第七章 婚約(3)強い違和感
「では、宴の準備だ。式は出陣前に執り行う」
皇帝は随分気が早い。リサからしてみれば、交渉はまだ続いている。もう勝った気でいられるのは困るのだ。
「クシェルメート陛下。式は待ってください。わたしは、まだ条件を言い終えていません」
「なんだ、まだあるのか。なんでも叶える」
「わたしたちの目的が果たされるかどうか、わたしたちに充分な裁量が与えられるか、それらを見てから判断します。結婚を決めるのはわたしです、陛下」
リサのこの言い分には、皇帝クシェルメートの部下である武将たちから怒りの声が上がる。この無礼者! というわけだ。
「やめよ。無礼はこちらだ。それが神の思し召しであれば、試練を受けるのはこちらのほう。喜んで、その条件をお受けしよう」
皇帝クシェルメートは苦笑しつつも、リサの言い分を受け入れた。意外と紳士なのか、信仰心に篤いのか、そのどちらなのかはまだ判別できない。
リサはほっとする。これでひとまずは、要望通りになりそうだ。その後の婚姻については、仕方がない。状況次第だ。
「これで妥結ですね、クシェルメート陛下。それでは、道々よろしくお願いいたします」
「畏まった。それでは、手が空いていて、リサ殿が信頼できる者として……。フィズナー・ベルキアル・オン卿」
突然、皇帝に呼ばれたフィズナーだったが、震えるノナに小声で「大丈夫だ」と言ってから、一歩前に出る。
「はっ、なんでしょうか」
「特赦である。貴殿を将来の国母たる、このリサ・アイカワ殿の近衛騎士隊長に任ずる。くれぐれも、このお方に怪我などさせぬよう」
「……畏まりました。尽力いたします」
フィズナーは頭を下げ、その任務を引き受けたが、拳は強く握りしめられ震えている。
そのわけは、リサにもわかった。フィズナーはもともと、ラルディリース公爵令嬢、つまり、リサの前の皇后候補の警固騎士隊隊長だった男だ。皇帝は彼女との婚約を破棄しておきながら、新たな婚約者の護衛をするよう申しつけたのだ。
これが嫌がらせなのか、適切な人選を行った結果なのか、まだ判断はつかない。皇帝クシェルメートという男は、つかみ所がない。
モヤモヤするが、ともかくもこれで、話はまとまったはずだ。
できることなら、イルオール連邦での目的が果たせたら、婚約をなかったことにできないかななどと、リサは思う。
あまりのことで倒れてしまったエドセナを見ると、なおさらそう思う。早く彼女に代わってあげたい。
この事態に複雑な思いを持っているのは、リサたちだけではなかったらしい。皇帝クシェルメートの部下にもいたのだ。
ラミザ参謀官だ。
「陛下!」
ラミザは玉座の間に響き渡るような声で、皇帝クシェルメートに呼びかけた。その目は明確に怒りを称えている。
あろうことか、ラミザは自らの上司――いや、天子たる皇帝に対して睨み付けている。
「参謀官」
「……お時間です。これ以上おふざけをなさるようでしたら、次の予定に響きます」
「なに、次の予定はラミザ参謀官のみで大丈夫であろう」
「いいえ、陛下がいらっしゃらなければ、わたし、なにをするかわかりませんので」
なんという怒りの表現だろう。いくらラミザが優秀な参謀だからといって、ここまでの
だが、皇帝クシェルメートは振り返り、リサたち四人に言う。
「それでは、リサ殿とその騎士たちよ。余の進軍の日まで、皇城に滞在なされるがよかろう。手配は追って、使用人たちにさせる。では」
クシェルメートはそう言いながら、玉座の奥の扉から部屋を出て行く。武将たちも参謀たちも、そのあとに続く。
ただ、ラミザだけが、一度、リサのほうを見た。
先ほどまでの激しい怒りは緩和されているのか、少し落ち着きを取り戻した表情をしている。
「あとでね」
ラミザはそう言い残して玉座の間を去り、扉を閉めていった。つまり、皇帝クシェルメートは、リサを皇城に滞在させることで、ラミザの機嫌を買ったというわけだ。
皇帝とその家臣にしては、いやに歪な関係性だ。
大災害のような謁見を終えて、フィズナーとベルディグロウ、そしてノナがリサのもとへとやって来る。
フィズナーは怒りと呆れを込めて話す。
「なんて無茶を。イルオール連邦に行けるかどうかは交渉だったが、なにもお前の将来を切り売りすることもないだろう」
ベルディグロウも同意する。
「私は信仰に篤い。リサが『旧き女神の二重存在』というならそうなのだろう。敬い、奉る。だが、私はいまのリサ、人間としてのリサの幸せも願っている」
心配してくれるふたりの言葉が、リサには心地よい。
「ありがとう、ふたりとも。ノナも、怖いなか、付き合ってくれてありがとう。婚約なんてどうなるかわからないよ。あの人がいい人かどうかは、これから私が見極めるだけ。普通だよ」
「……それならいいんだがな」
それから、皇城にはリサ、フィズナー、ベルディグロウが寝泊まりすることになった。ノナはさすがに、家が近いからと帰ることになった。そもそも、彼女はイルオール連邦親征には随伴しないのだから。
皇城の夜は更けていく。
豪勢な食事が供されたが、リサには味がわからなかった。そこではじめて、彼女は、自分のなかに何か強い違和感が生じていることに気づくのだった。
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