのだろう。


 それゆえ、オーリア帝国軍は一時撤退をし、ボロネ自治領に近い街道上で防護柵とやぐらを急造して対応していた。


「では、この地に陣を敷く。やぐらより先への進軍は一時停止とする。後方部隊の到着を待つ」


 皇帝のその指示に沿い、帝国親征軍は護りの部隊を厚くし、野営の設営を行った。防御の部隊が交代で守っている限り、イルオール連邦側から急襲を受けたとしても、対応可能だろう。


 

 リサは兵士たちの間を歩き回る。みな、真剣な眼差しかと思えば、そうではない人もいる。さまざまだ。


 死地に向かうことを覚悟して、表情からすでに感情が消えている者もいれば、冗談や品のない話に興じてことさら平静を保とうとしている者もいる。


 真面目な者たちは、すぐに戦闘になっても動けるように、武器の素振りをしていたり、味方同士で軽く打ち合って感覚を確かめていたりもする。


 リサには信じがたかった。この人たちが、これから大規模な殺し合いをし、大勢が死ぬかもしれないなんて。


 そのあとは、食事の時間となったが、野営は、宿場町や都市で宿泊していたときとはわけが違う。配られたのは干し肉と薄いパンのようなもの。


 たいていのものを美味しく食べられるリサにとっては困ることはなかったが、これが前線かという感慨がこみ上げてくる。


 日は沈み、防御部隊以外は眠りにつく。温暖なオーリア帝国の気候ゆえに、野営で眠っても寒くないのがありがたい。万年冬の日本では、きっとこうはいかないだろう。


++++++++++


 真夜中、天上には少し欠けた月。


 防御部隊は最初、しばらく、気づかなかった。黒い影が防護柵を軽々と跳び越えていったことに。


 そして、ヴィ・レー・シュト要塞のほうから、叫び声や、敵襲を知らせる角笛の音、そして時折、光輝くなにかが確認されるようになった。


 異常事態にざわめく声に、フィズナーやベルディグロウは目を覚ます。そして、敵が占領しているヴィ・レー・シュト要塞で光輝くなにかが見え、どうやら戦闘が起こっているらしいと聞くと、血相を変えて叫んだ。


「リサ! おい、リサ! どこだ!」


 だが、どこを探しても、リサの姿はない。フィズナーとベルディグロウは何が起きたのかを察し、そして武器を手に取る。


「あの莫迦! 旦那、俺が馬を出す。旦那は後ろに乗ってくれ」


「わかった。行くぞ」


 フィズナーとベルディグロウは味方の防御部隊を掻き分け、馬に乗り、ヴィ・レー・シュト要塞へと向けて走り出した。


 よりによって、リサは、夜中に単独で敵に襲撃を掛けたのだ。


++++++++++

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