第八章 回帰不能点(4)優秀すぎる術士

 会議が終わると、食堂で弁当を食べてから、リサはロビーへと向かった。さきほどのデブリーフィングが終わったあと、みなが会議室を退出していくなか、安喜少尉が耳打ちしてきたからだ。


 安喜少尉はロビーの革張りのソファーに座っている。リサが座る分の場所は空けてあったので、そこへ座れということだろう。


「……何か用ですか」


「ええ。まあ、まずは座ってください」


 安喜少尉に促されるまま、リサはソファーに腰掛ける。


「コーヒーは飲む? それとも紅茶にする? そこのコーヒーメーカーでつくってくるから……」


 安喜少尉はロビーの壁際に設置してあるコーヒーメーカーを指す。しかし、リサはそちらを見ない。


「安喜さん、話って何ですか」


「逢川さん……」


「話があるなら、それをしましょう。余分なことは、なしにしましょう」


 リサはさすがに、自分の物言いがきつすぎるとは思った。しかし、不安なのだ。何を言いだされるのか。それに、安喜少尉も不安を抱えていることくらいわかる。


 ここにいるのは、互いに不安な者同士だ。


「単刀直入に言います。逢川さん。あなたには、まだ、平穏な日本社会に帰る余地があります」


 安喜少尉の発言に、リサは攻撃的な返しをする。


「まだ単刀直入じゃないですよ。端的に、『総合治安部隊』を抜けろ、ということでしょう?」


「ええ」


「わたしの働きが不満ですか」


「不満なんか……」


「じゃあなんです?」


「逢川さん、あなたは空冥術士としてんです。このままだと、国防軍に組み込まれて、本格的に元の生活には戻れなくなってしまう」


「だからなんだっていうんです」


 リサの言葉がぐいぐいと安喜少尉を圧していく。安喜少尉はうつむいたまま、何度もまばたきをして、必死に言葉を探す。


「軍隊という組織はとても大きい。それこそ、私のレベルでは知らされないことも多い。今後、『総合治安部隊』がどうなっていくのかもわからない」


「妙見中佐が、組織は安泰だというような話をしていたじゃないですか」


「ええ。でも……」


「その妙見中佐が何かを隠している、と?」


「……ええ。やはり、気づいていたのね」


「何とはなしにですが」


 安喜少尉は深々と息を吐く。そして、祈るように両手を握りしめると、それを額に当てる。


「軍上層部が何を狙っているのか、秋津洲財閥が何のために資金提供しているのか、私にはわからない。わからないまま、すべてが上手くいっている」


「上手くいかなかったら、負けていますからね」


「あなたたちみんなが無事なことはありがたいこと。だけど、軍はあなたという才能を狙っている」


「役立たずと言われるよりは、ずっといいです」


「もし、『総合治安部隊』が想像以上に遠大な計画の一部だとすれば……。逢川さん、あなたはこの組織とともに、どこまでも高く、遥か高くに打ち上げられてしまうのよ。……兵士として、尋常ではない成功に見舞われるかもしれない」


「それのどこが悪いんですか」


「もしかすると、この国防軍でいちばん、人間の命を奪う兵士になるかもしれないのよ」


「――え?」


 いまのところ、『総合治安部隊』は敵対組織の誰も殺してはいない。だから、そんなことは起こるはずがない、と思った。だが、よく考えてみると、ここは軍隊だ。警察じゃない。


「引き返すならいま。私には、逢川さんを除隊することができます。星芒具はこちらで引き取ることになるけど……。殺戮マシンのような扱いになっていくよりは――」


「安喜さん」


 よく響くリサの声に、安喜少尉の言葉が止まる。


「はい」


「安喜さんは四ツ葉高校の卒業生なんですよね。それが、国防大を出て軍人になったんですよね? 軍人は国民を守るために人を殺す職業ですよね? あなたもそれを目指してここにいるんですよね?」


「それは……」


「軍人であることを選んだあなたに、殺戮マシンだとか言われたくありません。それを言ったら、安喜少尉だって、優秀な殺戮マシンであろうとしてここにいるんじゃないんですか?」


 そこまで言い伏せられると、安喜少尉は何も言い返せなかった。実際に、軍人として生きるということは、そういうことでもある。だが、リサに迫っている魔の手が、そういったものとさえ異なるということを、どう伝えられるだろう。


 黙り込んでしまった安喜少尉を見て、リサはソファーから立ち上がる。


 これ以上ここで話を続けていたら、もっと酷いことを言ってしまいそうだ。


「では、わたしはこれで失礼します」




 足早に、リサはロビーを立ち去ろうとする。すると、そこへやって来たフィズナーと鉢合わせする。


「フィズ」


「お前か。なにカリカリしてんだ。お前の声、廊下の向こうまで聞こえてたぞ」


「それはごめん。じゃあ」


 逃げようとするリサを、フィズナーは捕まえる。


「待てよ、お前。屋上で話をしよう。先に行っててくれ。俺は茶を淹れてくる」


「え、ちょっと」


 リサが断ろうとするも、フィズナーはロビーの給湯設備のほうへと歩いて行ってしまう。まるで、リサは必ず屋上に来ると信じているかのようだ。


 そんな風にされると、逃げられないじゃん。


 もう帰ろうと思っていたリサは、階段を上って、屋上へと向かうほかなかった。


++++++++++


「なんだ、いるじゃないか」


 屋上で待っていたリサが、フィズナーから聞いた第一声はそれだった。


「屋上にいろって言ったじゃん」


「変なところで律儀だよな、お前」


「はあ?」


 リサは何かしら啖呵たんかを切ってやろうかと思ったが、フィズナーに紙コップに入ったお茶を渡されて、黙ってそれを受け取る。


 フィズナーは紅茶をふたりぶん淹れて上がってきたのだ。


 律儀なのはどっちだか。


 リサは反論する気もなくし、コップに口を付ける。淹れ立てで熱い。強いフレーバー。アールグレイだ。


「女が戦うもんじゃない、って前、言ったよな」


「……そうだね」


「ちょっと前のお前は、危なっかしくて、相当ヒヤヒヤした。でも、あれから何度か実戦があって、あっという間に安定しちまった。驚いたよ」


「うん?」


「周りが見えてるってこと。それで、思い出したんだ。オーリア帝国にいたとき、ひとり、すごく勇敢な女がいたこと」


「へえ? 騎士かなにか?」



「は?」


「俺が仕えていた、ラルディリース・グム=ジル・デュール公女の侍女だ。侍女なのに侍女らしからず、公女様にタメ口をきいていた変な女」


「そりゃあ変だ。いったい何者?」


「わからん」


「なにそれ」


「だが、公女様も、俺を指導してくれた人も、あの女は有望株だと言っていた。俺にはそれがどうもわからなかった。……最後の戦いまでは」


「最後の……」


「前も言ったとおり、ジル・デュール公爵領は魔族と『黒鳥の檻』に焼き払われた。だが、その魔族を恐れさせ、逃げさせたのは、あの女の勇敢さだ」


 フィズナーの言葉は、リサの想像を超えていた。ということは、オーリア帝国第二の都市での戦いの最終決着は、魔族と侍女の戦いだったということ?

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