第十一章 日常への憧憬(3)自動的な正義

 リサは話題を少しでも変えようと思って、話をする。


「フィズは、そのジル・デュールという公爵家に仕えてたんだよね。その、お姫様は大怪我をしたというけど、生きてはいるんでしょう?」


「まあな」


「で、復讐のために、『黒鳥の檻』を追ってる」


「そうだな」


「前から思ってたんだけど、公女さまのこと、好きだったんだね」


 リサが直球を投げると、フィズナーは顔を真っ赤にする。


「ば、莫迦ばか言え。ラルディリース姫殿下は、皇帝陛下の婚約者だ。いや、もっとも、ご本人が婚約破棄を言いだしたから、その先はわからんが――」


「好きなんでしょ?」


「だから、あの方は俺なんかとは違ってだな――」


「フィズが首飾りを下げてるのも、知ってるよ。それってもしかして、公女様にもらったものだったりしないの?」


 問われたフィズナーは即答はしなかったが。ふうと溜息をついてから、白状する。


「これは、そうだ。星のレリーフが彫られた指輪。サイズの合う指がなかったから、こうして首に掛けてる」


「やっぱり」


「やっぱりってなんだ。笑うな!」


「『黒鳥の檻』を倒して全部終わったら、結婚式に呼んでよ!」


 リサは大笑いしていた。笑い転げたいほどだった。いつぶりだろう。こんなに気楽なのは。


 もののついでとばかりに、リサはふたたび、ベルディグロウに話を振る。というのも、彼もまた、首から日本では見ない形のペンダントを下げているからだ。


「グロウのそのペンダントは何? それはなんだか、すこし、厳かな感じがするけど」


 ベルディグロウはペンダントトップをつまむと、リサに見せる。


「これか。これは神域聖帝教会の神官であることを示すもの……。いや違うな。形は違えど、同じくディンスロヴァを信仰するイルオール連邦の神官や信徒も身につけることがあるものだ」


「信仰の証?」


「そういったところだ。これは、神の国たる神界への帰依きえを示すものだ」


「神界……」


 魔界に引き続き、神界の登場だ。魔界という世界が惑星であることは、以前、澄河御影が言っていた。そうすると、神界もまたそういった名前の惑星である可能性は――ないか。



 周囲を見ると、ラミザは恐ろしく静かに食事をとり続けていた。そして、その隣で安喜少尉は酔い潰れている。


 ノナは相変わらずテレビに夢中で(いま流れているのは時代劇だ)、ザネリヤはひとりでいいワインを飲んでご満悦だ。


 みんなが楽しそうにしている。それだけで、いいパーティーだったと言える。


++++++++++


 みんなが帰ったあと、リサが片付けと洗い物をひとりでしていると、玄関の鍵が開く音がした。そのすぐあと、リビングに現れたのは、やはり母だった。


「お母さん」


「お友達と楽しく過ごしたみたいね。片付けをして立派だわ」


 母はいつもどおり、上っ面だけ撫でたようなことを言っていた。しかし、リサはゆっくりと、決意のように、不安のように、語りかける。


「わたし、遠くの国に行くかもしれない」


「あら、そうなのね」


「知ってる? お姉ちゃんも遠くの国に行ったんだよ」


「まあ、お姉ちゃんならどこでもやっていけるでしょう。しっかりしているもの」


「お母さん!」


 リサは母のことをいま一度呼んだ。やめて欲しかったのだ。話を聞いているようで、その実まったく中身を受け取っていない、その態度を続けるのを。


「リサはお母さんよりもずっと賢いものね。お母さん、またリサを怒らせてしまったけど、お母さんにはわからないわ」


 とどまらない。どれだけ言葉を重ねようと、この人はとどまらない。つかみどころなく、安全圏へと逃げ去ってしまう。自分の無能を語るのを恥とも思わず。実の娘さえ捨てて。


「なんで、なんでなの?」


「リサ……」


「なんでお母さんはわたしたちの心配をしてくれないの? なんでお姉ちゃんのことを心配してあげないの? なんで、家族なのに、わかってあげようとしないの!?」


 リサの激昂を受け、さすがに押し黙ったようだった母だったが、そうではなかった。ただ、彼女は回答を考えるのに時間を要していただけだ。


「……家族でも、わからないことはあるじゃない? とくにお母さんは頭がよくないし。お姉ちゃんは洛城大学だし、リサは四ツ葉高校でしょう? だから、お母さんが何か考えたって意味はないと思わない?」


