第十章 たくさんの羽(2)優秀な道具になりたい

「すぐにでも『総合治安部隊』をやめるべきだわ、リサ」


 いつもは砕けた口調でふざけたことを言ってばかりの鏡華が、リサに向かって毅然とそんなことを言った。


 放課後の夕焼けが地平線の彼方へと沈みかけ、空が赤と紫のマーブル模様になっている頃だ。


 生徒会室にやって来たばかりのリサは、生徒会役員用のデスクにカバンを置きながら、不機嫌な視線を鏡華に向ける。


 リサと一緒に部屋に入ったノナは、いきなりの雰囲気の悪さに絶句し、おろおろするばかりだ。


 寺沢や黒田はまだ来ていない。ここにいるのは、リサ、鏡華、ノナの三人だけだ。


 リサはまるで動じない風を装う。しかし、椅子には座らない。


「なんなの?」


「あなたのことだから、あの怪獣をどうやって倒すか、そんなことを考えてるんじゃないかと思って」


「そりゃあ、命令が出ればね。そのときは、わたしたちしか対処できないと判断されたときなのだし」


「……やっぱり」


 鏡華は額を手で押さえて溜息をついた。


「だから、なんなの?」


「前も言ったけど、リサ、あなたは普通の高校生なの。普通の暮らしが待ってるの。きっと、次に『総合治安部隊』に招集が掛かるのは、国防軍が打つ手なしと判断したときか、あるいは――」


「あるいは、なに?」


「『道具』としての利用価値を見定めたいときよ」


 数秒の無言。


 鏡華は言い切ったのだ。リサは『総合治安部隊』にとって、道具に過ぎないのだと。これは本当のことだ。安喜少尉はともかく、妙見中佐はリサをただ奇異の目で見て、人間離れした行動を取るたびに喜んでいる。それだけだ。


 そこには、何の理念も倫理観もない。


「鏡華、わたしはね、強くならなきゃならない。そして、強くなったら強い分の義務を果たさなきゃならない」


「でも、あなたは彼らにとって、道具でしかないのよ。利用されてるだけなのよ!」


「道具で結構。優秀な道具ってことでしょ。使えない道具であるよりよっぽどいい」


「リサ……」


「利用されてる? 結構。わたしにとって、これは私の正義を執行するために、絶好の機会なんだ。わたしは、出撃命令を待ってる」


 あまりに自分を省みない発言に、鏡華は怒りに、わなわなと震え出す。


「正義、正義って、そんなことばかり言ってるから、悪い人たちにつけ込まれるのよ! あなた、少しは利己的になりなさいよ! あなたの目は、全然自分自身を見てない!」


 鏡華の言葉は正しかった。リサは自覚がある。リサは、自分のこととなると、極端に鈍い。


 図星を突かれて、リサは思わず強い言葉で返してしまう。


「利己的? 大した言葉じゃない。わたしは利己的になんてなれないよ。利益を追い求めるのはそっちのほうがずっと得意でしょ。利益大優先の、秋津洲財閥の、澄河のおいえのほうが!」


 言ってはいけないことを言ってしまった。

 

 澄河家は江戸末期から連綿と続く富豪家だ。その徹底した利益の追求ぶり、政府との癒着により、国家権力にさえ意見できる現在の地位がある。


 だが、そのことと、澄河鏡華個人は別物だ。家の名で非難するなど、あってはならない。


 これは正義ではない。


 リサは平静を装うとしたが、半ば気が動転していた。だが、鏡華からの反論はなかった。鏡華もまた、あまりの衝撃に何を言っていいかわからなくなったのだ。



 そんなときに、生徒会室の扉が開く。寺沢と黒田がまとめて部屋に入ってくる。


「遅くなってすまん。だが、お前たちどうしたんだ。部屋の外まで声が聞こえてたぞ」


 寺沢がリサと鏡華の両方に視線をやる。しかし、リサは目をそらすしかなかったし、鏡華はただうつむいていた。


 黒田が心配そうな声をあげる。


「先輩たち、めずらしい。喧嘩でもしたんすか?」


 だが、鏡華はぎこちなくもいつも通りの様子を演じる。


「や、やだなあ。わたしとリサが喧嘩なんてするわけないじゃない。それこそ、えっと……だめだ、気の利いたのが思いつかない。じゃあ、わたしは四ツ葉会館に、旧生徒会室に行ってくるから。ほら、卒業式の過去資料を探しに」


 やや早口にそう言うと、鏡華は寺沢と黒田の間を抜けて、生徒会室を出て行く。


 鏡華が去ったあと、寺沢はリサのほうを見る。だが、やはりリサは彼と目を合わせない。


「逢川」


「喧嘩はしてないって、鏡華も言ったでしょ」


「だが……」


「わたしは正しいことしか言ってない」


 寺沢のほうは見ず、リサは椅子に座る。見ないというより、自分がみっともなくて顔を合わせられないという心境だ。


 机に突っ伏したリサに、空気を読まない黒田が訊く。


「じゃあ、会長は間違ったことを言ってたんすか?」


 リサには即答できなかった。しかし、考えても考えても、考えがまとまらない。


 わたしは、自分のこととなると、鈍い。じゃあ、わたしのような友達がいたとしたら、わたしはどうする? 鏡華のように、危険の中に進んでいく友達を止めるだろうか?


「わからない、けど。たぶん、鏡華も、間違ってない……」


++++++++++


 日はとうに落ち、周囲はすっかり夜だ。鏡華が旧生徒会室に向かってから、一時間が経過している。


 しかし、鏡華は帰ってこない。


 寺沢はいくらか書類仕事をしていたが、生徒会長不在では話が進まない。むしろ、いつものように生徒会長の鏡華が暴走して、副会長の寺沢が整えるパターンが一番早いのだ。起爆剤としての鏡華がいないと、進むものも進まない。


 リサも寺沢も一度座った席から動かなかった。リサに至っては、机に突っ伏したまま顔が上げられない。


 ノナも、ただ居心地悪そうに座っていることしかできない。


 ただひとり、お手洗いのために廊下に出た黒田だけが、それを目撃した。


 いまは使われていない旧校舎に、ひと部屋だけ明かりがまだついている。そして――。


「副会長! 逢川先輩! 大変っす!」


 黒田に呼ばれて廊下へ出てみると、リサやノナ、そして寺沢にも、そこから旧校舎の一室が見えた。


 暗闇の中に浮かび上がる教室の明かり。そこには、縄で縛られた鏡華がこれ見よがしに転がされていた。


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