第一章 アーケモスの女

第一章 アーケモスの女(1)文化的衝撃

 リサが日本から大陸アーケモスに渡ってから、三週間ほどが経っている。


 二〇〇三年四月半ば。日本ではそういう年号が使われているだろう。だが、このアーケモスでは、月番号はともかく、西暦は意味をなさない。


 リサにとって個人的に意味があるのは、高校を卒業したのち、ついに大学受験をしなかったということだ。あれだけ受験勉強はしていたが、海を越えてアーケモスに渡りたいという願望が勝ってしまった。


 そして、もうひとつの個人的な意味は、四月生まれのリサにとって、年齢がひとつ上がったということだ。彼女はになった。


 リサ、フィズナー、ベルディグロウの三人は、テネサンという港町から上陸し、一路、オーリア帝国首都、デルンを目指すはずだった。


 しかし、この周辺を統治するモリオン子爵領が魔獣や野党のたぐいに悩まされていると聞いては、リサはそれを放っておけなかった。


「まーた、いつものお節介が出たよ」


 赤茶色の髪をした、元騎士フィズナーが肩をすくめたが、そういうものと諦めてくれているフシはある。


「フィズだって、困ってる人は放っておけない性分でしょう?」


 リサが食ってかかっても、フィズナーは答えなかった。だが、否定もしない。リサとフィズナーは、基本的に似たもの同士なのだ。ただ、リサのほうが突き抜けているというだけだ。


 そんなとき、ベルディグロウは特に何も言わない。だが、彼は精一杯リサの意向を叶えようとしている。彼は日陰の人物だが、圧倒的なリサの味方だ。もちろん、悪魔祓いエクソシストとしての本分も忘れてはいない。


++++++++++


 三人はモリオン子爵領の中心都市モリオンへ馬車で移動した。しかし、これが日本人であるリサにとっては途方もなく遅い。


 港町テネサンだってモリオン子爵領の領内だったはずだというのに、県庁所在地まで、まさか馬車で一日がかりとは思わなかった。


 しかも暑い。日本は一九九五年以降は常に冬だったから、リサは服を着込むのに慣れすぎていた。さすがにコートやマフラーは外しているが、それでも、長袖の服が暑い。


 袖をまくっても暑い。


 モリオン子爵領中心都市に着いたときには、夜だった。なので、三人はまず宿を取った。リサは汗だくの身体を何とかしようと、風呂を探したが、宿の中に風呂がないことに愕然とした。


「グロウ、宿にお風呂がないんだけど……」


 リサがそのことをベルディグロウに話すと、彼は仕方がないと答える。


「このあたりはまだ、水道管が来ていないようだ。ガスも電気もな。教会に行けば沐浴はさせてもらえるだろうから、明日の朝まで待つんだ」


「えー。こんなに汗だくでも流せないの? みんなこの汗の臭い、どうやって処理してるの? オーリア帝国の人は汗、気にならないの?」


 そこに、フィズナーが口を挟む。


「香水で誤魔化すんだよ」


「まじで」


「マジだ。とはいえ、首都が近くなるにつれて、電気・ガス・水道は当たり前のものになっていく。身体を洗うのも随分流行はやってから定着したな」


「は、流行る……?」


 リサには、入浴とという文言がどうしても結びつかなかった。だが、このオーリア帝国ではもともと、毎日身体を洗う習慣はなかったらしい。


「お前の国、日本が持ち込んだやつだぞ。シャワーと洗髪と手洗い。これで随分、はやり病を押さえ込めるから、帝国が推進してるくらいだ」


「じゃあ、なんでこのモリオン子爵領にはそれがないの?」


「「田舎だからな」」

 

 フィズナーとベルディグロウの回答が重なった。リサはガックリとうなだれる。


++++++++++


 翌朝、リサはベルディグロウに連れられて、街の中心の教会へと行った。沐浴――身体を清めるというのは宗教的意味合いがあるようだが、いまのリサにとってはどうでもいいことだった。


 ベルディグロウが現役の神官騎士であることが幸いして、リサはすぐに沐浴を受けられることになった。水風呂だったことはちょっとがっかりだが、気温が高いため、そこまでつらくない。


「さっぱりしたー!」


 満面の笑みで、リサが沐浴所から出てきた。だが、着ている服は相変わらず日本のもののままだ。


 その姿を見て、フィズナーは彼女を服屋に連れて行くと提案する。


「日本の服は布一枚とっても分厚いんだ。それに、その短いスカートは目立つ」


「……たしかに」


 リサが町で目にした女たちは、みな、腕は出していても脚は出していなかった。とはいえ、暑い地方なので、布自体は薄いように見える。


++++++++++


 リサが連れて行かれた女物の服屋では、フィズナーが店主の太った女にひと言告げると、店を出て行ってしまった。彼女の着替えの場に居合わせないためだ。紳士なんだか、無愛想なんだか。


「あらあ、日本から来たんですって?」


 服屋の太った女店主は心なしか嬉しそうだ。日本人の女という珍しい来客だからだろう。


「はい……」


「たしかにこれは暑そうね。選んであげるから着てみて。服代はあの彼氏さん持ちだって。ねえ、日本人ってこんなに髪の色明るいの? 港に来る日本人では見ない色ねえ」


 店主の女はぐいぐいと店の奥へリサを押し込んでいく。そして、次々にリサの肩に服を掛けて、どの色が似合うかを見ていく。


「えっと、あの人は彼氏ではないです。それに、髪の色は地毛ですけど、こんなに薄いのは日本ではすごく珍しくて……」


「あらあそうなの。じゃあ目の緑色に合わせて、青系にしましょうか。身体細いから、ふとしたときに線が出るのもいいわよねえ」


「あ、あのう、わたし、結構動き回るので……」


「あら、そういうお仕事なのね。日本人はみんな走ったりしないんだと思ってたわあ」


 話しながら、店主は肩に掛けた布をいくつか外す。意外にも、会話を汲んで適切な衣服を選んでくれている……ようだ。



 そうして出来上がったのは、想像以上に現地の女性然としたものだった。黒系の薄いインナーの上に、両腕の出る、膝丈の紺色のワンピース。さらにその上から、水色の布を左肩から斜めに掛けている。


 インナーがあるからいいものの、紺のワンピースは生地が極めて薄くて、光の加減では透けてしまう。だが、店主はそうじゃないと暑くてやってられないよと押し通してくる。


 腰回りには布でできた紐のようなものを三重に巻いている。そこから、細長い石の飾りがいくつも下がっている。さらには、左手の星芒具には勝手に玉付きの紐を二重に巻かれてしまった。


「そういえば事前に聞いていたけど……」


 アーケモスの大陸の人間はひらひらしたものや、垂れ下がって揺れるものなど、飾りがとにかく好きなのだ。アーケモスの女性は特にそれを好むとされているし、男性もそれを女性のお洒落と認識している。

 

 特に、実用品であり戦闘用品でもある星芒具をこうしてデコレーションしてしまうのも、アーケモス的なのだという。

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