第五章 姉の足跡
第五章 姉の足跡(1)「運がいいだけ」
首都デルンに着いたのは夜前だった。ちょうど陽の沈むころだ。街は黄昏時で詳細が見えないが、高い建物も多く、そのいずれもが白壁で、建物内の電灯や外灯も整備されている。
そういったわけで、陽が沈んでも営業を続けている店も多い。商店が集まっているから、この地区は商店街? バザールだろうか。
ノナが秋津洲財閥のオーリア帝国現地法人の本部ビルの駐車場に車を停めると、同じく車から降りたリサが背伸びをする。
その間に、ノナは社屋の壁のインターホンで社内と連絡を取り合っていたようだが、会社には入ろうとせずに戻ってくる。
「犬飼
ノナがそう言ったが、リサにとっては何の問題もない。
「うん。別にいいよー」
ファーリアンダ侯爵領から首都デルンまでは、ファーリアンダ家が馬車で同行してくれることとなった。それゆえ、行程は三日ほどとなった。馬車のスピードは時速二〇キロ以下。これに合わせて進んだので、車でいえばずっと徐行運転のようなものだったのだ。
とはいえ、ファーリアンダ侯爵領から首都デルンまでは、さすがに街道が整備されていて、要所要所に宿場が存在した。そのおかげで、三日間、車中生活とはならずにすんだ。
途中、ノナが社用車を見ながら、「ガソリン持つかな」などと言いだしたときはヒヤヒヤしたものだが。
ノナはリサたちに言う。
「では、きょうはもう遅いですし、うちにいらっしゃってはどうですか? 父も母も喜ぶと思います」
この誘いは、リサにとっては嬉しいものだった。もちろん、行くと即答する。フィズナーも同様だ。
しかし、ベルディグロウは神域聖帝教会へ赴くという。早めに大神官との面会予約を入れておきたいということだった。
また、エドセナは馬車上から辞退した。
「ファーリアンダ家はここ首都デルンにも別宅がありますが、そこの家臣たちを通じて皇帝陛下に取り次ぎを命じてきます。ラミザ参謀官との面会と、イルオール連邦ご親征の件で。こちらも早いほうがよろしいので」
彼女の言うことはもっともだった。リサは感謝する。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
エドセナを見送り、それからベルディグロウを見送る。
それから、リサとフィズナーは、ノナに連れられ、彼女の家まで歩くのだった。
++++++++++
「お母さん、お父さん、ただいま!」
ノナが家に帰り着くと、彼女は両親と軽く抱擁を交わしていた。リサは驚いた。古い海外(アメリカなど)ドラマでしか見たことがないような光景が、そこで繰り広げられたからだ。
もちろん、ノナの両親は、一緒にドアをくぐってきた、残りのふたりのほうにも気づいている。
ノナの母が訊く。
「この方たちは?」
「こちらのかたが日本人のリサさん。リサ・アイカワさん。日本でずっとお世話になってたのよ。それから、こちらが元騎士のフィズナー・ベルキアル・オンさん。どちらも日本で知り合いになって」
それを聞き、ノナの父は頭を下げる。
「おお、それは遠くからいらっしゃいまして。ありがとうございます。きょうはジルバ家でもっとも栄誉ある日です。食事の用意をしますから、お待ちください。秘蔵の葡萄酒も用意しますので」
それから、ノナの両親は厨房や倉庫を忙しく行き来し、食事の準備を始める。とっておきの食材で歓迎しようという意気込みを感じる。
リサは恐る恐るノナに訊く。
「これは、いきなり訪問して、結構なご迷惑だった?」
「ぜんぜん! さあさ、おふたりとも、食卓に掛けてお待ちください!」
ノナは、かなりの上機嫌だ。仲のよい両親と久しぶりに会えたこともさることながら、日本での友達――つまり、自分を紹介できて嬉しいのだと、リサにも心から伝わってくる。
土壁の、作り手の手触りを感じる一軒家。この国には地震などがないのか、日本の家屋のような、あちこちに柱があるような設計にはなっていない。こぢんまりとしながらも広々としている。
天井から吊されているのは、簡単な傘がついた電球だ。よく見ると、天井付近には電気のケーブルを這わせて固定してあり、ここ近年に電化したことが見て取れる。
食事は驚くべき速さで出てきた。冷蔵庫の普及からそれほど長くないためか、肉なども保存が利くように加工されているし、チーズなどの足の長い食品が常備されている。
「さあさあ、簡素なものですが、ぜひ召し上がってください」
ノナ母がそう言った。たしかに、調理自体は簡単だっただろう。客を待たせないようにするためだ。しかし、この肉の厚み。どう考えても奮発している。
フィズナーは注がれた酒をどんどん飲んでいく。リサはかねがね思っていたが、どうも彼は酒が好きなようだ。特に、非公式の場だと絡み酒をするほど飲む。
「リサさんもどうぞ」
そう言われたが、リサは辞退した。酒を飲むのは、来年からにしたい。
とはいえ、リサ以外の四人が酒を飲み始めると、自然と場の雰囲気も盛り上がってくる。
ノナ父が、向かいに座ったフィズナーに言う。
「正直、フィズナー様の噂については、街でもたまに聞くことがあります。国境方面の黒雷師団騎士隊隊長であられたお話とか、ジル・デュール公爵令嬢の警固隊長であられたお話とか」
「いや、いずれも負けた話ではないですか」
「とんでもない。たしかに、そう言って揶揄するものもいますがね。いずれも魔族を相手に立ち向かったという話じゃないですか。そんな騎士、この国に他にいやしませんよ」
「魔族と戦って生き延びているのが、運がいいだけです。みな、魔族と対峙して生きて帰れはしませんから」
「そこですよ。オン一族は、遡ると伝説の武将、フィスロ・オン将軍に行き当たると聞きます。かの武将は歴史の教科書に載るようなかたですから。いやはや、さすがです」
「……大昔の先祖の話です」
「いやーそれでもです。うちの庶民出のジルバ家とは大違いです。ささ、もう一杯」
「では、ありがたく」
ノナ父はフィズナーのグラスに葡萄酒を注いでいく。その間、無言で食事を咀嚼しているリサのほうをちらと見る。次は自分の番だ、とリサは思う。
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