第十章 たくさんの羽
第十章 たくさんの羽(1)無力な人間
四ツ葉市大泉駅前、大泉ゆめ商店街にある喫茶ガーベラ。
リサは座席について、温かいコーヒーを眺めていた。並ひとつ立たない黒い水は、天井の蛍光灯の光をただ映している。
このふたり用のテーブルには、差し向かいにラミザが腰掛けている。
「きょうは誘ってくれてありがとう」
ラミザはそう言った。リサはラミザがどこに滞在しているのかは知らない。おそらく、青京都都心のどこかのホテルにいるのだろう。けれど、場所はわからなくても、『総合治安部隊』に電話をすれば、こうして呼び出すことはできる。
リサはうつむきながら答える。
「うん。出掛けるには、都内のほうじゃなくて、こっちの郊外のほうが安全だと思ったから」
「そうね。『決して喚び出してはいけないマモノ』魔竜カルディアヴァニアスが都心にいる限り、郊外のほうが却って安全ね」
「作戦行動は、なんにも通達されてないけどね」
魔竜カルディアヴァニアスへの対処方法はまるきりわからないままだ。国防軍も射撃できず困っている。もし射撃して魔竜を怒らせると、何が起こるかわからない。
相手は全高十五メートルを超え、プラズマビームのようなものをところ構わず撃ち出すバケモノだ。しかし、手出しをしない限りは暴れないようだ。いまのところは。
ニュースによると、魔竜カルディアヴァニアスは南青山地区内でわずかに北上しているらしい。しかし、最初の一撃以降、とくに顕著な破壊活動は見られない。
国防軍も『総合治安部隊』もどう作戦を立てていいかわからない。開店休業状態だ。
わざとなのかどうなのか、ラミザが話題を変える。
「それにしても、不思議な店名ね。喫茶ガーベラって。どういう意味かしら」
「ああ、それは花の名前だよ」
「花の名前……。それなら親近感が湧くわ。わたしの前の名前、ラミザノーラも花の名前だもの。赤や黄色の、花びらの多い可愛らしい花だわ」
日本人だと、『さくら』とか『つばき』といったところだろうか。リサにとっては、目の前の少女の名前が花の名前だったことがあまりにも意外だった。
たしかに、外見の可憐さには、花の名前が似合うだろう――頬の刀傷を除いては。しかしながら、その知略といい、戦闘能力といい、小さな花とはあまりにもかけ離れている。
「じゃあ、なんだか悪いことをしたね。元の名前がよかったんじゃないの? ラミザという名前になったら、意味が変わっちゃうんじゃない?」
リサは自分が卑屈になっているのを感じていた。名前をくれと言ったのはラミザのほうだ。リサはそれに応じたにすぎないのだから。
「そうね。ラミザノーラが花の名前なのは、もともとラミザがたくさんのものを意味するからよ。たくさんの花弁があるからラミザノーラ」
「たくさんの……何?」
「そうね。古語までさかのぼると、『ラミザ』の原義はたくさんの羽を意味したそうよ。でも、そんなものはないから、たくさんの鳥のことかしら。それより、リサはどうなの?」
「え?」
「名前の意味。何かあるんでしょう?」
「えっと、漢字を分解すると、ナシの花が咲くが意味かな」
「へえ、ナシの花は何か意味があるものなの?」
「花言葉は『愛情』だと聞いたかな」
「まあ、リサにぴったりね」
ラミザならそう言うだろうと思ったが、リサにはまるで実感が湧かない。リサは頭を掻くだけで、照れるというより、返しに困るばかりだ。
「どうだろう。……わからない」
「そんなことないわ。きょうだって、さっき、琴吹屋モールで、わたしにプレゼントをくれたじゃない」
ラミザは左手に装着した星芒具を突き出して見せた。そこには、星芒具の上から、ビーズのブレスレットが巻かれている。
「いや、大した金額のじゃないよ。ちょっとした気持ち」
「気持ちは値段じゃないのよ。アーケモスの人間は星芒具にこうして飾りを付けるのを好むのだけど、わたしはこれまでそういうのをしたことがなかったの。だから、これが初めて」
ラミザがビーズのブレスレットをうっとりと眺めている。そのあいだ、リサは、星芒具をデコるのは、プリクラ文化みたいなものだろうか、などと想像する。
意を決して、リサは言う。
「いや……、さ。その、仲直りをしたくて」
その言葉に、きょとんとするラミザ。
「仲直りって、リサと、わたしが? わたし、仲悪くなった憶えはないわ」
「それでも! なんだかモヤモヤするんだ。それはわたしの勝手。だからごめん」
リサは『常夏パーク』でラミザに組み敷かれてから、空冥術を使わない自分の素体としての弱さを思い知った。
なんとか体力を付けようと思い、無理を言って、『星ひとつ』の新隊員たちと一緒にランニングをしている。だが、すぐにバテて置いて行かれているのが現状だ。
その様子を見かねたように、ラミザは諭すように言う。
「リサ、あなたは勘違いをしているわ。あなたの力は紛れもなく世界を変えうるもの。アーケモスの戦乱だって、日本の現状だって、すべて変えてしまえる――」
「そう言ってくれるけど、こんなに身体も心も弱かったなんて、知らなかったんだ。だから、いまは、すこしでも、克服したくて」
克服したい――。それは自分のフィジカル面の弱さだけではない。あの日からずっと引きずっている、「ラミザに対する恐怖」も含んでいる。リサはずっと、ラミザを前にすると、猛獣に食べられるような恐怖を覚えている。
「そう。だから、モヤモヤをどうにかしたくて、わたしと仲直りしようとしてくれたのね」
「う、うん。そういうことになるね」
「ありがとう。そういう気持ちのわだかまりは、きちんと話してくれたほうが嬉しいわ。些細な行き違いのせいで疎遠になったら、悲しいもの」
ラミザの左手――星芒具を付けている側の手が、リサの右手を取る。
「そう言ってくれると……助かるかな」
「ええ。ちょっと避けられている気がしていたけど、これで解決するなら嬉しいわ。わたしはずっと、リサと仲良くしていたいもの」
リサはその言葉に安堵し、それから、一秒と経たずに、違和感を覚える。
「そういえば、ラミザさん。ラミザさんの日本滞在って、シデルーン総司令の日程次第だったよね。いったい、いつまで――」
だが、ラミザはリサの問いかけを打ち切る。彼女は愛おしそうに、左腕に巻いたビーズのブレスレットを右手で撫でている。
「わたしは、なにがあっても、どんな邪魔が入っても、リサを渡さない。日本の国防軍であれ、『黒鳥の檻』であれ、神域聖帝教会であれ、オーリア帝国であれ」
リサの腕を握るラミザの左手に力が入る。わずかだが、空冥術による握力強化も発動している。まるで、人間以上のなにかに捕まったかのような錯覚をおぼえる。
ひっ。と、短い悲鳴が上がる。リサは、その声をあげたのが自分だと悟るまで、数秒を要した。そして、再度、理解した。
――無力な人間は、武器がなければ、猛獣への抵抗もできない
のだと。
リサが恐怖に襲われていることに、ラミザは気づき、慌てて左手を放す。
「あ、ごめんなさい。リサ」
だが、リサは一も二もなく立ち上がる。
「えっと、その、ごめん!」
そう言い残し、リサは逃げるように店を出るしかなかった。いや、本当に逃げたのだ。
本能的に悟った『勝てない猛獣』。そこからはすぐに逃げろと、リサの中の本能が叫んでいる。
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