第七章 婚約

第七章 婚約(1)皇城の花園

 神域聖帝教会でのテストが終わってから一週間が経ち、ようやくリサたちはオーリア帝国の皇城へと上がることが許された。


 皇城はまるで、花の楽園だった。この街には皇城よりも高い建物はない。それゆえ、階を上って行くごとに、まるで青空へと近づいていくようだ。


 そして、階段にも、廊下にも、至るところに飾られた花々。床は確かに大理石なのに、まるで花畑の中を歩いているように錯覚する。


「こちらです」


 案内人の兵士にそう言われて、リサははっとした。楽園の印象にトリップしている場合ではない。どんなに美しい宮殿であっても、ここは生やさしい場所ではないのだ。


 相手はこのオーリア帝国を統べる皇帝。そんな強大な存在と向き合って、交渉しなければならない。

 

 リサは、左右にフィズナーとベルディグロウが、そして少し遅れてノナがついて来ていることを確認する。仲間がいるから、心強く感じる。


「はい」


 リサは案内人の兵士に答え、一歩を踏み出す。


++++++++++


 誰もいない玉座の前に、リサたちは跪かされ、かつ、両手も地面に付けさせられた。そして、頭を下げておくようにと言われる。


 これは皇帝と直接謁見する四人全員がこの状態だ。


 謁見の間には、エドセナをはじめとしたファーリアンダ公爵家の人々、そして大神官エルブとその部下の神官たちも来ている。彼らは立っているが、場の中心からは離れて壁際に寄っており、玉座をできるだけ直視しないようにしている。


 この国において、皇帝は唯一神ディンスロヴァの神託を受けた特別な存在だ。つまり、神にも等しい。よって、神に対するのと同様の敬意の表明が必要となるわけだ。


 リサは床しか見えないので、足音で状況を判断しようとする。


 玉座の奥から、足音が聞こえる。ひとり分、いやそれ以上。何人もの足音が揃って近づいてくる。


「面を上げよ」


 男の声がして、床についている両手を離し、顔を上げる。玉座が金糸のすだれの向こうにあるためはっきりとは見えないが、皇帝は若い男だった。


 箱形の帽子をかぶり、そこから幾重にも飾り紐が下がっている。長髪に、それなりに鍛えられた逆三角形の身体。着物のように身体に巻く様式の服に、長い帯、上からローブのようなものを着ている。いずれも金の刺繍がされていて、支配者としての威風をこれでもかと見せつけてくる。


 皇帝は椅子にどっしりと腰掛ける。


 玉座のすだれの外には、彼に随伴してきた部下が五名。

 

 リサから見て右手に並んだのは、長身の男がふたり。いずれも軍装を着ており、帯剣しているところを見ると、武将なのだろう。


 そして、左手側に立っているのは、軍装の上から外套を着た知的な集団。三人いたが、男がふたりに女がひとり。


 そしてその女は、ラミザだった。彼女と話すことができれば、リサの目的のひとつは果たされる。だが、ここから歩いて彼女に話し掛けに行くわけにはいかない。


 皇帝は言う。


「余に話があるということだな。申してみよ」


 それだけで、ノナが縮み上がってしまったのを、リサは肌で感じ取った。日本人でも緊張する局面だ。オーリア人がオーリア帝国の君主と話すとなると、どれほどのプレッシャーだろうか。


 ここで、一番に答えたのはフィズナーだった。


「陛下にお願いに上がりました。近く、イルオール連邦へのご親征があるとのこと。ぜひ、それに参加させていただきたく」


「ほう、余のイルオール征伐にとな」


「はい。われわれは『黒鳥の檻』や魔族を追っています。やつらを討つため、随伴のご許可と、少しばかりの裁量を賜りたいのです」


「ふむ。その件は、ファーリアンダ侯爵家からも口添えがあった。だが、フィズナー・ベルキアル・オンよ。貴様は軍規を軽視し、ジル・デュール公爵領警固騎士隊長以降の仕事は投げだし、単独、日本に行っていたのではないか?」


「それは……」


「そのような者どもに、余のイルオール連邦征伐への随伴は許さぬ。よって却下だ」


 厳しい交渉になるとは思っていた。だが、まさかここまでバッサリやられてしまうとは。リサはちらりとエドセナのほうを見る。エドセナは申し訳なさそうに、黙って頭を下げている。


 しかし、これでは何もなしえない。リサは考える。『黒鳥の檻』を倒すことも、姉のミクラを追うことも、イルオール連邦に行くことが必要条件だ。なんとかならないだろうか。



「それより、余は女神レムヴェリアの巫女とやらと話がしたい。リサとやら、立つがよい」


 急に名前を呼ばれて、リサは内心驚いたが、できるだけ動揺を悟られぬよう、落ち着いて立つ。


「一歩前へ」


 言われるままに、歩みを一歩だけ進める。すると、皇帝もまた立ち上がり、すだれを抜けて姿を現したのだった。


 どうやら、通常はすだれから出て来ない存在らしい。リサは、自分以外の人々から動揺の色を感じ取る。……いや、ひとりだけ動揺していない人物がいる。


 ラミザ参謀官だ。


 皇帝はリサの前に立つ。


「リサ・アイカワよ。報告は大神官エルブやラミザ参謀官から聞いている。極めて強力な空冥術士にして、レムヴェリア女神の巫女ということらしいな」


 リサは、なんと答えたものかと思案する。


「……いえ、それは誇張もあると思います。わたしは、そこそこの空冥術士です。それに、旧い女神の巫女かどうかは、自覚はありません」


「で、あろうな。それでは、余と手合わせ願いたい」


 突然、腰の剣をするりと抜く皇帝。瞬間的に、半歩下がって間合いをとるリサ。


 当然、この玉座にいる者のほとんどすべてが動揺する。ラミザを除いては。彼女だけは、これを楽しそうに見ている。


「いったい何を……!」


「余は、そなたが旧い女神の巫女という判断について、どうしても違和感を覚えるのだ。他の者たちよ、下がるがよい」


 皇帝がそう言うが、フィズナーもベルディグロウも立ち上がり、リサの前に立ちはだかる。皇帝の命令に逆らってまで、リサを守ろうというのだ。


 だが、リサは右手でベルディグロウの肩を、左手でフィズナーの肩を叩き、彼らに部屋の端に下がるように言う。


「大丈夫。きっと何か考えがあってのことだと思う」


 神妙な顔つきをしていたが、フィズナーがうなずき、震えるノナを連れて壁のほうへと下がる。ベルディグロウも同じくだ。


 こうして、玉座の間の中央には、向かい合う皇帝とリサだけになった。


 リサは左手に光の槍を出現させ、構える。


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