第五章 姉の足跡(3)無謀なバックパッカー

 リサとフィズナーが座る前に、背の低い老人が名刺を渡してくる。


「お世話になります。現法社長の犬飼と申します」


 その様子を見て、真田も、おっとそうだ、と言いながらジャケットの内ポケットを探り、名刺入れを取り出す。


「こちら、名刺です」


「どうも。わたしたちは名刺を持ち合わせていないので、失礼します」


「いえいえ」


 妙なやりとりだ。日本には「郷に入っては……」ということわざもあるだろうに、どうもこの手の人たちは日本の商習慣から抜けない感じがある。


 手で促され、リサとフィズナーは上座に座る。下座には、奥から、犬飼現法社長、真田課長、ノナの順に座る。このあたりも、厳然たる上下関係の表れだ。


 リサは心底、日本に残って就職しなくてよかった、と思った。……いや、しかし、ずっとアーケモスにいるのだろうか? 未来はわからない。いつか日本に戻って就職するとすれば、こういった面倒な儀式を毎日やるはめになるのだ。


 覚悟しておかなければならない。


 相手は日本人なので、自分が話したほうがいいと思い、リサが口を開く。


「お時間いただきありがとうございます。いまは旅の途中で、皇帝への謁見を待っているところです。数ヶ月前までは軍人でしたが、いまはお暇をいただいていて、こちらの軍や教会との交流に来ています」


 嘘ではないはずだ。リサたちはラミザを追って来た。『黒鳥の檻』を追って来た。神域聖帝教会を訪れるために来た。これらを丸めて表現すれば、前述のようになるはずだ。


 犬飼がゆっくりとした言葉遣いで返す。


「それはまた。お若いのに立派ですな。では、軍務半分、観光半分といったところでしょうか」


「まあ、観光ですね。いまのところは。皇城に行かなければ、何も始まりませんし」


「またその歳で、えらい重責を負っているようですな。そもそも、日本の女の子がここまで来るのは非常に珍しいことだもので」


「いえ……。まあこれも仕事ですので」


 なんと答えたらいいのやら。リサは一応頑張ってはみているものの、日本のサラリーマンおじさんのコンセンサスというものがまだよくわからない。わからない限りは、ある程度吹かして、偉そうに見せておいたほうが得策のようだ。


 リサ自身は、軍籍を抜けたつもりでいる。妙見中佐がそれを許したかどうかまでは聞いていない。だが、ここではまだ軍人であると仄めかしておいたほうがいいだろう。


 そこで、真田が犬飼に話しかける。


「そういえば、以前、日本人を名乗る女が単独で来ませんでしたっけ?」


「ああ、そういえば」


「たしか、その女も、逢川と名乗っていたような……」


 真田の言葉を聞いて、リサは思わず前のめりになる。


「あのっ! もしかして、逢川ミクラと名乗っていませんでしたか? どれくらい前のことですか?」


 リサのあまりの勢いに、真田が気圧される。


「半年……いや、一年くらい前のことだったかな。名前は……、いや、苗字しか記憶していない。怪しかったので、すぐに追い返したからな。髪は赤っぽい茶色で、長かったかな。それくらいしかわからん」


 なんということだろう。間違いなく姉だ。彼女のことだから、日本語の看板を見つけて無邪気に訪問したのだろう。だからといって、ひとりで異国にやって来た日本人の女の子を追い返して終わるこの人たちは、いったい何なのだろう。


「……そうですか。やっぱり来てたんだ」


「知り合い? もしかして軍人だったのか? だったら言ってくれればよかったのに」


「いいえ、それは姉だと思います。でも、彼女は軍人ではないです。ただの無謀な、バックパッカーです」


 そのあたりで、犬飼が話し出す。


「その子は、噂では、何日かこの首都デルンに滞在したあと、東へ向かったらしい。おそらく、砂漠の国、イルオール連邦なのではないかと」


 姉・逢川ミクラはイルオール連邦へと向かった。そうだとすると、リサ本人にも、オーリア帝国皇帝のイルオール連邦親征に参加する理由ができたことになる。


「フィズ、どうしてもイルオール連邦に行かなきゃね」


 リサは小声で、隣のフィズナーに話した。彼は頷く。


「ああ。どうもあの地にいろんなものが集まって行くみたいだ」



 ひとしきりの話が終わると、リサたちは再びノナの家に帰ることになった。一応、午後五時が定時だということで、現地採用の人間は帰る時間だ。なぜか、日本人はひとりも帰ろうとしないのが謎だったが。


 リサ、ノナ、フィズナーの三人は、秋津洲物産現地法人の建物の前で、見送りに出てきた犬飼、真田のふたりに手を振る。


 真田はリサに言う。


「なあ、星芒具が使えるんだろう? じゃあ、現地民とのコミュニケーションは問題ないよな?」


「え? まあ、そうですけど」


「じゃあ、なんかあったらうちの現法に来たらいい。現地人価格で雇えるから」


 真田が何を言っているのか、リサにはわからない。


「え? どういうことですか? 現地人価格って?」


「日本人駐在員の半額ってこと!」


 それから、真田はガハハと笑う。……なにが面白いのだろうか。あろうことか、この現地法人は、帝立主計学院を首席で卒業したノナを買い叩いているというわけだ。


 最後まで日本人の悪癖を見せられた気分だ。リサは適当にお辞儀をして、ノナの肩を押し、さっさと帰ることにした。


++++++++++


 非常に残念な気持ちになりながらノナの家に帰り着くと、入口の前にはベルディグロウが立っていた。


「ああ、来たか」


 その様子からして、ベルディグロウはリサたちを待っていたようだ。彼はいつからそこに立っていたのだろう。


「グロウ」


「リサ、大神官エルブの面会の予定が取れた。神域聖帝教会で夕食を一緒にとりつつ話をすることになった。すまないが、リサだけということだ」


 フィズナーは了承する。


「まあ、そうなるだろうな。教会は秘密が多い」


「じゃあ、フィズナーさんはきょうもうちに泊まって頂きますから、リサさんはベルディグロウさんと教会本部へ行かれるといいと思います」


 ノナがそう提案して、フィズナーは少しほっとしたようだ。彼の実家はこの街にあるが、どうもまだ帰りたくないようだ。


「わかった、ありがとう。じゃあ、行こう、グロウ」


「ああ」


 そうして、リサとグロウは神域聖帝教会へ向かって歩く。町並みの向こうにひときわ威容を放って見える建物がふたつ。ひとつは当然、皇城だったが、もうひとつが神域聖帝教会本部だ。


 これから、リサはそこで試されるのだ。真に選ばれしものかどうかを。

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