第六章 神域聖帝教会(2)彼女が彼女であるゆえに
教会の二階には来賓のための部屋があり、リサはそこに宿泊することになった。なんでも、リサの力については夜通し神官たちで調べ、翌朝結果を伝えたいからだということだ。
広い部屋。天蓋付きのベッド。個室についているバスタブ。これはいままでで最強の組み合わせかもしれない。リサはそう思った。こういうとき、「何畳あるんだろう」と考えてしまうのは、日本人の癖だ。
「では、ごゆるりと」
案内してくれた使用人にそう言われると、リサはお礼に頭を下げる。
ドアが閉められ、部屋が静けさに取り残される。
こうなるとやることはひとつだ。
リサはベッドのほうへ駆け、跳び込む。そして跳ねる。我ながらいい跳ねっぷりだと満足してから、落ち着きを取り戻した布団に頭を埋める。
しかし、なんとなく気持ちが急いていて、眠れない。
ガバッと起き上がると、リサは窓の外が気になった。窓に近づいて外を見てみると、街には街灯以外の明かりがほとんどなく、夜空の星が美しかった。
満月まであと少しといったところだ。
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相変わらず、夜の散歩が癖になってしまったのか、リサは寝室を出て、廊下を歩き回る。
見覚えのないドアがあり、それが少し開いていたので、中を覗く。それは例の祭事用のホールの二階を取り巻く通路への入口だった。
一度、上からホールを見てみるのもいいかと思ったが、どうやら一階で口論が発生しているらしい。リサは身を屈め、音を立てないようにしながら、二階通路から一階ホールを観察する。
そこでは、大神官エルブがベルディグロウを罵倒しているところだった。
大神官が立って怒鳴りながら歩き回り、ベルディグロウはただ両膝をついて話を聞き、答えている。
「今回ばかりはうまくやったな、ベルディグロウ。無能の貴様にしては、よくぞまあこの短期間でといったところだ。しかも、このディンスロヴァの神の奉じられていない土地でとは」
「……大神官様のご命令であればこそです」
「貴様、わかっているだろう。あんな
「……大神官様のご命令であればこそです」
「だから、その命令が――。まあいいわ、貴様は、神学校時代から、いつもこの様子だな」
「すべてを神に捧げた身でありますので」
「神に捧げただと? こんな薄汚れた魂、いくら捧げたところで神が喜びなどしない」
「神に仕えるのは、わが心の喜びでありますので」
「ふん、言っていろ。いつもそうだ。気に入らぬわ」
大神官エルブはそう言い捨て、ホールを出て行く。ベルディグロウは律儀にも、大神官がドアを閉めてから、立ち上がる。
また気分の悪いものを見てしまったと、リサは思う。彼女はコソコソと、音を立てずに寝室に戻ることにした。
それにしても、気になることができた。ベルディグロウと大神官エルブは、神学校時代は同じところにいたようなのだ。
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翌朝になって朝食をいただき、身なりを整えて、ホールへ行くと、昨夜の口論――もとい、一方的な罵倒とは打って変わって、ベルディグロウも、大神官エルブも、神妙な雰囲気になっている。
リサはなにごとかと思いながらも、引き下がることはしないでいようと思った。彼女はホールの中心に立ち、壇上の大神官を見やる。
「昨晩、本教会で調査に当たったところ、リサ殿は現ディンスロヴァの巫女ではないことが判明した」
違った……? リサは愕然とする。自分が何かすごい存在であることを期待していなかったといえば嘘になるが、それなら昨日いただいたごちそうの分を返金しなければ、という居心地の悪さを感じる。
しかし、大神官エルブは壇上から降り、それどころか、リサの前で両膝を折った。これは神聖なるものに祈るときのポーズだ。いったい、なにがなんだかわからない。
「あの……」
「皇室が密かに奉じる、ヴェイルーガ神。その妻、レムヴェリア女神の巫女であることが判明したのです」
リサは混乱する。新出単語がどんどん出てくるためだ。
「え、あの? ヴェイルーガ? ディンスロヴァではなく?」
「あまり知られてはいませんが、ディンスロヴァの神は代替わりをするのです。ヴェイルーガ神は、何代も前のディンスロヴァです」
ディンスロヴァは代替わりをする。それはかつて、日本で聞いたことがある。イルオール連邦の正統教会の元神官を名乗っていた、ヴォコスから聞いたことだ。意図せずして、裏が取れた格好になった。
「では、昔の神様の……関係者ということですか?」
「ヴェイルーガ神は神話上最も強力なディンスロヴァであったと言われています。ああ、ディンスロヴァという言葉が『われのほかに絶対者なし』という言葉であることはご存知ですね? つまり、表向き、代替わりは秘匿されているのです」
「そんなことを、わたしに話していいんでしょうか……?」
「リサ殿が、ヴェイルーガ=ディンスロヴァの妻、レムヴェリア女神の巫女であるという事実が明らかになった以上、お伝えせねばなりません。そして、皇室は密かに、ヴェイルーガ=ディンスロヴァを奉じており、神域聖帝教会もそれをご支援しているのですから」
なんだか、大変なことになってきた。それだけは、リサにもわかった。あろうことか、皇室が秘密裏に崇めている旧い神とドンピシャに関係があるわけなのだから。
「へ、へえ、そうなんですか。ちょっと実感ないです」
「それでも、これは事実なのです。ぜひ、皇帝陛下にお会い頂かなければなりません」
そこへ、ベルディグロウが情報を入れる。
「大神官様、実は、ファーリアンダ侯爵家のほうから皇帝ご親征に関し、お目通り頂けるようご手配を頂いている最中なのです。そこにこの件も合わせるほうが早いかと」
「ふん、それがよかろう。教会のほうでも、ファーリアンダの件と同時に、と伝えるよう手配をしておく。あちらの優先順も上がって好都合であろう」
「感謝申し上げます、
ベルディグロウは恭しく頭を下げる。しかし、その度に、大神官エルブは嫌そうな顔をする。
大神官エルブはリサのほうに向き直り、彼女に提案する。
「では、リサ殿。皇帝陛下とお会いになるまでは、当教会でお過ごし頂ければと……」
しかし、リサはこの雰囲気がどうにも気に入らなかった。大神官エルブの態度の変わりやすさや、ベルディグロウへの執拗な当たりを見ているのは、これ以上は望まない。
「すみません、わたしは、ここは合わないようです。市街地のノナのところ――ジルバ家にご厄介になっています。ああ、もしかしたら、ファーリアンダ家にお世話になっているかも」
「しかし――」
「すみません、わがままですが、これがわたしの望みですから」
旧い女神の巫女にそう言われては、大神官といえども引き下がるしかない。困り果てた彼に対して、ベルディグロウが助け船を出す。
「大神官様、その間、この私がリサをお守りしますので、ご安心を」
「なんだと!?」
「グロウがいてくれると、わたしも助かります」
「ぐぬ……」
もはや大神官エルブは反論できない。こうなってはリサの身柄をベルディグロウに預けるほか、選択肢がないのだ。
「わかりました。……ベルディグロウ、必ずやリサ殿をお守りするのだぞ。その方は、旧き女神の巫女――」
つばが飛ぶほどまくし立てる大神官だったが、ベルディグロウのほうは落ち着いた口調で、ゆっくりと頭を下げるのだった。
「ご安心を。私はリサが何者であるかに関わらず、彼女が彼女であるゆえに守ります」
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