第八章 たくさんの羽

第八章 たくさんの羽(1)月夜、花園、死闘

 豪華な寝室で眠れないというのは、もう恒例になりつつある。


 ここでも天蓋付きのベッド。そして、要所に金細工を施された調度品たち。そんなものがあっても、なにも入れておくものはないというのに。


 いや、眠れないのは単に、日本にいたときの夜のパトロールの癖だろうか。


 夜間徘徊が癖になっているなんて、人に言ったら病気を疑われるだろうなと、リサは思う。……いや、実際、病気のようなものなのかもしれない。


++++++++++


 リサは屋上に出た。


 衣服は昼間着ている紺色のワンピースではなく、赤い薄地の寝間着だった。普通はこんな格好で出歩かないのだろうが、どうせ深夜だ。誰にも出会わない。


 屋上階は広々とした庭園になっており、草花で敷き詰められていた。ここが建物の上だとは、とても信じがたい。


 月は満ちている。真夜中だというのに、花々がひとつひとつよく見えるようだ。


 オーリア帝国の、こういう部分のセンスは非常によい。工業化以降、美的センスを失ってしまったかのような日本の建築のはちゃめちゃさを知っているとなおさらだ。


 ここには、神社や寺院のような調和がある。


 ああ、できることならここで、月明かりのもと花々と戯れ、透き通った空気に満たされていたい――。



 リサがそんな感慨に浸っていたとき、怪しい人影が目に入った。


 細い人型のシルエット。手足は長く、両手には尖ったもの――剣を持っている。どう見ても危険だ。


 細長いシルエットが喋る。声は男だ。


「お前が新しい皇后候補か。夜だというのに無防備だな」


 リサは反射的に空冥術を使い、左手に光の槍を出現させる。星芒具がないと人と会話もできない異国・アーケモスにいるため、いつも星芒具を装着していたのが幸運だった。


「お前は誰だ!」


「俺は四大魔侯爵のひとり、ギッテワナ。お前たちが恐れる魔族の最強の一角というわけよ」


「それがこんな夜中に、何をしに来た」


「何って。俺たちはイルオール連邦で武器商人をやってるんだぜ。邪魔されちゃあ困る」


「じゃあ、お前が元凶のひとり……!」


「だから、新しい皇后をここでズタズタに引き裂いてみろ。そうしたら面白いじゃねえか」


「なんて下種な」


「おっと待ってくれ。お前はよ、旧い女神の二重存在だってな。聞いてたぜ。そうなりゃ話は別だ。魔族の古真こしん正教せいきょうは旧いディンスロヴァの神を奉じる。……お前は役に立つ。俺について来い」


 だが、リサは光の槍を回転させ、臨戦態勢になる。


「お断りだ! 魔族だからじゃない。お前みたいなやつと組むのはゴメンだ!」


「言わせておけば!」


 ギッテワナがリサに襲いかかる。長い手足を使い、遠目の間合いから攻撃を挿し込んでくる。


 しかし、リサは光の槍を回転させ、相手の攻撃を捌いていく。リサは戦いの最初のうちは、無意識に相手の戦闘スタイルを見極めている。無闇に攻め込もうとしない。


 だが、このことに気づかない者は、リサの戦闘力を見誤る。彼女の実力がまだ発揮されていないのではなく、彼女の実力をこの程度だと過小評価する。


 空には満月。一合、一合、武器を打ち合わせるごとに、花びらが舞う。


 ヒャア、という高い声とともに繰り出された攻撃が、リサの肩や腕に切り傷を付ける。リサは攻撃は全部防いだものと思っていたが、ギッテワナにはこういう器用な芸当があるのだと学ぶ。


 リサはすでに、ギッテワナの攻撃パターンを予測できるようになりつつあった。『遠見』、そして『未来視』。頭上に満月が輝く限り、リサの空冥力は無尽蔵だ。


 しかし、愚かなギッテワナは、リサが一向に攻め込んでこないのを見て、自分が優位だと勘違いしてしまっている。


「なんだあ? 旧い女神の二重存在といっても、人間の身ではこんなものか。……まあいい、こいつを持ち帰るだけで、古真正教の信仰が再建できるのなら……!」


 しかし、ここからリサの猛攻が始まる。


 ギッテワナがどれだけ攻撃を繰り出しても、強くはじき返されるか、捌かれる。これではまるで、魔族たるギッテワナが人間に踊らされているようだ。


 事実、攻撃をしても防御をしても揺さぶりを掛けられていて、まっすぐ立っていられる気さえしない。


 なんだこいつは……ッ!


 ギッテワナは突然、恐怖に支配された。目の前の人間に、神性が宿っているようにさえ見える。


 光り輝く神の槍。光り輝く緑の目。


 何合打ち合っても、ギッテワナはバランスを崩され、転びそうになる。そして気づく。まだ殺されていないのは、相手が手加減をしているからだと。


 恐怖を自覚したギッテワナは、魔族の誇りをかなぐり捨て、皇城の屋上庭園から飛び降りた。


 それを見逃すリサではない。彼女は空冥術で身体強化し、同様に屋上から飛び降りる。さすがに魔族ほど身体が丈夫ではないので、屋根を伝い、落下距離は短くしながらだ。


 だが、スピードでは負けていない。死にたくない一心で無茶な軌道を取るギッテワナを、負けず劣らずの異常な軌道で追いかける。


 ギッテワナは自問する。? 魔族の――最強の四大魔侯爵のひとりであるこの俺が、いったい、何に追われているんだ……ッ!?


 屋根を駆け下り、城壁の上を駆け抜け、城の裏から首都デルンからさえ出ようとするギッテワナ。それを追いかけるリサ。


 だが、草原の丘に到達したとき、いまだに追いすがるリサの気配が消えないと知ったとき、身を隠す場所さえないと知ったとき、ギッテワナは絶望とともに振り返る。


「ならぁ! 貴様と差し違えても!」


 ギッテワナは両手の剣を振りかぶる。


 リサはそれをくぐるように上体を下げ、光の槍を回転させ――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る