第四章 ファーリアンダ(3)持てる者は何も持たぬ

 ファーリアンダ家では、リサはひさしぶりにまともな食事にありつけた。


 ステーキ。焼いた肉。なにかの果物的な隠し味のあるソース。もしやこれは牛肉と見せかけて、アーケモスにしかいない特殊な生き物の肉では? と思いながらも口に含んで、しっかりと牛肉の味がしたときは感動した。


 葡萄酒ワインがふるまわれたときは、リサはそれを辞退した。オーリア帝国では一八歳からお酒が飲めるというが、そこは日本人なので日本の法律に従っておくことにした。


 いろいろ、いまさらな気はするのだが。


 エドセナの父と母は、快活な人たちだった。『黒鳥の檻』の危機が去り、ついに帝国が征伐に本腰を入れるとなって、安心だと語っていた。


 酒を飲んでいるのは、フィズナーとノナだ。ノナは飲んですぐに眠そうになってしまったが、意外にも、フィズナーは静かに酒を飲んでいる。


 日本ではあれだけ絡み酒をしていたくせに、貴族との会食となると、随分真面目な印象を受ける。フィズナーもそれなりに、大きな舞台で揉まれてきたということだ。


 ++++++++++


 夜になると、男ふたりに一部屋、女ふたりに一部屋が与えられた。リサはシャワーを浴び、用意されていた寝間着に着替えたが、なんとなく寝付けずにいた。


 酒を飲んだノナは隣のベッドですっかり寝ているが、どうも自分はそうならない。


 リサは仕方なくベッドから出て、屋敷の中を歩いてみることにした。最初は、トイレにでも行って帰ってくれば寝られるだろう、くらいの気持ちだったが、廊下に出ると、階段の下に明かりが灯っていることに気づく。


 階段を下りてみると、寝間着姿のエドセナが、大きな食堂でただひとり、物思いにふけりながらお茶を飲んでいた。


「エドセナさん」


 声を掛けると、エドセナは振り返る。


「ああ、リサ。眠れないの? 甘いものを少しとると寝付きがよくなるわ」


 優等生たるリサにとって、歯を磨いたあとの寝る前に甘いものを食べるというのはルール違反だったが、それもまたいまさらな気がするので、提案に乗ることにする。


「ありがとうございます。では、少しいただきます」


 リサはそう言って、エドセナの隣の椅子に座る。小さなクッキーを手に取り、囓っている間に、お茶を淹れてもらってしまう。


「リサ、あなたは日本から来たんですって?」


「ええ、まあ」


「日本人って、空冥術が取り扱えない代わりに、科学技術が盛んなのだと思っていたわ。あなたのように、使える人もいるのね」


 このあたりを説明するのはなかなか難しい。日本人を誤解されないように、言葉を吟味する必要がある。


「ええと、日本人で空冥術を使える人はとても稀です。わたしは学生だったんですが、これが使えるので、軍隊にも所属していました」


「学生で軍人? 士官学校卒なのかしら?」


 説明を誤った。前提を共有していなければ、そういう結論を導き出してもおかしくはないだろう。


「違うんです。日本には高校というのがあって、そこまではみな同じことを学ぶんです。そのさき、大学というところで専門課程に分かれていきます。わたしは高校に行っていました」


 いろいろ間違っているが、大筋正しいはずだ。リサはこのくらい簡単な説明にしておくのがいいと判断した。


「じゃあ、こちらでいう普通学校の学生だったのね。でも、士官学校を飛び越えて、軍隊から呼ばれていたのね。すごいわ」


「ははは……」


 違和感はあるが、間違いでもない気はする。


「リサには、わたくしが持っていないものを感じるわ。わたくしももう少し、学校時代にしっかり勉強すればよかった。それに、すぐに嫁ぐつもりで上級学校に進学しなかったのも、いまでは惜しいわ」


「エドセナさん……」


「わたくしは、生まれつきたくさん持っていることに気づくのが早すぎたの。その結果、本当は何も持っていなかったということに気づくのが遅かった。……結局、それが妃に選んで頂けなかった理由なのだと思うわ」


「……きっと、今度こそなれますよ」


 リサがそう言うと、エドセナは黙りこくってしまった。不安なのだ。無理もない。世の中に対してはある程度伏せられているとはいえ、ジル・デュール公爵領壊滅事件の張本人なのだから。


 そして、リサもおのれ自身のことを思う。自分もまた、空冥術という才能に頼っているのではないのかと。


 それがなければ、大学進学を捨ててまで大陸アーケモスに渡ってこなかったのは事実だ。また、自分の力でアーケモスに平和をもたらせるという、ラミザの甘言に乗せられていたのも事実だ。


 リサは、持っているものを活用することは、エドセナが言うほど悪いことではないと感じる。しかし、それに甘んじるとよくない結果に繋がりかねないということだけは、肝に銘じようと思った。

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