第一章 アーケモスの女(3)男女の差

 部屋を出でもしない限り、ベルディグロウは横にならないだろう。とりあえず屋敷を出たリサだったが、行くあてがない。


 あてはなくても、とりあえず歩く。リサは、とりあえず歩くのが得意になってしまっていた。日本にいたとき、あれだけ夜のパトロールをしていたからだろうか。


 しばらく歩いてみて、リサはどうやら自分が市街地とは逆の方向へ来たらしいことに気づく。


 道はあるのだが、右手側はずっと林が続き、左手側はずっと砂浜が続いている。建物は極めてまばらだ。


 砂浜には筋骨隆々の男たちが駆け回っている。なかには、魚の容器をロープで引きずっている者もいる。


 男らしいと言うべきか、粗野と言うべきか。


 この男たちは漁師なのだと、リサは思う。



 しばらく歩くと、目の前に木の実が落ちてきた。とはいえ、充分距離があるので、あわや頭に直撃、ということにはならなかっただろう。日本でいうところの椰子やしの実に似ている。


「ごめんねー。大丈夫だった?」


 声のするほうをリサが見上げると、女が木に登っていた。どうやら彼女が木の実を落としたらしい。


「もしかして、収穫中?」


「そう。そういうあなたは、旅行者? このあたりでは見かけないけど」


 木の上にいた女はするすると木から下りて、木の根元においてあった鮮やかな色の布を袈裟に着る。どうやら、木登りの邪魔になるから一部脱いでいたらしい。


 深い茶色の髪に、茶色の目。日焼けしているものの白い肌。典型的なオーリア帝国人種だ。木から下りてきた彼女は、木から落とした木の実を拾い集める。


 木の実を集め終わった彼女は名乗る。


「あたし、テーレ。あなたは?」


「リサ。日本から来た」


 そう答えると、テーレは物珍しそうに、リサを見回す。


「へえ。日本人って、意外とオーリア帝国人に似てるのね」


「そうかな」


「そうだよー。といっても、あたし、日本人のおじさんしか見たことないけど」


「まあそうだよね。女性の駐在員は少ないだろうし。……いや、そもそもいるのかな?」


「日本も男女で仕事が分かれているの? このモリオン子爵領では、漁業は男の仕事。木の実採りは女の仕事ね」


「いや、日本では基本的には、男女で同じ仕事ができるはずなんだけど……」


「でも、日本の女の子を見たのは初めてよ。建物つくる人とか、鉱山掘る人とか、みんな男の人だよね」


「そうですよねー。その辺はなぜか平等化が進まないんだよね」


 テーレからそういう問われ方をされると、リサは、日本の男女共同参画を怪しく思ってしまう。いやいや、ここは、危険な外国に女性を送るまいという紳士性の表れと解釈し……。


 ……自分がこの場にいる時点で、それは無理があるだろう。いやしかし、日本の女性のほうがアーケモスに来るのを拒むケースも考えうる。他に自分と同じように、アーケモス渡航をしたい女がそんなに多いとは考えづらい。


「日本の女の子も、船に乗っちゃ駄目とかあるの?」


「さすがにそれはないけど。この国ではあるの?」


 テーレは苦笑いする。


「国じゃないけど。モリオン子爵領はそうね。船に乗れるのは男だけ。捕ってきた魚はテネサンまで行けば日本人が買ってくれるんだけど、その日本人もみんな男だったから。魚は男が売って男が買う」


 その状況なら、船に乗れるのは男だけだという誤解もするだろうと、リサは納得する。


 それを受けて、リサは問うてみる。簡単な日本史の知識の援用だ。


「農業はやってないの? 農作業なら男女差がないと聞いたことがあるけど」


「ううん。ここではなんか農業できないんだって」


 その答えは予想外だった。だが、言われてみればそれも知識として思い当たる。


「そっか。土に塩分が多すぎるし、土地が痩せてそうだもんね。大規模に土壌の改善から入らないと駄目かなあ」


「……リサってすごいんだね。日本では女の子も勉強するの?」


「するよ。というか、モリオン子爵領ではしないの?」


「しないしない。大都市では女の子も普通学校に行けるらしいけど、あたし、そういうのも行ったことないし」


「じゃあ、学校に行くのは男の子だけ?」


「うん。でも、この子爵領では男の子も半分しか行ってないかな。こんな田舎で学校なんか行っても、生活の役に立たないんだもの」


 こんなこともあるのかと、リサは衝撃を受ける。学問というのは、周りがやっていないと広がらないものだ。裾野の広さが大事なのだ。たくさんの子女に教育を受けさせることが必要なのだ。


 いや、待てよと考え直す。そういえば、日本でだって、地方の県知事が「女に三角関数は要らない」などと言っていたではないか。日本だってあるところには男女差意識はある。


 それからふと、リサはテーレの左腕の籠手に気づく。


「でも、テーレも星芒具、つけてるじゃない。それ使えるってことはってこと?」


 しかし、その質問に対しては笑われてしまう。


「これは、大した機能は載ってないよ。ものを売り買いするときに使うの。この中に通貨?っていうのが書いてあるんだって」


 要は、テーレが使っている星芒具は財布と同じだということだ。そう言われてみれば、それを飾りでがんじがらめにして取れにくくしているのは、防犯の意味もありそうに思えてくる。合理的だ。


 そう話し込んでいるうちに、日が傾いてくる。太陽の光がだんだんと赤くなっていく。


「あ、あたし、そろそろ帰らなきゃ。あっちの街外れだから、暗くなると危ないんだあ」


「それなら送るよ」


「え、でも」


「いいからいいから」


 リサは、テーレを長時間ここに足止めしてしまったのは自分のせいだと思った。ならばせめて、安全に家まで送り届けなければ。


 そして、リサはふと思った。あ、自分もちょっとかもしれない、と。


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