第五章 姉の足跡(2)アーケモス学歴事情
ノナ父は、こんどはリサに狙いを定めて話しかけてくる。
「リサ・アイカワさん。お名前とご活躍は、娘からの手紙で拝見しておりました。なんでも日本で一番強い空冥術士ということではないですか。しかも、伝説の古代魔獣をふたつも倒したとか」
褒めちぎられると照れくさい。リサはこんもりした髪の頭を掻く。
「あー。そうは言いますけど、あれはみんなで協力した結果です。わたしひとりではどうだったか――」
「それに、日本人はみな頭がいいと言いますし。ねえ? 暗算も速いし、発電所も作れるし、自動車も作れる。そしてみな勤勉だ。素晴らしいじゃないですか」
「いろいろ誤解があるような……。少なくとも、わたしはそこまで勤勉なほうではないですよ」
「またご謙遜を。娘が日本の写真というのを送ってくれましたが、本当にすごい大都市です。あんなものを作れるなんて日本人はすごいです」
「日本の建設業はすごいかもしれないですけど、わたしは、ただ高校を出ただけですので……。わたしが建てられるわけではないので……」
「いえいえ、そんななかで、うちの娘が日本の会社に就職できたのは、わが家の誇りです。そんな素晴らしい国からお客様をお迎えできるとは――」
このままでは、身に憶えのないことで褒めちぎられ続けてしまう。そう思ったリサは、話の流れがノナのほうへ向いたのをいいことに、そちらに水を向ける。
「そう仰いますが、ノナもすごいじゃないですか。帝立主計学院卒と聞きました。これって、普通の人には通えない上級学校というものではないんですか?」
それを聞くと、ノナ父は表情からうれしさを滲ませる。
「ええ、うちの娘は数字に強いほうでして。普通学校でその才覚を見いだされて、進学を勧められたんです。それで、親戚じゅうで応援して合格しましてね。首席合格、首席卒業ですよ。鼻が高いことです」
なんということだろう。ノナはこちらの国ではエリートだった。主計、つまり会計や財務まわりではトップの実力があるということだ。しかも、国のつくった学校のお墨付きまである。
急に褒められて恥ずかしい思いをしたらしい、ノナがひと言挟む。
「ちょっとお父さん。すごいみたいに聞こえるから、それはなし」
だが、ノナ父は娘の小言を気に掛けない。
「実際、上級学校出とそれ以外では人生に大きな差が生まれますからね。市街地に住み、国を動かすような仕事ができるか、それとも一生涯、僻地の屋台の店員か。おかげで、わが家も娘の稼ぎで楽をさせてもらっていますよ」
「もう、お父さん!」
傍目には、娘をベタ褒めする父と、照れ隠しに怒ってみせる娘という姿に見える。
だが、リサにはだんだんとわかってきた。モリオン子爵領で男女の差が激しかったように、ここでは、単純に学歴の差がものを言うのだ。上級学校を出ているか、そうでないか。
学歴差別が男女差別を上回っているだけなのだ。
田舎のモリオン子爵領では、女性に生まれついたことが差別の対象となる。だが、都市部では、何の能力も持たずに生まれてきたことが差別の対象となる。……果たして、どちらがマシと言えるだろうか。
ノナは、このオーリア帝国での圧倒的エリートだ。彼女が首席卒業したことは、主計分野において彼女は無敵だということだ。誰も彼女を下に見ることはできない。その点では彼女の人生は明るい。
裏を返すと、学歴社会といいながら、大卒も高卒もあまり給与が変わらない日本という国は、いい国なのだろうか、どうなのだろうか。
++++++++++
翌日の昼、リサたちは再び、秋津洲物産のオーリア帝国現地法人本部を訪れることにした。一応、実家はこの街にあるが、特にそこへ帰る気もないフィズナーも、興味本位にリサについて来ることになった。
昨晩はノナの家に泊めてもらった。決して広くはない家だったが、まずまず快適だった。庶民的なリサにとっては、ファーリアンダ侯爵邸のようなだだっ広い空間よりは落ち着けたものだ。
ノナが建物の入口で磁気カードを通すと、扉のロックが外れる。リサは、秋津洲はいろんなものをこちらの大陸に持ち込んでいるんだなあと感心する。
事務所内は冷房が効いていて、袖なしのリサにとっては少し寒いくらいだった。それもそのはず、ここでも日本人たちはスーツを着ていて、なかにはジャケットまで着ている人もいる。
日本人らしい人はおよそ二十名。もう二十名は現地のオーリア帝国人といった様子だ。
ノナを先頭に、リサやフィズナーは歩く。ノナが真っ直ぐに向かっていき、声を掛けたのは四十代後半の男だった。
「真田課長、ただいま戻りました」
「おう」
真田と言われた男は素っ気ない。いつもそうなのだろう。ノナは気にしている素振りを見せない。だが、真田はいまのノナが人を連れていることに気づく。
「ん、あれか?」
「はい。澄河御影副総裁が目を掛けてらっしゃる、リサさんとフィズナーさんです」
そう言われて、真田は立ち上がり、リサとフィズナーの前に立つ。身長一六五センチのリサよりは少し背が高い程度で、フィズナーよりは低いくらいの、ぎらついた中年の男だった。
「俺は真田。主に電力部門の担当をしている課長だ。……おい、ノナ、さっさと茶を用意してこい。あと、現法社長にもひと声掛けとけ」
「はい、わかりました」
リサはそのやりとりにイラッとした。どうにも、大陸アーケモスに来てから日本人の悪いところが目だってしょうがない。なぜだかわからないが、日本人は雇っている外国人を格下とみなす。
自分は日本語しか話せず、相手が翻訳機を介して日本語を話してくれているのにだ。フリーライダーなのにいい身分だ。
「逢川リサです。先日まで国防軍にいました。いまは旅行者です」
「フィズナー・ベルキアル・オン。元黒雷師団騎士隊隊長だ」
ふむ、と真田はうなる。
「軍人繋がりか。失礼だが、逢川さんは帰化人か? 髪も明るいし、星芒具も使うようだが」
「いいえ。九十五年より前からずっと日本にいました。日本生まれ日本育ちで、これは地毛です。星芒具は、なぜか使えます。理由は国防軍も空冥術研もわからずじまいでした」
そんな折、ノナがお盆にお茶を載せて帰ってくる。彼女の背後には、背の低い老人がついて来ている。おそらく現法社長だ。
「お茶が入りました。お話の続きは、そこの会議スペースでどうです?」
「そうしよう」
真田がパーティションの向こうに入っていき、一同がそれに続く。一応、リサとフィズナーが入口から遠いほうの席に案内されたあたり、一応、客人を上座に座らせる程度の感覚はあるようだ。
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