 回答はまったくズレていた。リサは、「わかってあげよう」という態度の話をしている。究極、人が人をわかることなどできないと、わかったうえで、そう言っているのだ。


 だが、母は「自分が愚かだから仕方がない」と言い切り、子を理解するための努力と思いやりを放棄している。


「もう、いい。……もういい!」



 リサは洗い物もそこそこに、階段を上がり、自分の部屋へと入った。そして、ドアをしっかりと閉めると、床に座り込み、そして、泣いた。


「わたしはすごくない。すごくないよ。ぜんぜん、ふつうの人間なのに……」


++++++++++


 月の夜。あとわずかで満月になる、小望月だ。


 廃墟のビルに登ったリサは、口元を隠したマフラーをたなびかせ、街を一望する。


 自分の精神状態がどうであれ、正義の執行は自動的だ。街には、誰か困っている人がいるかもしれない。夜のパトロールをするのに、理由はそれだけで充分だ。


 自分の心がいくら打ちのめされていたとしても。


 そして、この正義に傾倒することで、誰かを傷つけたとしても。


 ……それは正義と言えるのだろうか? 身を捨てて善をなす。それは正義だ。だが、身を捨てることで悲しむ人がいるのなら。


 リサの脳裏には、一瞬、鏡華やノナ、安喜少尉の姿がよぎった。彼女らはリサに戦わせまいとしている。


 だが……。母はどうだろう。母は、わたしが身を捨てたところで、成し遂げた正義の大きさにおののくだけで終わるのではないだろうか。


 それは、悲しい。


 悲しいが、ほとんど確信していた。



 向かいのビルに、ラミザがいた。彼女は屋上を跳ねるように駆け回り、高らかに歌い、その両手をときおり天空に向けて差し出していた。


 その姿が、リサの遠見の能力では、ハッキリと捕らえられる。あれは、まるで、神に捧げるような舞だ。神道で神楽と呼ばれるものに近い。


 ラミザはうたう。


 ――われは神を欺きたる者。


 ――われは罪人。


 ――なんじは神の庇護を求めぬ者。


 ――なんじは穢れなき者。


 ――なんじこそは、わが救いの主。


 ――たれをしても奪わせしめぬ。


 ――ただわれのみの救い主。


 ラミザは――彼女はいったい、何を歌っているのだろうか? これは、何者に対して奉納する神楽だろうか?


 ただ、リサがわかることは、ラミザはリサが見ていることを自覚しているということだ。ラミザは、あえて、彼女の前で歌い、踊って見せているのだ。



 正義の執行はだ。何があろうと、平和を乱すものは許さない。


 だが、姉は――逢川ミクラはどうなのだ。正義のために家族を捨てたのか。


「違う。お姉ちゃんは、わたしを捨てたりしない……」


 正義の執行は自動的だ。何があろうと、平和を乱すものは許さない。


 だからこそ、自分も同じことをする可能性がある。それは決して、否定できないこと、しかも、大いにありうることだ。


 逢川ミクラが妹と母のことを捨てたように、逢川リサもまた、同じように――。


「わたしも、この街を、捨ててしまうのかな……」



 リサの不安を、ラミザの歌声が溶かしていく。その原因を有耶無耶にしたまま。


 そして、未来から時をさかのぼるように差し伸べられている、さだめという手が迫ってきていることに、リサはまだ気づいていない。

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