第六章 神域聖帝教会(3)自ら罰し続ける男
教会から出ると、リサは途端に息が楽になった気がした。あの教会はなんだか空気が悪い。それは神のせいではなく、人の欲のせいなのだろうと、リサは思う。
「それで、リサ、きょうはどこへ行きたいんだ?」
ベルディグロウがそう訊いてきた。リサは、そうか、わたしは選択肢をふたつ出していたっけと思い出す。ノナの家か、エドセナの別邸か。
「ノナの家かな。ご厄介になっちゃうけど、一番落ち着けると思う。フィズもそこに残して来ちゃったもんね」
「了解した」
そう言って、ベルディグロウが歩き出す。皇城や教会から離れる方向へだ。そちらのほうに、ノナの両親の家がある。
だが、途中で、ベルディグロウは歩みを止める。家々の隙間から、何かが見えたようだ。
「すまないが、リサ。少し立ち寄ってもいいだろうか」
「いいけど?」
どこへ? と訊きたいところだったが、すぐにわかった。道を折れた先に、修道院があったのだ。
そして、修道院の前には、道を掃き清めている女性がいた。年の頃は三十過ぎに見える。
「マーヌ」
ベルディグロウが声を掛けると、修道女――マーヌが彼に気づく。
「兄さん」
「妹さん?」
リサが問うと、ベルディグロウはうなずく。
「ああ。そうだ。私たちは血は繋がっていないが、同時に孤児院に入った仲でな。彼女も私も、孤児院長のエジェルミド姓をいただいている」
孤児院。リサは知らなかったので、驚いた。ベルディグロウが孤児院の出身だったなんて。
「兄さん、このかたは?」
「ああ、日本で知り合った空冥術士で……。そうだな。神域聖帝教会に寄っていただいていた」
「はじめまして。逢川――ちがった。リサ・アイカワです」
リサは軽く頭を下げる。そうすると、マーヌは深々とお辞儀をする。
「こちらこそはじめまして、マーヌ・エジェルミドです。兄がお世話になっております」
「いえいえ、とんでもないです。……というか、ご兄妹揃って聖職者なんですね。やっぱり、似るものなんでしょうかね」
リサはそうして話題を振ってみたが、これがよくなかったらしい。なんだか、重苦しい雰囲気になる。
マーヌが口を開く。
「兄さんは、神学校でも一番の成績優秀で、シムォル教区を束ねる神官だったこともあるんですよ。孤児院時代に神のお導きを得たと話してくれて、そこからまっすぐに勉強をして――」
「よしてくれ、昔の話だ」
だが、ベルディグロウの制止に反して、マーヌは話し続ける。どうしても、この話をリサの耳に入れたいかのように。
「でも、神学校時代に二番手だったエルブ様はよくは思ってらっしゃらなかった。あのかたは貴族出身で、こちらは孤児院出身で……。政治的に、兄さんを神官騎士の立場に変えてしまったのも、エルブ様の――」
「マーヌ、それは私が選んだ道だ。神官騎士となれば、魔獣や悪魔憑きから多くの人を救える。さいわい、私は空冥術が使いこなせた。だから……、それが私の判断だ」
「でも、それしか選べない状況をつくったのは、あのかたじゃないですか。それが元で、顔も身体も傷だらけで……」
「やめよう、マーヌ。すべて終わったことなんだ」
ベルディグロウはマーヌの両肩を掴み、彼女を落ち着けようとした。しかし、彼女は目に涙を溜めて抗議する。
「いいえ、終わっていない。終わっているのなら、自分を罰するように、無茶な仕事をするのはやめてください。今回も、無理難題を大神官になったエルブ様から押しつけられたと聞きました。どうして、断らないのです?」
「それは、私にはもう、幸福になる資格などなく……。ただ神に仕えることが安寧をもたらしてくれるからだ」
「……兄さん。それは『終わった』とは言いませんよ。たしかに、わたしの婚約者は兄さんの部隊で亡くなりました。でも、それもずっと前に終わったことなんですよ、兄さん」
「だが、お前を、未婚の寡婦にしてしまった罪は一生消えないんだ。だから私は……」
ようやく、リサには状況が読めてきた。ベルディグロウの行き過ぎなまでの献身性。誇りや自我とは無縁の仕事ぶり。それらがようやくつながった。
ベルディグロウは、おのれの自由な魂を、おのれ自身で牢獄に幽閉しているのだ。長い間、ずっと。
神の名の下に。
たまりかねて、マーヌはベルディグロウの胸で泣く。
「兄さん、あなたがわたしの幸せを願ってくれるように、わたしもあなたの幸せを願っているんです。だから、汚れ仕事ばっかり請け負うのはもう、やめてください。じゃないと、わたし……」
ベルディグロウはマーヌの頭を撫でる。
「ああ、ありがとう、マーヌ。その心配は要らない。ついに、神域聖帝教会が探していたかたを見つけられたんだ。一番遠くを探した私が見つけられたんだ。……これまでの苦労は、無駄ではなかったんだよ」
マーヌは顔を上げ、きょとんとする。ベルディグロウは無言で、リサを示す。リサはなんだか恥ずかしくなって、ごわごわの頭を掻く。
マーヌはそんなリサを見て、微笑む。涙をこぼしながら。
「そう、そうだったんですね。よかった、兄さん……」
長い苦しみがあったのだろう。深い悲しみがあったのだろう。
リサは、いまはそっと、この兄妹のそばに、何も言わず寄り添っていようと思うのだった。
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